大学入学時同級生で、バードン教授のクラスで唯一A++を取ったのが僕と彼。
以降会えば話をするくらいには親しいが、友達とカテゴライズするほど親しくはない。
僕らの関係はそれ以上でも以下でもない。
しかし極端に人嫌いの彼にして、顔と名前が一致した人物というのは少なく、それだけで僕の希少価値は上がっている。年は飛び級した彼の方がずっと下だが、以前以後の彼の活躍やかくやで、社会的格付けは彼の方が数段上をいくのだ。
通りのいい声に呼び止められ、振り返ればそこには件の博士。
まっ黒な髪にまっ白な肌。
それに手垢がついたようなスタンダードな容姿賛美の語句を全部並べると彼になり、この容姿が注目度を数倍に跳ね上げている。
確かに女性であれば心穏やかではいられない外見だろう。けれど僕は男だし、彼のために被る迷惑の方がカサが高いので、自然対応はそっけなくなる。
「やぁ、オリヴァー。忙しそうなのに、僕と話をする時間なんかあるの?」
「ん?」
「ずっと海外研究だったからね。戻ってきたばかりでやること山積なんだろ?忙しくて、帰国してからもう3ヶ月もするのにバードン教授に挨拶にも来ない」
恩師であり、僕の直属の上司の名前を出すと、彼は反射的にむっと渋い顔をした。
「いや、教授とは審査会で会った」
とっさに返された言い訳じみた呟きに、僕はにやりと笑った。
饒舌である我が恩師は、研究内容は大変興味深いが、世間話の相手としてはこの上もなく面倒なのだ。僕の反応に暗黙の了解で彼もまた僅かに口元をゆるめる。
普段完璧なまでに無表情の彼が笑うと、それはそれは美しい顔ができあがる。
惚れ惚れとするその顔はパトロン募集にも役立つ。
「金持ち博士、新しいDUの機材入れたんだって?使い勝手はどんなもん?」
「あぁ・・・今使っていない。試したいなら研究室に寄れ」
外見と地位に無頓着な僕は、人間嫌いの彼には好都合であるらしく、僕らはここ数年純粋な利害関係で結ばれている。僕のサービスは僕の利益となり、彼のサービスはそのまま彼の利益となる。
「それで?去年のRV論文の続きはどうなった?」
僕は自分の論文じゃなく、バードン教授の論文に着眼されたことにいささかムッとしたが、それが正当な評価であることも理解できるので、そこには触れず、彼の研究室に向かいながらRV論文の進捗と彼が知りたがるであろうポイントをかいつまんで説明した。
ある意味とても正直に、彼は僕の着目点に満足し、根掘り葉掘りつっこんできた。
人の論文内容であるとか、同じ分野で研究をしている僕のプライドとかは気持ちいいくらいに一切無視だ。分かっていても気分はよくない。
ただ単に、純粋な僕なりのサービスだ。
「元気はあるけど純粋とも違うタイプ。自分に自信がなくて、優しくするとつけあがる。何かって言うと優位性を保ちたがるつまらない女の子」
「・・・なんのことだ?」
「この前一緒にいるところを見かけたんだ。日本で雇用した女の子と結婚したんだって?」
よって、その代償として僕は彼のゴシップを付け足した。
「正直オリヴァーが損得以外で結婚するとは予想していなかったから驚いたよ。絶対ガセだと思ったね。しかも選んだ相手があんなタイプだってのはちょっとガッカリ。夢もロマンもない。ビギナーズヒット。最初の相手に固執しているだけだよ。あんな普通の女の子なんて絶対無理。もって2年。早くて1ヶ月で別れると思う」
「随分な言われようだな」
「聞き飽きているだろう?モリは日本人だから非難しないだろうが、それ以外の人間はほとんどそう思っているだろうしね。僕は未婚者だけど、それでも実際その通りだと思うよ。わかっているだろうけど、君は目立ち過ぎる。女の子にも人気がある。彼女へのやっかみは半端ないはずだ。そして彼女本人にそれを説き伏せる魅力や説得力はない」
「ふん」
「しかもお前は性格が悪過ぎる」
「いや、珍しい」
「何が?」
「あんな平凡な女性は止めろとはよく聞くが、僕の性格が悪いから、とは初めて言われた」
実は、本当に、愉快なんだろう。
無表情のまま首を傾げた彼に、僕はほとほと呆れて肩をすくめた。
笑い事ではなく、これではあのうるさい日本人も気の毒だ。
なまじオリヴァーに幻想を持っているとしたら、もうそろそろ根を上げてもおかしくない。
「言ってるそばからつるしあげだろ?アレ」
僕は指さし彼の視線を下に向けさせた。
研究室へ向かう廊下から中庭越しに見える会議室で、件の女の子が数人の女性に囲まれていた。栗色の髪をした、頭一つ小さい女の子。服装がいかにも東洋人らしいから見間違えることはない。
2階から1階へ見下ろす角度になるので、表情までは見えないが、どうみても仲良くお茶をしましょうって雰囲気ではない。
「残念だなぁ・・・こっちからだと新妻の顔が見えない」
窓に額を押しつけながら、嫌味たっぷりに呟いてみると、意外にも返事があった。
「裏庭からなら見えるんじゃないか?」
裏庭からだと角度がないのでどっちみち顔は見れなかった。
しかし予想に反して、彼女らの話し声はクリアに聞こえた。
いわゆる一般論だ。
僕がオリヴァーに忠告したようなことを、偏った先入観を持って、もっと感情的に、極めて攻撃的に、これでもかってくらいの侮蔑を込めて、相手に致命傷を与えることのみを目的として話していた。
「これだけゆっくり話てあげたんだから、どれだけ頭と耳が悪くても聞き取れたでしょう?」
敵意むき出しの女性は本当に恐ろしい。
これでは押しの弱い日本人の女の子なんてひとたまりもないだろう。
普段耳にすることがない、自分のとりまき達の本性を見てどうするか、と、オリヴァーを見返すと、これはさも当然のように無表情。むしろ納得しているかのような顔だった。
激昂するか、硬直するならまだかわい気もあるものの、これでは何がどうして結婚なんて突飛な話になったのか、本当に意味が分からない。
そこで不意に聞き慣れない高い声が耳に入った。
「オッケー、ようやく聞き取れた」
その高い声の持ち主は、続いて意外過ぎることを拙い英語で口走った。
「でもさ、そんなクレームは本人に言ってくれない?」
「はっ?」
「だ〜か〜ら〜、悪いのはあたしでなくてナルの趣味ってことじゃない。そんなの本人に言いなよ。あたしの知ったことじゃない」
なまりの酷い英語は聞き苦しい。
けれどその発音の稚拙さとは反して、声質は凛としてしなやか、肩肘張った無理がない力強さがあった。かなりの口の悪さだけど、なぜだか不思議と嫌味な風ではない。
思わず隠れていた壁から身を乗り出して彼女を見た。
一段低い頭、栗色の髪、肉のない、どうにも頼りない身体に間違いはない。
その彼女はつっとこちらを見て驚き、それからぐぐっと顔を顰めた。
「そんなことするから悪趣味だってのよ」
かけられた声は僕のすぐ横。
同じように顔を出したオリヴァーに向けられたものだった。
バツの悪いはずなのに、彼はとり澄まして優雅に微笑み、周囲を取り囲んでいた女の子達の方がよほど具合悪そうに顔を赤くしたり、青ざめたり、居所悪そうにもじもじした。
見事な形勢逆転。
なるほどこうしてナイトは華麗に姫を助けるのか、と、人ごとよろしく眺めていると、予想外に姫はぷんぷん怒りながら自力で部屋を出てきた。
しかも正面で顔を合わせたカップルの会話は、新婚とは思えない破滅的会話だった。
「仕事もしないで何をさぼっているかと思えば・・・」
「好きでさぼってんじゃないわい!そもそもあんたのせいじゃんか!!」
姫はそう言うと、それじゃ本人にバトンタッチで!と、日本式の驚くほど丁寧なお辞儀をして会議室を出て行ってしまった。
残されるたのは加害者とのぞき見犯。
場の悪さはこの上ない。
残された女の子達の表情からは、すでにあの女の子を逆恨みしているのが読み取れた。その女の子達をぐるりと見渡し、オリヴァーは小さくため息をついた。
空気を僅かに揺らす小さなため息。けれどそれはピリピリと耳を騒がす。
女の子達は一様にビクリと身じろぎして固まった。
視線が自分に集中していることを十分に意識しながら、オリヴァーは声を高くすることもなく、特定の誰に向けるでもなく、ひたすら無表情に言い放った。
「確かに、女性に追いかけられるのは趣味じゃない」
笑っていない目元が、だからお前達はお呼びでないと威嚇する。
それだけで十分だと言わんばかりに、オリヴァーは会議室に背を向けた。
確かに必要十分。
女の子達の戦意は削がれ、中には泣き出している子もいる。
そんな中で、僕と視線が合うと、オリヴァーはにやりと気味悪く口だけつり上げた。
「追いかける方が性に合ってるらしい」
そのたった一言で、卑小だったはずの彼女の存在は、突然ヴィーナスになった。
きっとこの名言は一両日中に尾ひれを付けて学内中に広まるだろう。
かくいう僕が誰かに話したくてたまらない。
背中がぞくぞくしてこめかみ辺りがチリチリする。
素知らぬ顔で歩く後ろ姿を眺めながら、僕は舌打ちしたい衝動をなんとか堪えた。
ああ、本当にこの男の存在は派手過ぎて迷惑だ。
でも、どうしようもなく好奇心を刺激する。
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