「よくこんな場所で眠れるなぁ」
ベースの一角小上がりに布団を敷いて、即席で作った仮眠所で麻衣はすうすう寝息を立てて眠った。調査途中の人員不足で安全上仕方がない事とは言え、仕切はパーテーションだけ。とてもまともに眠れる環境ではない。
横目に娘を覗き込みながら滝川が感心して言うと、ナルが呆れたように肩を竦めた。
「もともと寝汚い上そういう訓練をしていたのだから当然だろう。それより起こすなよ。情報収集が中断されたら迷惑だ」
へいへい、と、滝川は舌を出し、音を立てない様にそっとパーテーションをズラした。
ジョンに真砂子に綾子、それから安原。調査途中で収集をかけた者、途中で外出した者のことごとくが何故か現場に戻って来られない。
情報収集に遠くまで出向いた安原や、途中参加のジョンが交通事情やその他諸々で辿り着けないのはまだいいとして、近所に使える木はないかと探しに行った綾子や真砂子まで帰って来れないとなると事態は少し面倒になった。
溺れる者の藁として、麻衣が手を挙げた。
それはまぁいいとして。
滝川はこちらに背を向けモニターを覗き込むナルに向かって、ぽそぽそと話しかけた。
「ねぇねぇナルちゃん。しばらく調査してない間に、なんだか随分麻衣に懐かれたんじゃない?」
周囲の気温が3度下がることを覚悟した上で、滝川は思ったことの半分を表現を変えて話した。案の定、闇色の瞳は心底鬱陶しそうに細められ、鋭く睨まれる。
それでも先立つ好奇心は罪深い。
「トレーニングのせいかもしれんけど、随分仲良しじゃん。眠る前の女にあれだけ気安くされるのなんてなかなかできないぜ?まぁ麻衣の能力上仕方ないことかもしんないけどさぁ、なんかありえないシチュエーションにドキドキしちゃうね。傍目には恋人みたいじゃん。お父さん気になるなぁ。ちょっと妬けちゃう」
モニターを覗き込むフリをして、滝川はチロリとナルの顔を覗き込んだ。
「満更でもないだろう、お前」
間近に見つめても、漆黒の瞳も、白磁のような肌も少しの動揺も写さない。
迷惑そうにため息がつかれ、ぞわりと背筋を撫でる冷気が発せられただけ。
そのことに滝川は心からガッカリしながら、つまんねぇの、と、悪態をつき、それ以上の火中に手を突っ込むのはやめた。
「迷惑な話だ」
滝川が手洗いに立ったのを機に、ナルがぼそりと呟いた一言をリンは聞き逃さなかった。目配せするとナルは僅かに口を歪めた。
「慈善事業を逆手に取られて、損をしている気分になる」
ああ全くその通りなのだろう。
リンは付き合いの長さ故にごく素直にそう感じた。
この少年は情感の機微には疎いが、疎いゆえに存外素直なのだ。
また一方で相手の麻衣にしたところで、同じような感想を言われることだろうことも、リンは承知していた。
自分とて情感の機微に聡い方ではないが、こればかりは的を外している気がしない。
あり得ないと自信を持ちたいからこそ、平気な顔をして2人きりにもなれる。
その頑なさが勘ぐりの原因だとは、この2人には分からないことなのだろう。
この手の愚鈍さは周囲を気遣う人間の神経を逆撫でる。だから真砂子は不安で顔を曇らせ、滝川や安原は面白がる。
間に挟まれる人間はいい迷惑だ。
安心しきって眠り続る麻衣の寝息を聞きながら、リンは小さく肩を竦めた。
実際に本人達が信じるままの関係で自分は一向に構わない。むしろその方が今までの些か複雑な経緯からは自然であるように思えるし、面倒が少なくていい。
性格は難があるが、とにかくナルは将来性があり、費用が必要で、顔がいいのだ。
リンは滝川の話題に触れない事に決め、仕事の遂行に話を変えた。
「谷山さん、随分慣れましたね」
「ああ、少しは」
「ナビゲーターはまだ必要でしょうが、ガイドがいなくてもトランスできれば上出来ですね」「・・・・そうだな」
ガイドという単語にナルは僅かに顔を顰めた。
様々な意味で面白くないのだろう。
「もうしばらく監視は必要だろうな」
面白くないだろうに、そんな彼女を使い続けることには疑問は持たない。
要する労力は厭わない。
だがしかしその矛盾を指摘するのは、兎にも角にも今ではない。
リンは賢明にも口を噤み、何気ない素振りでマシンに向かい直り、データ移送状況を確認し始めた。
胸騒ぎだけ悪戯に残して、誰にとっても憂鬱な木曜日が続く。
兎にも角にも今はまだ。
END