「いえね。この間原さんってば突然谷山さんと喧嘩するなんて物騒なことおっしゃってじゃないですか。結果どうなったのかなぁって、気になって気になって僕、最近食欲まで落ちちゃって・・・でも、谷山さんに直接聞くわけにもいかないし、原さんといつ二人っきりになれるかなんて分かったもんじゃないので、ご迷惑かと思ったのですが、押しかけちゃいましたv」
しれと笑う安原を真砂子はしばし呆然と見上げていたが、ざわつくように集まる周囲の視線に気がつき我に返った。
両親がしきりに薦めて2年の間だけと約束して入学した女子大の正門には、同世代の女性ばかりで男性の姿は皆無に等しい。安原がいかに好青年風に見える容姿をしていたとしても、ここで堂々と待ち受けられていてはあまりにも体裁が悪い。真砂子は喉までこみ上げた言葉をひとまず飲み込み、とにもかくにも大学から離れた喫茶店に安原を連れていった。 「わたくしが今日、あの時間に正門を通るなんて、どうしてご存知でしたの?」 席につくかつかないかのタイミングで、真砂子はくってかかるように安原に詰め寄った。
対する安原は彼のトレードマークの微笑を浮かべたまま唇の前に指を立てた。
「それは企業秘密ですよ。原さん」
「安原さん・・・・そんな馬鹿な理屈は通りませんわ。気分が悪いです」
「そうですか?」
「まるでストーカーではございませんか。お話はその種明かしをされてからです」
イライラと詰め寄る真砂子に、安原はにこやかに微笑み、わざとらしくため息をついた。
「では、交換条件で。僕が種明かししたら、原さんも先日の結果教えて下さいね」
「・・・・それとこれとはお話が別ですわ」
「やだな。共犯した仲じゃないですか」
安原の物言いに真砂子は遠慮なく顔をしかめたが、ほどなくして損得勘定に納得がいったのか小さく頷き、「よろしゅうございますわ」と応じた。
「ではさくさく行きましょう。あ、これ、ノリオの名セリフですね」
どこまでも気安い安原に、真砂子はたまりかねた様に苦笑した。
困ったように眉尻を下げるその様子は、美少女と謳われる彼女の容姿を僅かに幼くした。安原はその表情に笑みを深め、ひらひらと掌を振った。
「僕の種明かしは簡単ですよ。原さんが通っていらっしゃる大学は知っていましたので、高校の後輩と、友人達に関係者がいないか聞いて、紹介のツテを使って原さんのクラスメイトをつきとめたんです。後藤歩さん。ご存知ですか?彼女は僕の後輩の従姉妹の中学時代のクラスメイトだったんです。世の中狭いですよね?後は彼女に直接話をもちかけて、僕の友人たちの合コンを持ちかけるかわりに、原さんが出席される日と帰宅時間、帰宅ルートをメールで教えてもらいました」
流れるように解説する安原に対して、真砂子はいくぶん顔を顰めて唸った。
「・・・さほど世の中が狭いようには思えませんわ」
「そうですか?」
「それに話を聞けば簡単そうですが、どうやってそううまく話がまとまりますの?よく不信がられませんわね」
「うぅぅん、それを説明しろと言われると難しいですね。何ででしょう。何でかうまくいくんです」「・・・・さすがですわね」
越後屋の暗喩を滲ませ真砂子がため息をつくと、今度は安原が共犯者のように愉快そうに笑った。
「ま、僕にしかできませんよ。怪しまれずにここまでこれるの」
「安原さんって」
「はい」
「ナルとは別の場所で自信過剰の方ですわね」
真砂子の感嘆に安原はめっそうもないと首を横に振った。
「所長様には敵いませんよ」
「あら?そう思いますの?」
「ええ、まぁ…何といっても天上天下唯我独尊的存在でらっしゃいますから」
安原の軽口に、真砂子はその黒目がちの目を細めた。 「ナルはそれに値するほどの方でですかしら?」 何が原因か本人の口からはっきりと聞いたわけではなかったが、十中八九の確立で、最近の谷山麻衣はバイト先の上司との関係に悩み、傍目にも分かるほど痩せて、危なっかしい状況に陥っていた。
その現状を打開するべく、喧嘩をすると乗り込んだ真砂子はその物騒な方法とは裏腹に酷く覚めた表情で "共犯" に巻き込んだ安原を見上げて言った。
「麻衣はナルのことが好きなんですって」
馬鹿な麻衣、と、真砂子はテーブルの上に乗せられた紅茶に手をだし、麻衣の方がおいしいと顔をしかめた。
「麻衣ってばそのこと、ずっと気がついていなかったんですって。それがつい最近、ふいに気がついてしまって、しかもそれをその瞬間にナルに言ってしまったそうですの。本当に計画性のない方」
何でもないことのように言う真砂子に、安原は思わず頷いてしまいそうになりながら慌てて聞き返した。
「言って・・・しまった・・・って、告白したんですか?」
「みたいなものらしいですわ」
「へ、へぇぇ・・・分からなかったなぁ。いやぁ安原一生の不覚。そんなことがあったなんて!」「何でもぽろっと口から出てしまったそうですわ」
ため息をつく真砂子に、安原は気がつかれないよう息をのみ、首を傾げた。
「まぁある意味谷山さんらしいって感じではありますが」
「ある意味とても麻衣らしいですわね」
「で、所長は何て・・・・」
「無反応」
「はっっはい?!」
「完全無視。気にもとめていない感じで、いいのか悪いのかさっぱり分からない」
「はぁ」
「で、麻衣も困まってますの。当然ですわね。押していいのか、引いていいのか、何を考えているのか」
「・・・・」
「でも自覚してしまったから、気持ちだけは強くなって、結果、あのザマです」
「うっわぁぁ・・・何だか、僕、谷山さんに同情したくなっちゃいました」
飲み込みずらいものでも口に含んだように口元を覆った安原を眺め、真砂子は一時躊躇した後、好奇心に負けて口を開いた。 「安原さん、これは秘密のお話で宜しいのかしら?」 そのかわいらしい言葉に、安原は僅かに目を見開き、嬉しそうに微笑んだ。
「共犯ですからね。いいですよ。天心天命に誓って沈黙を守ります」
安原の軽口に真砂子は信じますからね。と念を押し、声をたてて笑った。 「あたくしは・・・麻衣はずっとジーンもナルも好きで、それを分かってて我慢しているんだと思ってましたの」
ややあって安原が頷くと、真砂子は柔らかく微笑み返した。
「でもね、それは間違いでしたの」
「そうだったんですか?」
「ねぇ、周囲は当然そうだと思ってましたのに」
「まぁ・・・顔を見ていれば・・・」
「麻衣は突然好きになったみたいだったって言うんですのよ」
「は?」
「突然、ぶつかったみたいに恋に落ちてたことに気がついたんですって」
「・・・・また、谷山さんらしいというか、何と言うか・・・・自覚なかったんですねぇ」
「本当に、恥ずかしくなるくらいバカな子」
真砂子はそこで意識的に小さく笑った。
「それに…わたしくは、ナルも麻衣のことが好きだと思いますの。ナルに恋愛感情があるのかとか、自覚しているのかとか、わたくしの欲目なのか、そういう面倒な疑いを全部取り払って、ごくごくシンプルに考えれば、ナルは麻衣だけは特別に意識していると思いますの。違いますかしら?」
そう尋ねられて、安原は相手の真意を測りかね、困ったように苦笑したが、真砂子は怯まなかった。その切実な顔色は本当に切なげで、安原は自分でも驚くほど素直に、心の中で白旗をあげた。
「僕も・・・自覚してらっしゃるかは別問題として、そうかなぁとは思いますよ」
安原の同意に真砂子はほっとしたように、まるで泣き出しそうな顔で微笑んだ。
「なのに、どうしてうまくいかないのかしら」
「まぁ・・・それは、あの所長のですからね。嫌になるくらい問題は山積しているんでしょうね」
「せっかく両思いですのに、それで苦しむなんて不条理ですわ」
「・・・・原さん」
「はい?」
「原さんは・・・原さんも所長のことがお好きなんじゃないですか?」
「・・・・」
「それなのに、そんなこと言っちゃっていいんですか?」
遠慮のない安原の押しの一手に、真砂子は驚きはしたが笑顔を崩さず悠然と答えた。
「好きですわ」
まるで他人事のように。
「それこそ麻衣に嫉妬して、嫌な子になりたくなるくらいナルのことが好きですわ」
「でしたら…」
「でも、そんなキャラクターわたくしには似合いませんでしょう?」
松崎さんならいざ知らず、と、嫌味を添えるのも忘れずに悠然と笑う、その自信と気迫に満ちた笑顔に、安原は不覚にも言葉をなくした。
「好きな方には本当の幸せを願うのが、本当ですわ。エゴで不幸せにするなんて本意ではありません。だからナルには・・・麻衣しかいないと思いますの。せっかく麻衣が気がついたのですもの、麻衣の心が駄目になってしまう前に、わたくしはナルと麻衣がくっついてしまえばいいと思ってしまいますの」
現実はゲームのようにうまく計画通りにはいかないけれど、と、真砂子は自嘲しながら続けた。
「わたくし、多分ロマンチストなんですわ。ちゃんと理にかなった夢をみていたいんですの。恋はちゃんと正当な形で実って欲しいんですの。麻衣が体を壊したり、妥協して他の方と付き合うなんて嫌ですの。ナルが麻衣以外の女性とつきあったり、一生研究だけしているのも嫌ですの。許せませんの」 「だって、あの二人が両思いなんて、奇跡みたいでしょう?」
喧嘩しても、嫌われても、痛くても、悲しくても、辛くても、世の中はそんなに酷くないって夢をみていたい。
それこそ我侭なエゴかもしれないけれど。
そうでなければ、自分の恋心があまりにかわいそうだ。
「少女趣味って笑って下さってもいいんですのよ」 僅かに涙目の真砂子を直視できないまま、安原は苦笑した。
「原さんってば」
「はい」
「本当に、跪いてかしずきたいくらいお綺麗ですねぇ」
安原の感嘆に真砂子は顔を真っ赤に染めたが、すぐに涙をひっこめ、艶やかに微笑んだ。 「当然ですわ」 |