ヒースロー空港

 

    

                   

                 

30歳になって、外資系特殊カメラメーカーに転職した。いわゆるステップアップ。
そして今はそのOJTを兼ねて、初の海外出張でイギリス・ロンドンに向かっている。

 

ふふふふふん♪

 

上質のスーツを着込んだ男、皆川透は機内で内心ほくそ笑んでいた。
スポーツで鍛えた体は30歳になった今も無駄な贅肉がついていない。
親譲りの長身にスタイリッシュなスーツはよく映える。紳士の国へ行っても引けを取ることはないだろう。加えて、実績を兼ね備えた現場でつちかってきた開発知識が裏付ける自信。
クイーンズ・イングリッシュに多少不安はあるけれど、日常会話に不自由はしない程度の英語力はある。しかも現在はステイタスとある程度の年収も確保された。結婚話をうるさくせっつくのが難点だが、見栄えのいい彼女もいる。

――― 完璧だ。俺は人生の勝利者、勝ち組だ。

皆川はそんな自負を抱え、窓に映る自分の顔を満足げに眺めた。
皆川透、30歳。彼はつまりそういうナルシストだった。

 

  

 

 

イギリスの空の玄関、ヒースロー空港に降り立ち、皆川は緊張を悟られないように、何気なく周囲を見渡した。まずはヒースロー・エクスプレスに乗り換えて、ロンドン市内のパディントン駅を目指さなくてはならない。そこで現地のスタッフと落ち合う予定だった。
ヒースロー空港は入国審査が厳しいことでも有名だったが、「Business」「2weeks」の簡潔な受け答えだけで、皆川はごくスマートに入国することができた。

――― ・・・・いい・・・・何かいいぞ。

と、これだけで皆川はいちいち感激していた。いわゆる、『 かっこいいぞ俺様 』堪能。皆川がそんなことで悦に入っていると、思いもよらない方向から名を呼ばれた。

 

 

「あ、れ?皆・・・・川・・・くん?」 

 

 

耳に慣れた日本語に、皆川が思わず振り返ると、そこには栗色の髪、鳶色の瞳、日本人としては色素の薄い小柄な女性が呆然と自分を見上げていた。
見覚えのない華奢な女性に皆川は一瞬間驚いたが、声をかけられて悪い気になる状況ではない。皆川は瞬時に人当たりいい、やわらかな表情を浮かべ、スマートに女性のもとに歩み寄った。

「失礼?」
「違う・・・かな?」
「いや、俺は確かに皆川だけど・・・・ごめん、わからないな。君は?」

自身の肯定に女性は安堵したように微笑んだ。
その花の咲いたような笑顔は、ぎょっとするぐらい華やかで、皆川は目を見開いた。

「ああ、良かった。わたしね、麻衣。旧姓谷山。覚えてないかもしれないけど、中学の頃同級生だったんだよ?」
「谷・・・・山?」
「うん。2組で、先生の家に居候させてもらってた谷山」
「あ、ああ!思い出した!」

居候という濁した単語で、皆川は麻衣のことを思い出した。
当時、確かにかわいそうな同級生がいた。その同級生は中学生にして天涯孤独の身の上というえらくドラマティックな人生に翻弄されていたはずだ。その当時の記憶が正しければ、当時の彼女は細っこくて、何だか頼りないような女の子だった。しかし目の前の同級生は、自身と同じく年をとり、大人の女性となっていた。
皆川は微笑んで会釈を返しながらも、しっかりと麻衣を観察した。彼女とて今年で30歳になる少しトウのたった女性のはずだが、現在の彼女の外見は
せいぜい24歳程度。未だ幼いような印象さえ受けた。まだあどけないと言ってもいい。けれどそれでいて嫌味なくすっきりと大人の女性に成長している様は、何だか感慨深いものがあった。

――――谷山ってこんなにかわいくなったんだな。

知らず、皆川は目じりを下げた。
しかも彼女は自分を覚えていて、再会した場所がヒースロー空港というのがドラマティックでいい。そこまで考え、皆川はふと麻衣に問いかけた。

「俺は今日、仕事でイギリスに来たんだけど、谷山はどうしたんだい?観光?」

『 仕事 』という単語をあえて強調して言うと、谷山は「おお、かっこいいねぇ」と嬉しいことを言いつつもさらりとそれに返事した。

「私はね、今ケンブリッジに住んでるの」
「え?」
「日本と行ったり来たりはしているんだけどさ。メインハウスはこっちなんだ。今日はお迎え」
「へ・・・へぇぇ」

わずかに皆川が引いた瞬間、背後から鋭い怒声が響いた。

  

  

  

  

 

「ママ!」

 

 

 

 

 

 

「あら優人」

ひょこりと体を斜めにして、皆川越しに笑いかける麻衣の視線を追って振り向くと、そこにはやけに綺麗な容姿をした子どもが憤怒のオーラを撒き散らして駆け寄ってくる所だった。
漆黒の髪、漆黒の瞳、白磁のような肌。
彼は麻衣のもとに駆け寄ると、よく通る声でがなり立てた。

「一人で勝手に動き回らないで!探すこっちの身にもなってよ!!!」
「あ・・・ごめんね。ちょっと知り合い見つけちゃってさ・・・思わず・・・」

消え入りそうな麻衣の声に対して、子どもは「バカ!」と大声で怒鳴り、その勢いのまま皆川を睨み上げた。その子どもとは思えないような力強い視線に、皆川は反射的にたじろぎつつも何とかプライドで踏みとどまり、微笑を浮かべた。

「Who?」

まるで威嚇のような問いかけに、麻衣は慌てて彼の頭を抱えた。

「ママの中学時代の同級生。皆川くん。今偶然会ったのよ。皆川くん、彼は私の長男で・・・ほら、自己紹介して」

不機嫌そうな子どもは麻衣の両手を邪険に振り払いながら、胡散臭いものを見るような目つきで皆川を睨み上げ、慇懃無礼な態度で頭を下げた。

「Nice to meet you, Mr . My name is Yuto Divis . 」

早口の英語でぶっきらぼうに自己紹介されても、苦笑するしかない。
皆川が対応に苦慮していると、そんな息子の態度をに麻衣は顔をしかめた。

「ご、ごめんねぇ愛想のない子で・・・本当にパパそっくりなんだから」
「・・・・!ママ!あんなのと一緒にしないでよ」
「外見も性格もそっくりよ」
「やめてよ!」

かけあい漫才のようにじゃれる親子を眺めつつ、皆川は背後に複数の視線を感じた。
とにかく、その麻衣の子どもとやらはやたらと綺麗だった。
まだ小学校にも上がっていないような年端なのに、その美貌は見惚れるほどで、レベルの違う人種ということを見せつける。またまだ未完成の可能性を秘めるその幼さすら、危うげな魅力となって人目を引いていた。

――――そっくりな父親って一体どんなだよ・・・

皆川は少々げんなりとした思いで、かつて身近にいたはずの同級生を見やった。
歯牙にもかけていなかった女子が、いつのまにか世界の違う所に進んでいた。その事実は意味なく皆川の自尊心を傷つけた。しかもレベルの違う綺麗な子ども付き。

「と、とにかく、何か幸せそうで何よりだな・・・」

皆川の呟きを聞きとめ、麻衣はほがらかに笑った。

「皆川君も元気そうで良かったよ。それじゃぁお仕事頑張ってね」

陽だまりのような魅力的な笑顔に、皆川は正直よろめいた。

 

もう少し話をしていたい。
もう少し近付きたい。

 

しかし実際は不機嫌なお子様に麻衣は乱暴に手を引かれ離れていき、交わされたのは『バイバイ』と手を振るポーズだけだった。

 

――――・・・女の子は本当に変わるもんだ。

 

皆川は小さくなる後ろ姿を見送りながら、先見の明がなかった過去の自分を呪った。正直、惜しいことをしたと思う。中学時代も、今現在も。されど今更どうすることもできない。彼女には小さくとも恐ろしく綺麗なナイトまで付いている。

「まぁ・・・・いいもん見たっていうことにしておくか」

皆川は自嘲して、一路ヒースロー・エクスプレスを目指した。
 

 
 
 
 
 

言い訳・あとがき

初のオリキャラです。

ほいで長男・優人初登場です!

彼は「覚醒の理由」で瞬いていたあの白い光なのですよ。

2006年6月2日