谷 道 玄 坂

   

    

     

道玄坂の中腹で立ち竦んでしまったっきり動かないでいたら、たくさんの人が無関心を装いながらも怪訝そうに私を眺め、ある人は声をかけ、ある人は肩をたたいた。


「大丈夫?」
「どうしたの?」
「道に迷った?」
「暇?」


それでも足の裏は地面にぴたりとくっついたまま。ぴくりとも動かせない。


「邪魔だな」
「よけろよ」
「危ない」


次第に視界が歪み、頭がぼんやりとしてくる。何とか必死にやりすごしてみても、状況は改善されない。

これ以上酷くならないように気を張るしかできない。


「具合悪いんじゃないの?」
「薬でもやってんじゃないの?」
「男欲しいの?だったら付き合うよ」


弱気になったら攫われる。

ぎゅっと目を瞑ると、聞きなれた声がした。

 

 
「―――― 麻衣」


自分の名前に命が吹き込まれたような気がして、私は呆然としながら顔を上げた。

視界の先には漆黒の美人、バイト先の上司がその綺麗な顔をゆがめて立っていた。


「お前は何をしている?」


迷惑そうな顔。

不機嫌な声。

漆黒の髪。

黒檀のような瞳。

いつもの"彼"だ。


「ナル・・・・足が動かない」
「動かせ」
「じゃなくて、何かに掴まれてんの!重くて動かない!!!」
「お前は・・・ぼーさんから護符持っただろう。なくしたか?」
「破かれた」

私の一言に、その美人はさらに顔をしかめた。

「書いてもらったばっかりなのに破られて、そしたら足掴まれたんだよね。無理やりここまで歩いてきたんだけど、もう、ちょっと疲れちゃって・・・もう気ぃ失いそう・・・」

こみ上げてきそうになる涙を堪え俯くと、頭がぐらりと重くゆらいだ。声に出すとわかる。

私は思ったよりもしてやられている。

しゃがみこめたらどれだけ楽なんだろう。

アスファルトでも構わない。倒れこめたら、どれだけ楽だろう。


「麻衣!」


鋭い声に我に返る。

が、視線にも、手足にも力が入らないことがわかる。うんざりしてため息をつくと、対面する美人のそれと綺麗にハモった。

ふと、笑みがこぼれた。

同調した溜息が嬉しいなんて、ささやか過ぎる。
それでも笑顔で顔を上げると、不機嫌な上司はそのまま無遠慮に側により、優しくもない声で囁いた。


「憑き物かもしれないな」
「間違いなく」
「今日はジョンが来るはずだ。まずは事務所に行くとしよう」
「・・・・だから、どうやってさ。もう、歩けないんだよぉ」
「僕が麻衣を抱えて歩くしかあるまいな」
「はぁぁぁ?」
「大声を出すな粗忽者。それしかないだろう」
「ナルが?私を?大丈夫なの?ここ坂だよ?」
「それは平気」
「えええええええ」
「それしか方法はないだろう」
「いや!何か・・・違う方法ないかなぁ。ジョンにここまで来てもらうとかさ!」
「・・・・不服なのか?」
「ふふくっつうか・・・・ここで?それはあんまりにも恥ずかしいでしょうが・・・・」
「それもそうだな」

噛み付くように声をあげると、ナルは簡単に頷き、すたすたと歩き始めてあっけなくその場から離れた。

「ちょっと!ナル!見捨てる気?!」

なけなしの気力で声を上げると、上司は遠目に見ても綺麗な顔をゆがめた。

「他に方法がない」

理解できないと、その顔には書いてある。









「・・・・・連れてって・・・ください」
「聞こえん」
「お願いします」
「何が?」
「・・・・抱っこして」
「それが人にものを頼む態度か?」
「上司を見習ってみました」











道玄坂の中腹で立ち竦んだっきり動けないでいたら、たくさんの人が無関心を装いながらも怪訝そうに私を眺め、ある人は声をかけ、ある人は肩を叩き、ある人は私を抱き上げた。
ゆられて運ばれ、私は多分耳まで赤い。

贅沢過ぎる状況に、心臓が潰れてしまいそうだ。
泣きそうになって慌てて顔を上げると、美人な上司はまっすぐ前を向いていた。
まるで私のことなんかちっとも気が付いていないようで、それはそれで私の心臓は潰れそうになった。
このまま潰れてしまったら、どれだけ楽なんだろう。
動かない足に、痛い心に、弱気になって私は願った。






言い訳・あとがき

麻衣片思い時代の独白ということで

ちょっと弱々しい麻衣です。

たまにはそんな時もあるんじゃないかなぁって思って。

2006年5月16日