ナルが本格的にイギリスへ帰国すると決めた。
それからすぐSPR日本支部の閉鎖が決まり、ナルは麻衣に一緒にイギリスに行く準備があるかと尋ね、麻衣はしばらく日本を離れることに躊躇いはしたけれど、結局、同意した。するとナルは決定事項のようにこう告げた。

 
 
「あちらでこのまま一緒に暮らすのには不都合が多い。面倒だから結婚するか」
 
 
 

 

 

谷山さんの決断

 

 
 

 
現状を報告せよ、とのお達しに従って、麻衣が綾子の家を訪ねると、綾子は得意の和食をずらりと並べ、麻衣の話を酒の肴に尋ね、報告に大爆笑した。
「それで・・・麻衣は何て返事したの?」
お腹痛い、と笑い続ける綾子に、麻衣は顔をしかめた。
「ノーコメント」
「は?何言ってんのよ麻衣、正直に言いなさい」
「だぁかぁらぁ、ノーコメント。何も返事してない」
あら?と、目を見開く綾子を横目に、麻衣は最近覚えた甘いお酒を口に運んだ。
「結婚なんて・・・正直考えたことなかったから、不意打ちみたいだったけど、言われてみたらすごっく嬉しかったんだよ。うん。ナル以外なんて考えたことなかったしさ。あのナルがそう言ったんだから、素直に返事するのが一番なんだろうって頭では分かっているんだけど、何かの次いでみたいに結婚なんて・・・何だか自分が馬鹿にされているみたいに思えちゃってさ。何かそう思っちゃったらムカムカしてきて、ここ一週間ろくに口もきいてない」
言葉にすると、つん、と悲しくなってきて、声が掠れる。すると綾子は麻衣の左手を取って、何の飾り気もない手のひらを宙に開かせた。
「指輪もなし、か」
「ナルが指輪買うなんて・・・想像しただけで怖い」
「まぁねぇ、麻衣も本当に救いようのない甲斐性なしに惚れたもんねぇ」
年上ぶってあきれる綾子は、それでもなだめるように麻衣の頭をぽんぽんと叩いた。
保護者のようなぼーさんに綾子、頼りになる安原さん、優しいジョン、それにナルの乱暴な言葉に少女らしく怒ってくれた真砂子。それは麻衣にとって、愛してやまない暖かい場所だった。
けれど自分は結局ナルという難解でデリカシーのない研究バカを選んでしまった。
自分で選んだこととわかっていても寂しくて、悲しくて、心細い。ナルがものの次いでに提案した結婚では、この心細さは消えない。かえって不安になるばかりだ。その辺をナルは分かっていない。
「まぁナルだからねぇ」
麻衣の愚痴を、綾子は決めのセリフで黙らせた。
「優しい男がいいんなら、日本に残りなさい」

 
 
 
 
 
 
 
その日、麻衣は酔っ払ったままナルと暮らす部屋に帰った。
書斎にこもっているのか、まだ帰宅前なのか、リビングにナルの姿はなく、がらんとしたリビングを見ると、無償に悲しくなって、麻衣はべそべそと泣きながらシャワー浴び、そのままリビングの床に寝そべった。
 
――この部屋ももうすぐなくなる。皆とも離れ離れになってしまう。
 
アルコールが回った頭で、そんなことをぐるぐる考えていたせいで、麻衣はすぐ後ろに来るまでナルに気がつかなかった。
「麻衣」
暗闇から滲み出したような声に、麻衣の心臓がはねた。
見上げた、見慣れた美貌は、それでも見飽きないほど綺麗で、忌々しい。
言葉を尽くして、理解してもらおうと思っても、この美貌の御仁は難解過ぎる。
 
――愛しくて、愛しくて、そして、多分、憎んでもいる。
 
無言でにらみあげる麻衣の脇に、ナルはため息交じりに膝をつき、寝転がる麻衣の左手をとって、どこから取り出したのか、鈍く光る指輪を薬指にはめ、不思議なものを眺めるように指輪のはまった麻衣の左手を掲げた。
「・・・ナル?」
麻衣が驚き、目を見開いて、穴が開くほどナルを見上げると、ナルはちらりと麻衣の顔を眺めた。
「薬指の指輪は、マーキングだな」
「は?」
意味が分からず眉をしかめると、ナルは乱暴に麻衣の眉間を指で押した。
笑顔だったナルの瞳に、物騒な色が灯る。麻衣は本能的な恐怖を感じて、思わず立ち上がったが、ナルは構わず手も視線もを離さなかった。ナルを見下ろす形になり、戸惑う麻衣にナルは極上の笑みをもらした。
「麻衣は僕のものだ」
疑うことを知らない、自信たっぷりの笑みを浮かべ、
「そんなことは既に決まっている。結婚も指輪もそれを他人に告知する手段に過ぎない」
ナルは滑らかな声で麻衣を誘惑した。
「だから麻衣は僕と結婚するんだ」
問答無用の強引さ含んだ声に、ナルはあくまでナルだ。と、麻衣は反射的に落胆した。
しかし、そのほんの一瞬、その瞳が僅かに不安で揺らいだ。 
 
 
 
 
それを見つけた瞬間、薄暗かった麻衣の世界は反転した。
 
 
 
 
驚いて呆然とする麻衣に、ナルは不機嫌そうに顔をしかめた。が、今や麻衣にはその顔すら可愛らしく見えた。愛しくて、愛しくて、愛しくて、キリキリと心臓が痛みだす。自然、笑みがこぼれた。



「結婚してあげる」


――仕方がない。


「ずっと側にいてあげる」


――これが罠でも、もう私は逃げられない。


「愛してあげる」


――私は、ナルがかわいい。



囁きに、美貌の求婚者は思わず漏れそうになった安堵のため息を何とか飲み込み、小さく唸った。



「返事が遅い」



間があって、麻衣は満面の笑みを浮かべ、笑った。




言い訳・あとがき

安原君のお楽しみの続編です。
これもナル麻衣同盟の為に書いたのですが・・・いわゆるプロポーズネタ。

2006年4月3日


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