「ぼーさん」

 

 

 

雑踏の中でも、その子どもの声はよく響いた。呼び止められ、滝川は声のした方に視線を落とした。

「どうしたい、優人」

「ここから真砂子さんの所に行くなら、こっちの線より港線に乗った方が早いと思うんだけど?」

「ああ、そういやそうだな。乗り換えしないで済む。よく気付いたな」

素直に感心し、滝川が小さな頭を撫でて褒めてやると、褒められたはずの6歳児はその手を迷惑そうに払い、

大人びた口調で嫌味を言った。 

「モバイルで確認すればすぐ分かることだろ?気が付かない方がどうかしてる。一体何年東京住んでるのさ」

 

 

 

   

使

   

 

 

 

ナルと麻衣が結婚してから既に7年の年月が経過していた。

結婚した翌年には2人の間には男の子が産まれ、その3年後には今一人男の子ができた。

それぞれの名前を優人、晴人という。

 

その日、滝川は外せない仕事ができたナルと麻衣に代わって、シッターを立候補し、件の子どもを伴って、

旧知の知り合いである真砂子の家に遊びに向かっていた。

滝川は抱っこしたままの晴人を抱え直し、それからさっさとホームを目指そうとする優人の姿を目で追った。

両親が保有する特殊能力は現在のところ晴人にだけ顕著に現れていたが、その容姿にしろ、頭脳にしろ、

父親の遺伝子を最も受け継いだのは、優人の方であった。

漆黒の髪、白皙の肌、黒檀のような瞳。

まだあどけない幼さは残るものの、整い過ぎたその顔は紛れもなくナルに酷似していた。

――― しかも最近は性格まで似てきやがってる。

父親に対して、並々ならぬ敵対心を持っている優人本人にそのことを言えば、苛烈な罵詈雑言が返って

くるのは目に見えていたので、滝川がそれを口に出していうことはなかったが、そうして耳に痛い嫌味を

上げ連ねることこそ若い頃の父親にそっくりだということに、優人本人はまだ気が付いていない。

ホームで電車を待つ間、ずっと眠っていて大人しかった晴人がふいに顔を上げた。

栗色の髪、鳶色の瞳、天使を思わせる愛らしい顔立ち。

容姿的には麻衣の特徴を色濃く受け継いだ晴人に、滝川は自然口元を緩め、目じりを下げた。

可愛い愛娘によく似た子どもはもう、目に入れても痛くない。食べてしまいたいほどに愛らしい。

「おや、王子、お目覚めかね?」

すっかり骨抜き状態の滝川を、寝起きの晴人はしばしぼんやりと見上げていたが、にっこりと微笑んで、

すぐ顔を背けた。

「優人ぉ」

甘えた声が兄を探し、優人を見つけると、自分の体制も省みず全身を反らせて小さな手を伸ばした。

「うわっとっとと、晴人!あぶない!」

目の前で優先順位をつけられて、いささか傷つきながらも、なんとか滝川は体勢を立て直し、暴れる

晴人を宥めた。

「ハル坊、ここじゃ危ないから、地下鉄乗ったら優人に抱っこしてもらいな」

しかし、寝起きの晴人はきかんきで、言うことを聞かない。

「やぁぁん、優人抱っこぉぉ」

対して、優人はいたってクールだった。

「晴人、うるさい」

「優人ぉ」

「ぼーさんが護符持っているんだから、変なのついてきてないだろう?少し大人しくしていろ」

騒ぐ弟に視線を上げようともしない。 

――― ここにこれだけ愛を注いでいるおじちゃんがいるってのに・・・

滝川は手の内で大暴れする晴人を抱え、微妙な気分で電車を待った。

  

 

 

ようやく到着した電車に乗り込み、座席につくやいなや、晴人は飛びつくようにして優人の胸にダイブした。

衝撃でむせる優人にお構いなく、晴人は途端に機嫌を直し、小さな顔に満面の笑みを浮かべ、首筋に齧り

つくようにして頬を寄せた。 

――― こうして見ると、本当に子どものナルが子どもの麻衣を抱っこしているみたいだな。

2人のすぐ隣に腰をおろしながら、滝川はそう一人ごちた。

絶世の美人と愛らしい少女を写したような子どもらは、並べて見るとその愛らしさを倍増させる。

自然集まる周囲の視線に、滝川はくすぐったいような誇らしさと、何とも言えない懐かしさを胸に感じた。

彼らの両親にしても、雑踏の中では否がおうにも視線を集めていたものだ。

「優人v」

満足げに兄を見上げる弟に、兄はようやくその綺麗な顔に微笑を湛え、はしゃぐ弟を声を潜めて注意した。

 

「Be quiet a little . (少し静かにしろ)」

 

周囲の者にわからないように、声を潜めて囁かれ言葉に、晴人はくすぐったそうに笑い声を上げた。

その笑い声に優人は明らかに困惑の表情を浮かべ、晴人の耳元に口を寄せてさらに言い募った。

「Were not you known? (聞こえなかったか?)」

「I understand it . (わかってるもん)」

「Reary? (本当に?)」

「Of course ! (もちろん!)」

「It is a good child . (いい子だ)」

そして優人は晴人の栗色の髪にキスをし、晴人は照れる様子もなく、くふん、と、愛らしく笑った。

 

 

 

子どものすることだ。

  

 

 

そうは分かっていても、その様はまるで恋人同士の睦言のように甘い光景だった。

思わず赤面する周囲の視線を感じ、滝川はひくりと口元をゆがめ、頭を叩きつけたくなる衝動を堪えた。

優人はそんな滝川の視線に気が付き、晴人から滝川に視線を転じた。

そして、そこに嫉妬まじりの顔色を見つけると、優人は愉快そうに闇色の瞳を輝かせ、にやりと口の片端を

吊り上げた。

その悪魔の尻尾が見え隠れする、見覚えのある笑顔に、滝川は一人喘息した。

 

 

――― 本当にコイツは親父そっくりだ。

 

 

滝川は優人にとって最大の嫌味を口にするべきかどうか、結構真剣に検討した。
 
  

  

  
 
 

 

言い訳・あとがき

今ご協力いただいている、期間限定アンケートにおいて、かなりリクエストの多かった『未来編のつづき』

温めたっきり書いてなかったネタが一本あったので、書いてみました。

一回やりたかったぼーさんVS優人デス。