落下する僕の機嫌に反応したように、腕の中の息子が突然泣き出した。
見る見るうちに顔が真っ赤になる息子を見下ろしていると、横から麻衣が手を伸ばした。
「ごめんごめん。ママがやったことだけど・・・寒かったねぇ。怖かったよねぇ?」
麻衣は顔をくしゃくしゃにしながらそう言って、僕から息子を受け取ると体を揺すりながら立ち上がった。そうしておぼつかない手つきでなんとか息子を泣きやませると、麻衣は見たこともないような穏やかな笑顔を浮かべて首を傾げた。
「この子はあたしがどうしても家族が欲しくて望んだ子で、ナルはあたしの願いを叶えてくれただけで、あたしはナルが子ども欲しくなかったことも、誕生日に無関心なことも、その理由もたぶん全部わかってるつもりだよ。だから私はナルに何を言われてもこのことでは傷つかない」
そうして嫌にきっぱりと言い切るとくすくすと笑った。
「あんたはあたしとマーティンとルエラのことを大切に考えてはいるけど、これ以上
" 家族 "
なんて必要としていなかったでしょう?」
言い訳するつもりもなければ、あえて口にすることでもなかったので黙っていたが、言語化すればその通りなので頷くと、麻衣はやっぱりねぇと肩をすくめた。
「それでもさ、ナルはこの子の顔を実際に見てどう思った?」
「人間が入っていたな」
「それだけ?!」
「後からバケモノだと判明するかもしれないが」
些か自嘲気味に、しかし気分の悪さそのままに
" 素直に "
言うと、麻衣はどうだろうねぇと息子を見下ろした。
「それならそれで、あたしらの子に生まれて良かったね。君はラッキーだよ。下手な迫害はされない」
「無責任だな」
「失礼な。責任感があるといって欲しい。ねねね、それから?それから?」
「なんだ?」
「Welcome!おめでとう!!って・・・」
「それはない」
「・・・・だよ、ね。でもさ!ちょっとは嬉しいとかさ。すごい!とかさ。一般的に言われるようないい気持ち。ナル的には想定外の気持ちにならなかった?」
だんだん熱を増す麻衣に反比例して、返事をするのも億劫になったので、僕は思考をやめて言葉尻だけただ繰り返した。
「想定外ではあったな」
しかし麻衣は安直にもそれだけで満足気に笑った。
「それで十分」
「・・・・随分、低い目標ラインだな」
呆れてため息をつくと、麻衣は鼻息を荒くした。
「ナルにそれを言わせるのがどれだけ大変かは、みんな知ってるよ」
"
みんな "
とは誰だと噛みつくのもバカらしく口を閉ざすと、麻衣は眠りそうな息子を気遣って声をひそめた囁いた。
「ナルの性格を変えようなんて思わないけどさ、こんな風にして私はナルの人生はあんたの想像以上だってことを教えてあげられるよ」
「余計なお世話」
「意外に楽しいかもよ?想像以上の人生って」
「間に合ってます。むしろ邪魔。妨害するな」
「残念ながら私と結婚した時点で拒否権はありません」
麻衣はそう言うと、静かに後ずさり、悪趣味な白いレースに囲われたベビーベッドに壊れものを預けるように息子を寝かせた。そうしてそれを潮に僕が部屋を出ようとすると、耳元に口を寄せて、キスの代わりに呪いの言葉を吐いた。
「死ぬまでには、
" 誕生日おめでとう "
が嬉しいって実感させてあげる」
人気のない自宅に帰宅すると、嫌に喉が渇いていたことに気がついた。
キッチンに入りケトルに水を注いでいると、それまで存在にすら気がつかなかった麻衣用の壁掛けカレンダーが目についた。
水彩画の挿絵のついたカレンダーには、太いマジックで出産予定日や病院の電話番号、緊急連絡先、妊娠週数や体重が細かく書き込まれていて、何が重要な情報なのか全く分からないしろものになっていたが、その中に埋もれるようにして僕の誕生日が書き込まれていた。
浮かれ気味の、奇妙な吹き出しのついた9月19日を眺めていると、無人の部屋の沈黙がさらに深くなっていくような気がした。
誕生日が個体識別記号以上の意味を持ったのは17の時。
前年に同一の誕生日を持つ双子の兄が急逝したため、その年から年齢は兄との時間的距離を測るものとなった。
あの年から何年。
あいつと別れてもう何年。
生き残ってから、何年経過した、と。
あの年から新しい年齢を言われる度、無意識に計算をするようになった。
お陰で誕生日を祝われる度に、命日を祝われているような奇妙な気分になる。
全く理屈の通らない話なので口外したことはないが、これが現在の僕の誕生日のイメージだ。悲しいなどと思うことはないが、愉快でもない。少なくとも以前よりはずっとイメージが悪い。
しかし、何も知らない麻衣は平気で神経を逆撫でる。
あいつが僕を喜ばせようと毎年策を弄して、毎年僕を怒らせていたように。
ふっと、口元が弛んだ。
そう、麻衣が目指すまでもなく、あいつこそ同じ誕生日を臆面もなく騒ぎ立て、祝われば素直に喜び、無関心の僕を巻き込もうと麻衣同様やっけになっていた。
沸騰した湯にせき立てられるようにして顔を上げると、カーテンをひき忘れた窓ガラスに映る自分の顔が視界に入った。年相応の老化はしたが、大きく変わっていない容姿にはまだ、あいつの面影が残っている。
無表情にしていれば、誰も見分けがつかなかった。
「皮肉なものだな、ジーン」
その顔に向かって、僕はかつて親しんだ方法で語りかけた。
《
お前のせいで、僕を喜ばせるのはさらに至難の業になった
》
《
泣かせないように上手に教えてやって、麻衣を諦めさせてくれれば感謝する
》
無論、返事はなかったが。