1年前のクリスマス直前。
クリスマス準備で賑わう街中で、古くなったトラックが暴走して歩道に突っ込んだ。
3人の歩行者を巻き込んだこの事故は地元誌にも大きく取り上げられた程の大事故で、ママは巻き込まれた被害者の一人だった。
ママは一時は意識不明の重体になったが、幸いにも一命をとりとめ、意識を取り戻すことができた。
けれど全快には至らなくて、こんな後遺症が残ったのだ。
 
 

:::::: SECOND 未来未来

 

もともとのママは太陽みたいに明るくて、いつも元気で風邪一つひかないくらいの健康な人で、よく笑い、よく泣く、くるくると表情の変わる、いわゆる愛嬌のあるタイプの人だった。
そんな姿を知っていると、今の姿を見るのは胸が潰れるように苦しい。
けどきっと誰よりママ自身が辛いんだと思う。
  

うまく家事ができない。
言葉が出てこない。
ままならない。

 
そうしたストレスが度重なると、ママは火山が噴火するように爆発する。
自分の感情がコントロールし切れないのも後遺症の一つだと言われた。
それが影響しているのか、ママは子どもが癇癪を起こすみたいに泣き喚く。
そうしてその矛先はどんな原因があるにせよ、大概はいつもパパに向けられていて、ママはそうなるといつも決まってパパの名前を呼ぶ。

  

 
「ナル!ナぁぁル!!!」
 

 
 
怒っているように、
泣いているように、
それでいて懇願するように―――

ママは一心にパパの名前を呼ぶ。
ここまで追い詰められてようやく分かる。
明るく元気なママは他人に頼ることが苦手で、そんなママが唯一無心に甘えられる人がパパだってこと。
それは子どもの僕から見たら、結構新鮮な驚きだったのだけど、パパを含む周囲の大人たちはそんなこととっくの昔に知っていたみたいで誰も驚きはしなかった。
パパはいつだってその悲痛な悲鳴のような声を聞きつけると、無言でママの側にやって来て、必死に不満を訴えようとするママを問答無用で抱きしめ、高い声で泣き喚いて暴れるママの自由を奪う。
その度ママは更に大爆発を起こして不満だと暴れる。
パパの腕に爪を立てたり、酷い時は肩に噛み付いたりするけど、パパは顔色一つ変えずにそのままママを拘束し続け、ママが落ち着くまで無言でひたすら待ち続ける。

  
もともと僕のパパはとても無口で、珍しく口を開いても人を怒らせるようなことしか言わない。
基本的に自分の仕事以外をないがしろにしがちで、家族なんてその際たるもののように振舞っていて、元気な頃のママの心配事なんて全く聞く耳持っていなかった。
お陰で僕のお兄ちゃん、自分の息子に仇のように怨まれたりもしている。

 
 
と、書き出すと悪口ばっかりになりそうだけど、パパは別に悪人だってわけじゃない。
顔が人並み外れて綺麗だとか、ずば抜けて頭がいいとか、そんなチープな価値をひけらかす必要なんてないくらいにパパだっていい所はある。
ママを愛しているし、僕とお兄ちゃんのことだって守ってくれる。
ただその表現が極端におかしいってだけなんだ。

 
だからパニック状態のママに応じる態度だっていつだって強引で、優しい言葉の一つだって聞いたことなんてない。
けど、それは何もヒステリーを起こすママに手をこまねいてしているわけではなくて、それがパパのやり方なのだ。パパは変わっていない。事故の前でもきっと、パパは無表情に、無言でママを抱きしめるだろう。
パパはそういう人だ。
変わらないその繋がりみたいなものが、不安定なママを一番安心させる。
そうして腕の中に閉じ込められて、ママはその時の体調によって時には長く暴れたりするけれど、いつだって最後には落ち着きを取り戻して、ぽろぽろと大粒の涙を流しながらパパを見上げて頬摺りする。
そうすると、パパはパパにしてはとっても珍しい、ささやかな笑みを浮かべて尋ねる。

 

「浮上したか?」
「・・・・した」

  

そうしていつもいつも、まるで呪文みたいに同じことを言い合って、最後にママは本当に嬉しそうににっこりと微笑む。
その光景はいつだって儚いまでにきれいで、僕は何故だか泣きたくなる。
そうしてその一方でこの2人の邪魔だけはしたくなくて、そういう事態になったらすぐ、僕は席を外すことにしている。
生粋の日本人のせいか、ママはとてもテレ性で、息子がいるとどんなに苦しくとも意地を張ってパパに上手く甘えられないからだ。
パパもそれを分かっているから、僕が不自然にならないようにリビングから廊下に移動したりすると、ドア越しに僕の顔を見やって目配せする。
その視線はパパが僕を子どもでなくて、一人の大人の男として見てくれるような気がして、僕は少しドキドキする。
僕はもう随分大人だけど、パパが求めるレベルにあるのかどうかはまだ全然自信がない。
だからいつもドキドキしてしまう。