その日もリビングを脱出してエントランスホールから階段に向かおうとすると、タイミングよくドアが開いて優人が帰ってきた。
僕はそこでくるりと方向転換して、小さく声をかけた。

「おかえり、優人」
「ただいま、晴人。早かったんだな」

3つ年上の僕の兄はそう言うと、ちょっと疲れたような顔で僕の頭を撫でた。

 

:::::: Thrid 未来未来

 

優人、僕の兄。
彼は未だに無意識だと僕を3つくらいの子どものように扱う。
小さい頃から水泳で身体を鍛えている優人には適わないけど、僕だってもう14歳で、背だってそこそこ伸びているのに。
それがすっごくイヤだった時期もあったけれど、便利なことも多いから、とりあえず今は甘んじてその立場に収まっている。
優人にとっての僕は、大好きなママそっくりの小さな弟。
命に代えても守るべきエンジェルらしい。
世の中のほとんどの男がそうあるように、興味のないことには冷徹な優人にしたところで、自分のエンジェルには甘い。
にっこり笑えば、優人もパパそっくりの無表情なりに微笑んでさえみせる。
そしてすぐに無意識にママを探す優人を、僕は指を立てて制止した。

「ママはパパとリビングだよ」

その単語に優人はひっそりと眉を潜めた。

「・・・・またヒステリー?」
「そう、2人のラブタイムなんだから邪魔しちゃダメだよ?」

優人は不本意そうに顔を顰めつつも口をつぐんでリビングとエントランスホールを繋ぐ硝子扉越しにその中を窺った。
リビングには暴れるママとそれを羽交い絞めにしているパパがいる。
人の気配に敏感なパパはとっくに優人の帰宅が分かっていて、ママを強く抱きしめながらその肩越しに優人を見遣り、お互いの視線が合った。
傍目には暴力的にも見える光景だけど、それが実は大事なヒーリング行為だってことは、家族で一番鈍い優人にも分かっている。

「ラブ・タイム?」
 
だけどそれ以上に、パパは遠慮する息子のメンタルまで分かっているから、口の端を歪めて揶揄しながら、さして関心もなさそうに窺う優人の顔を見返したまま、パパはママの肩越しに、シニカルに微笑んで見せた。
特別なキスよりも自分の笑顔の方が説得力があると、分かっていてやっている意地の悪い笑顔。
そんな笑みを浮かべるパパに向けて、優人はパパ以上に冷ややかに微笑みながら
  

   

「ラブ・ショーの間違いだろう?」

 

 
そう履き捨て、そのまま背を向けて二階の自室に引き上げて行った。

 
優人はもともとシンプルな性格をしている。
好き嫌いがハッキリしていて、ママが好きな優人にとって、パパは最大のライバルだ。時にはそれは大丈夫なの?って弟の僕が心配になるくらい酷い。

 
でもあの事故以降、この優人の最大の矜持も少し変化している。
今はパパとママの分かりづらい愛情の存在を、口ではボロクソ言っているけど、心では信じかけているのかもしれない。
だから文句を言って立ち去る後姿も、前だったら本当に鬼気迫る感じだったけれど、今はどこか誇らしそうに、嬉しそうにも見える。
そんな優人の変化を見るのは少し照れ臭い。
でも、悪くはないと思う。