勤め始めて気が付けば3年目、水澤香奈は今年で25歳になる。
宅地開発を得意とする大手不動産会社にそれなりに努力をして入社し、その後も頑張ってそこそこの成績を出してきた。急な欠員から、高級レジデンスを売りにしたマンション開発部門に回されたのも悲観する人事ではなかった。
けれど、蓋を開けてみればその人事は大変お粗末なものだった。
再開発地区に指定されたそのエリアには、地元では幽霊スポットとして有名な廃墟となった工場跡地があった。
現地に大型タワーマンションを建築したい会社は、手頃な大きさを一挙に獲得できる跡地に目をつけ、早速土地の買収にかかり地盤調査を始めた。
しかしその担当になった社員が次から次へと怪我に見舞われ、欠員ができたのだ。
地盤調査を依頼した子会社でも、計器トラブルが多発し問題となった。非科学的と口に出すのも憚られるが、関係者はこれも幽霊スポットのせいではないかと疑いを持ち始めていた。ともかく、そのおかげで現実的に計画は遅々として進まない事態となっていた。
このままでは埒が明かないと、責任者の部門長は対処方法として心霊調査を手配した。
調査をして問題がなければ事態は進むだろうし、問題があればお祓いなりなんなりすればいいという、安直というか、迷信深いというか、極めて現実感の薄い対処方法だ。
一旦は判断を下した部門長もやはり後ろ暗いのか、その調査は表立って行われず、社内でも一部の人間しか知られていない。
そして配属されたばかりで固定の仕事のない香奈に、その担当が一任されたのだ。
調査依頼は済ませてあるので、担当の仕事は現地調査のアシストと報告。
期間は2週間。
求められるのは、説得力ある解決ただ一つでそれ以外はない。
他言無用の言わば押し付け仕事だ。
新しい同僚も気の毒そうな顔をするだけで手も口を出しては来ない。
今日が心霊調査事務所とやらが調査を始める初日。
香奈にすれば初顔合わせだというのに、同行する上司もいない。
現実感のない仕事内容に、薄気味悪さも手伝い、香奈のやる気は最初からわかなかった。
キャリアにも繋がらない時間潰しの、もっと言えばステップアップに悪影響すらありそうな仕事だ。しかして上昇志向の強い自分が仕事を断れないこと、悪戯に口外することがないことまで見越した采配はうまいと言えなくもない。
25歳の小娘。社内でそう軽んじられているのもわかる。
これで呪いとやらが自分にも降りかかったら笑い話にもならない。貧乏くじもいいとこだ。
待ち合わせの工場入口に車を横付けすると、そこには既にバンと乗用車が停まっていた。
とりあえず溜息は車内に捨て置いて、香奈は気合を入れて勢いよく運転席のドアを開けた。
同時に停車中の2台の車から4人の男が降りてきた。
タイミング的には間違いなく調査会社とは彼らのことだろうが、年老いた神主もどきが出てくると思い込んでいた香奈は、正直彼らの出で立ちに驚いた。
彼らは予想の半分もいかないほど若く、誰も祈祷やまじないの類を想像させる格好をしていなかった。一番背の高い男と背の低い男は映画から抜け出したような全身黒づくめで、他の一人はぎょっとするほど派手な出で立ちで、もう一人はどこにでもいそうな大学生風の男という、控えめに表現してどうして一緒にいるのか理解に苦しむ団体だった。
別な意味で胡散臭いが、最近の流行りはそんなものなのかもしれない。
営業用の笑顔を貼り付け、香奈は慇懃に頭を下げた。
「初めまして、___不動産レジデンス担当の水澤です」
顔を上げ、香奈はそのまま驚きで目を丸くした。
挨拶に応じたのは4人の中で一番背の低く、年若い男だった。
「渋谷サイキック・リサーチ所長の渋谷です」
その人は幽霊なみに現実感のない、ぞっとするほど綺麗な顔をしていた。
真っ黒な髪は濡れたように艶やかで、きめの細かい肌は陶器のようにすべすべしていて、その造りはまるでそのだけ異世界のように、思わず見惚れる程の美貌だ。 しかし仕事相手にまさか顔に見惚れましたとは言えない。 「では、現地をご案内します」 動揺を悟られないように、ならべくビジネスライクな口調で説明をしつつ、香奈は4人の調査員を工場事務所跡地に案内した。 「電源は確保してあります。むしろ問題はまともな屋根のついた場所がないということです。そこでご要望の機材置き場はお手間をかけますが、こちらの地下室を考えました」
資材置き場だった地下室は十畳ほどのコンクリート打ちっぱなしの無機質な部屋だった。
地下といっても半地下なので、天井付近にははめ殺しの窓があり、そこから地上のわずかばかりの光が入る。
「出入り口はここと奥のドアの2箇所です。奥のドアは昔の作業場に続いています。そちらも地上に出る場所に鍵があって、どちらもこの鍵で開きます。スペアは2本。マスターキーは私が管理しますので、スペアをお渡しします」
香奈の説明中、調査員のうち一番派手な格好をした男がひょいと顔を出し声を上げた。
「うぇぇ、なんかカビ臭いねぇ」
横に立たれるとその男が意外にガタイのいいことが分かり、反射的に身がすくんだ。香奈は咳払いして誤魔化しつつ、幾分上ずった声で釈明した。
「ずっと締め切っていたようですので・・・」
「窓・・・あれ、開かねぇのかな?よぉ、リン届く?」
派手な男は香奈の動揺には気が付かず、そのままマイペースに最後に入ってきた全身黒づくめの陰気そうな背の高い男に声をかけ、自分で声をかけておきながら返事を待たずに頭を傾げた。
「リンでもやっぱ無理かなぁ」
「はめ殺しのはずですので開かないと思います。換気ならドアを開け放った方が早いかもしれません」
「ん〜〜ま、そうだねぇ。なぁナルちゃんベースはここってコト?」
そうして派手な男は所長と名乗る恐ろしく綺麗な、こちらも黒づくめの男を呼んだ。
「そうなるな」
「広さ的には十分だけどよぉ。今回はここが兼仮眠所?寝心地は悪そうだなぁ」
派手な男が大げさに溜息をつく横で、所長の渋谷は我関せずといった風で香奈に質問を重ねた。
「電源は自家発電機になりますか?それとも事前にあった電力施設の復旧でしょうか?」
「あ、はい。以前工場として使用していた電線を再利用しています。各部署でブレーカーは落としてありますので、使われる際はブレーカーを上げて下さい。施設自体とても古いので、ブレーカーを上げても断線している所もあるかもしれませんが」
「構いません。見取り図と配電図は」
「こちらに準備してあります。それから当社で調査した地盤調査結果も途中までですが持ってきてみました」
なんてことのない確認事項ですら、この所長が話すと意識が上滑る。
顔がいいだけでなく、この男は声までいい。
耳が赤くなるのを自覚しつつ香奈が急ぎ図面を取り出すと、にこにこと愛想のいい男が横から手をだし受け取った。そして手際よく図面を広げ、男はにっこりとほほ笑んだ。
「さすが不動産屋さんですね。完璧な見取り図です。これは仕事が早くていいですね。助かります」
香奈が思わずほっと安堵の溜息をもらすと、愛想のいい男は浮かべていた微笑みを一段優しくして微笑み返した。
緊張とあいまって、なんだか気忙しく進行していた中で、この男の感謝の言葉と笑顔は香奈を随分安心させた。そしてそうなってから香奈は自己紹介を失念していたことを思い出し、カバンの中から名刺入れを取り出した。
「申し遅れました。わたくしが今回の担当になります水澤香奈です。会社への窓口は私一本になりますので、不足がありましたら全て私の方にご連絡ください。このような調査は初めてなのでどのようなものが必要になるか全くわかりませんが、毎日こちらに伺える時間は確保してあります。どうぞお気軽にご相談ください」
会社用携帯番号が記載された名刺を渡すと、所長の渋谷は頷き、首を傾げて周囲に視線を回させた。
最初に陰気そうな、見上げるほど背の高い男が初めて口を開いた。
「メカニックの林興除です」
次に先ほどの愛想のいい笑顔の絶えない男が頭を下げ、
「アシスタントの安原です。よろしくお願いいたします」
最後に派手な男が自己紹介をした。
「滝川です。俺が今回調査依頼の窓口になった高野山の元坊主です」
最も神社仏閣が似合いそうにない男の意外な自己紹介に香奈が面食らうと、滝川と名乗ったその男は愉快そうににやりと笑い返した。
「今回の調査は以上4名で開始します。しばらくは通いで調査を行いますが、必要に応じて泊まり込みなども行います。また場合によっては協力者を呼ぶこともありますので、人数は前後しますがこちらの部屋をベースとして、日中は必ず誰かがいます」
よろしく、と、言われて初めて、香奈は渋谷がにこりとも笑わないことに気が付いた。
綺麗過ぎて、笑う必要もないのかもしれない。
それが幽霊調査に何の関係もないことは確かだろうが、一緒に仕事をするのに悪いことではない。少なくとも無愛想なおじさん相手よりずっといい。
何にせよ、たった2週間のことだ。
香奈は不安も不満も好奇心も全部ないまぜにして、その一言を自分に言い聞かせ、にっこりとほほ笑んで見せた。
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