「こんにちは、水澤さん」
ドアを開け、出迎えてくれたのは安原だった。
開け放ったドアの先の室内には、大量のモニターと機材がびっしりと並べられ、さながら秘密基地の様相を呈していた。モニターの前ではリンが黙々と配線をし、さらに機材は増えている途中のようだった。
「すごい・・・・今時はこんな風にするんですねぇ」
香奈が感嘆の声を上げると、安原は苦笑した。
「渋谷サイキックリサーチは心霊調査事務所ですので、一般的な拝み屋さんとは随分違うと思いますよ。所長曰く、意味合い的にはゴーストバスターの方が近いそうですから」
「ゴーストバスター?」
「はい」
「なんだか・・・映画みたいですね」
「そうそう、マシュマロマンの」
安原はそう言うと気安い笑みを浮かべたまま、香奈にパイプ椅子をすすめた。部屋の隅にはパイプ式のソファベッドが2台とパイプ椅子に小型テーブル、電気ポットまで並べてあった。
香奈は会釈してからすすめられたパイプ椅子に腰を下ろした。
すれば所長からなんらかの報告や相談があるかと思いそちらを窺ったが、所長は手元の資料から顔を上げることもない。本当に愛想のない美人だと感嘆ともつかない感想を持ちながら、気づまりに周囲を覗えば、安原が間を持つように話しかけてきてくれた。
「まだ具体的な調査は始まっていないんですよ。まず最初のベースの設置をしている最中なので、本格始動は今夜からになるそうです。ですからまだご報告することはないんですが・・・・まぁお茶でもいかがですか?今回はお茶くみ当番のスタッフがいませんのでインスタントですが」
「お茶くみ当番?」
「僕と同じアシスタントです。通常は一緒に調査に入るんですが、今回は大切な試験が重なりまして調査に来れなかったんです。まだ学生さんなので、学業優先ってことで」
安原は笑いながら紙コップにティーパックを入れ、熱いお湯を注いで香奈に手渡した。
「・・失礼ですが、安原さんも随分お若いように見えますけど・・」
「あ、そう見えます?嬉しいなぁ。院生なのでまだ学生の雰囲気が残っているのかもしれませんけどね」
「院生?というと・・・22歳?」
「もうすぐ24になります。アルバイトでこのお仕事をお手伝いさせてもらっているんです」
アルバイト、という単語に香奈が反応すると、顔に出したつもりはないのに安原はすぐに弁明した。
「正規の調査員は所長とリンさんの2名です。この2名は専門家で学識も広い。調査経験だけで言えば、バイトといっても僕ももう一人も何年も手伝っていますし、滝川さんのようなイレギュラーの協力者も専門家ばかりなのでご心配には及びません」
香奈は誤解をまねかないように急いで頷き、いれられた熱い紅茶に口をつけた。
それを見計らうように安原は手元のコードをくるくると束ねながら話を続けた。
「水原さんも随分お若いですよね。若い女性が一人で担当されるなんて、ちょっと驚きました。これまでも調査で不動産屋さんにはたくさんお会いしたんですが、みなさん中年以上の男性ばかりでしたから」
社内で面倒事を押し付けられたのだとは言えず、香奈は誤魔化すように首を傾げた。
「若いといってもフレッシャーズではありませんよ」
「ああ、そうでしょうね。水原さんしっかりなさっていらっしゃいますし、でなければ一人で現場を任せるなんてされないでしょうしね。社会人デビューして、僕がすぐこんな風に対応できるかというとちょっと不安です」
「そうですかぁ?」
気安い安原の口調になじんで香奈も砕けて話しかけると、安原は嬉しそうに微笑んだ。
「年齢は同い年、24歳ってところでしょうか」
「おしい、25歳です」
「あ、よかった」
「?なんでですか?」
「同級生でこれだけ仕事ができると差をつけられては、僕ちょっとショックです」
微笑むと眼鏡の奥の目元が弧を描き、ますます人が好さそうに見える。
初対面では所長の圧倒的な存在感に消し飛んでいたけれど、よく見れば彼だって十分かっこいい。社内にいたらそこそこの人気は出るだろう。
香奈が安原の品定めをした正にそのタイミングで、背後から大声が上がった。
「ああぁーやらしいのぉ。何口説いてんの、少年〜〜。言いつけてやろっかなぁ」
あまりのタイミングの良さにびくりと肩が震えた。声の主は今日も今日とてロッキンな出で立ちの派手な男、滝川だ。
内心を見透かされたようで、瞬間的に耳の端が熱くなった。
同時に落ち着けと理性がギュッと拳を握らせる。
香奈はにっこりと形容詞が付きそうな営業用の笑顔を浮かべ、余裕たっぷりに微笑み返そうとした。しかしその一拍前に、正面の安原がはちきれんばかりの胡散臭い満面の笑顔を浮かべた。
「いやぁ嬉しいなぁ。のりおったら妬いてくれるんですかぁ!」
ぎょっとして固まった香奈を余所に、安原はくふ、と小さく笑った。
「大丈夫ですよ。どんな美人がいても、僕ののりおへの愛は変わりませんから!!」
背中に薔薇でも背負いそうな勢いで、うっとりとセリフを読み上げるようにした安原に対して、ちゃちゃを入れてきたはずの滝川はげんなりと肩を落とした。
「おい、やぁ」
「いいですねぇ。やっぱり恋愛の醍醐味は嫉妬心ですよねぇ」
「にゃにが嫉妬心だ!誰が誰にだ!!!?」
「やだなぁそれを僕が言ったら単なるのろけじゃないですかぁ」
「何がどう間違ってそういう解釈ができるんだ!?」
悶絶の様相でのた打ち回る滝川を横に置いて、安原はくふくふと嬉しそうに笑いながらしなを作った。呆然と見上げれば、安原にはすかさず気づいて目くばせされ、そのいたずらっ子のような愉快そうな表情で、香奈はようやく我に返った。
「安原さん・・・」
「はい?」
「安原さんと滝川さんって恋人同士なんですか?」
「いやぁそう見えます?僕としてはかねてからそうなってもやぶさかではないと・・・」
「違ーーーーーーーっっっ!!!!」
次の悲鳴はもはや笑いのタネにしかならなかった。
「お暇そうですね」
騒がしかったその場は、涼やかなその一声で静まりかえった。
バツが悪く恐る恐る振り返ると、そこには資料を読み終え、腕組みしてこちらを静観していた所長がいた。
涼やかな視線がいっそ冷たい。
美人って怖い。
香奈がそんなことを実感している中、所長は溜息をひとつ落としてわずかに顎を上げた。
「そろそろ気温とカメラワークの確認が必要な時間ですが、無駄話に花を咲かせるほどお時間が有り余って仕方がないようでしたら、お手伝いいただけませんでしょうか?」
慇懃無礼とはまさにこのことだろう。硬直する香奈を余所に、滝川は頭をかきながら、安原は満面の笑みを浮かべて即答した。
「しょうがねぇなぁ・・・」
「喜んで」
2人は言うが早いかそれぞれに平面図や機材を手に、所長から2、3の指示を仰ぐとすぐ屋外へ出て行った。それを見送るとすぐ、所長は香奈の方に向き直った。
昨日の出で立ちと酷似した頭のてっぺんから足のつま先まで真っ黒で武装された所長は、闇からにじみ出てきた悪魔のように、ぞっとするほど美しかった。
正面で見据えるには、やはりちょっとどころでなく心臓に悪い。
何だってこんな人がこんな場所でこんな仕事をしているのか。
「お願いしたいことがあります」
「・・・え?あ、あぁあはい!」
「今回の被害に遭われた方から直接お話が聞きたいのですが」
その人がなぜ自分に話しかけているのか。
香奈は平凡だと思っていた自分の人生に突如降りかかってきたアクシデントの不思議に、今更ながら首を傾げつつ、ごく事務的に要点を告げる所長に感じよく受け答えた。
「では場所はどこでもかまいませんか?」
「ええ、僕が出向きます」
「それでは弊社の社員については本社での会議室で、調査事務所についてはこちらか、いずれかの場所での面談時間を設けます。ええっと、弊社の場所はお分かりになりますか?」
「いいえ」
「それでは私がお迎えにあがります。時間の調整に少しお時間いただきますので、お返事は明日か明後日で構いませんでしょうか?」
「結構です」
「承りました。それでは本日はこれで失礼いたします」
少しビジネスライク過ぎたか。
そんな危惧を持って顔を上げると、所長と目が合った。
深く澄み切った綺麗な瞳に瞬間的に吸いこまれそうな気分になる。
表情のなかったその綺麗な顔は、会話の最後で心なしか満足気に微笑んだように見えた。
そんなわずかな笑顔で、自分でも驚くほど舞い上がる自分がいた。
香奈はにやけそうになる顔を無理やりこわばらせ、忙しいふりをして早々に地下室を後にした。
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