「モデルかなぁ、あの人すっごいかっこよくない?」
「ねぇ・・・本当にきれいな男の人ぉ。あんな人本当にいるんだねぇ」
「でもちょっと怖そう」
「そこがいいんじゃない!黒の上下がまた似合ってるね」
ヒソヒソと囁かれる何やらよく聞くフレーズに、滝川はついっと車内を見渡した。
夜10時の電車内はほどよい乗客率を維持している。
ぐるりと見渡すには不都合のない環境だ。
そこで滝川は労せず目当ての人物を車内で発見し、狭い車内を縦断した。
人ごみの中でも一際目立つ美貌の御仁は、つり革に手をのせることもなく、直立した姿勢でペーバーブックを読んでいた。
「よぉ、ナル」
滝川が声をかけると、漆黒の美人は挨拶を交わすでもなく、ちらりと億劫そうに視線だけを這わせ、その視線も滝川を確認するとすぐ手元の書籍に戻された。
ともすれば無愛想極まりない反応ではあるが、それはそれ。かの人物の性格を鑑みれば視線を動かしただけ上出来だろう。
滝川はそれで十分とその横に擦り寄った。するとその美人の横からちょこんと小さな頭が飛び出し、その人物は滝川の顔を見るなりぱぁっと花が咲くように微笑み、高い声を上げた。
「ぼーさん!」
影になって見えなかった愛娘の突然の出現に、滝川も露骨に相好を崩し、満面の笑みで声をかけた。
「よぉ、麻衣。今帰りか?」
「うん」
「二人で電車なんて珍しいな」
「今日はリンさん用事があるって先に帰っちゃったの。だからナル電車苦手なんだけどね。やむを得ずこうなったの」
「ふぅん」
「ぼーさんも今帰り?」
「いや、俺はこれから本業のお仕事なんだよ」
「これから?もう10時だよ?」
「なんだけどねぇ、これからスタジオ詰めなのよ。本当はもう少し早い時間からだったんだが、前のスケジュールが押しててな、すっかり遅くなっちゃったんだよ」
「へぇぇ何か売れっ子みたい」
「失礼な・・・人気あるのよオレ」
つり革にぶら下がりながら楽しげに話す親子を、注目のきっかけとなったはずの美人は完全に無視して本の世界に没頭していた。それでも集まる周囲の視線に気が付き、滝川は麻衣に笑顔を向けながらも、ちらりとその姿を盗み見た。
当年とって20歳になります漆黒の美人、オリヴァー・デイビス博士は、雑多な日本の公共交通機関の中でもその美貌を損なわず、逆にその魅力を遺憾なく発揮していた。
漆黒の髪、黒檀のような瞳、白皙の肌。
整い過ぎたその顔立ちは最近とみに凄みを増し、色香まで漂わせるようになっていた。
――――これであの性格だっつうんだから、サギだよな。
もしくはこの容姿だからこそ、か。滝川はそんなことを考えつつ、ふと、怖くてつっこめないまま現在に至る出来事を思い出し、苦悶した。
それは数ヶ月前の調査中の出来事。
その時、滝川にとって確かに衝撃的な出来事が起きたのだ。
たまたま朝早く目が覚めた滝川は、たまたま早朝に散歩なんてして、たまたまこの美人な博士とかわいい愛娘のキスシーンを目撃してしまったのだ。
キスシーン―――――それが意味するものを、この生臭坊主が知らないわけがない。
しかし相手は曲者博士と、目に入れても痛くないかわいい愛娘。
脳みそが拒絶反応を起しても仕方がないことだと思う。
しかもその日のうちに滝川はこの美人から無言の圧力をかけられていた。以降・・・眠れぬ夜は数知れない。しかし、うなされながらもそれを確認する勇気が、滝川には、まだ、ない。
こうして二人仲良く(?)帰宅する姿だって、実を言えば心が痛い。穢れを知らない愛娘の男関係を、好んで知りたがる父親はこの世に存在しない。つまりそういうことだ。
突然真っ黒な息を吐いて黙り込んだ滝川に、それまで軽口を叩いていた麻衣は首を傾げ、ついっと滝川の袖を引っ張った。
「どうしたの、ぼーさん?」
――――こんなに可愛いのに・・・・
滝川は潤みそうになるまなじりを押さえ、何でもないと笑ってその場を誤魔化した。そして、気がつかなければ良かったことに気が付き、問わなければいいことを口に出した。
「ちょい待てや」
「う?」
「麻衣、おめぇん家はこっち方向じゃないだろう」
「う?」
瞬時に固まる麻衣を確認し、滝川はぎろりとナルを睨んだ。
「この方向はおめぇさんのマンションだよな?」
対する美人は視線を上げることもなく完全無視。
そこで滝川はさらに麻衣ににらみをきかせた。
「麻衣!」
「はっはい!」
「こんな時間からお前はナルん家に行くつもりか?」
「え・・・ええええええっとぉ」
「どういうことになってるんだ・・・・」
「いや、その・・・何が?」
「麻衣!怒らないからお父さんには正直に言いなさい」
「な、何でしょう・・・か・・・・・」
「お前ら付き合ってるわけ?ぶっちゃけどこまでいってんの?」
「ぼ、ぼ、ぼーさん!!!何言ってるのよぉぉぉぉ」
自然ボリュームアップする滝川の声に、周囲の視線が集まり、その中で麻衣がしどろもどで対応していると、涼やかな声がそれを制止した。
「食事」
「は?」と、間抜けな声と共に動きの止まる滝川を一瞥し、ナルはすぐに視線を落とした。
「これから食事に行く」
「・・・食事?・・・・今から?わざわざ電車で?」
「この先は新宿、××ホテルがある。あそこなら顔が利くし、僕が食べられるものもある」
さらりとのたまうナルに、滝川はぐっと息を呑んだ。
確かにこの先には、昔ナルとリンが長期滞在したホテルがある。あそこならば多少の無理も利くだろうし、わざわざ足を運ぶのも不自然ではない。
親バカモードが入っている滝川には、その回答は溺れる者への藁に匹敵した。父親としては少しでも健全なその話を信じたい!・・・ような気もする。だが、だが!だが!!
己が願望と現実の間で滝川がそれ以上の追求をためらわせている内に、ナルはさっさと読みかけの本を閉じた。
「と、いうことで、ここで降りる」
歯噛みしたまま有効な反撃に移れない滝川を尻目に、ナルは電車がホームに着くと同時に、ごく自然に麻衣の肩に手を回しホームに降り立った。
それを平和に見送りかけ、滝川ははっと我に返ると人目憚らず悲鳴を上げた。
「だからその手は何だっつうんだよ!!!!!!」
滝川の悲鳴を乗せて、電車は無常にも無事、発進した。
滝川を乗せた電車が走り去ったのを見送りつつ、降り立ったホームで肩に回された手を見つめ、麻衣は頬を染めたまま唇をとがらせた。
「本当に降りちゃってどうすんのよ」
その不満そうな顔を見下ろし、ナルは無表情でため息をついた。
「せっかくだから、本当にホテルへ食事に行くか」
「マジで?」
「顔が利くのは事実だ」
「でも滞在してたのは一年以上前じゃない。大丈夫かなぁ」
「すぐに忘れてもらえる顔はしていない」
ナルの言い草に麻衣は嫌そうな顔をしたが、直にくふんと微笑んだ。
「まぁいいや。ホテルで食事なんて豪華♪もちろん奢りでしょう?」
「言い出したのは僕だからな」
「わぁぁい」
素直に喜ぶ麻衣の肩を抱いたまま、ナルはちらりと電光掲示板に表示された曜日をチェックした。それは幸運にも月初月末にあたらないウィークデーを指していた。
「一部屋くらい取れるだろう」
「ん?」
「なんでもない」
そして別々の目的を胸に、2人は新宿副都心へ向かった。
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