は悪魔に違いない

 

 

 

早朝5時。

 
 
調査で訪れた別荘地はまだ冷たい大気に覆われていた。
喉の渇きを覚えて、滝川は目を覚ました。上着を羽織り、足音を忍ばせ階下のキッチンに向かうと、明り取りの窓からは白々と開け始める空が見えた。反対のホールから望む西の空はまだ暗く、白い満月が空に浮いている。
 
―――綺麗なもんだな。
 
その光景に誘われるように、滝川は勝手口から外に出た。
初秋を数える季節となった夜明けの野外は寒かった。肌寒い大気の中、林に囲まれた別荘は静寂に満たされている。滝川は煙草に火をつけ、肩をすくめてぷらぷらと歩き始めた。たまには早起きもいいものだと、美しい天空を仰ぎながらあてもなく辺りを散策していると、滝川は視界の端に、遥か前方を歩く小柄な女性の後ろ姿を捕らえた。状況が状況だけに、何か世にならざるものが見えたのかと滝川はいぶかしんだが、よく見ればそれは調査に同行していた 麻衣 だった。

―――こんな時間に?何かに引っ張られているのか?

ぼやけていた意識が急速にはっきりする。夢を媒体に様々なものを視る娘は、貴重な情報を得る代わりにトラブルにもまきこまれやすい。滝川は麻衣に気がつかれないように、それでもいざとなったらすぐに救助できるように、気配を殺して麻衣に近寄った。木の陰から木の陰へ、残り数メートルという所まで接近し、そこで初めて滝川は麻衣の先に黒衣の美人がいることに気がついた。

―――・・・なんだ。ナルと一緒か。

緊張から開放されて滝川は安堵した。が、すぐ不機嫌になった。朝っぱらから林の中で娘が男と二人っきりなんて、自称父親としてははっきり言って面白くない。しかもここからでは交わされている二人の会話の内容まではわからないので状況がさっぱり掴めない。すぐにでも間に割って入りたかったが、身を隠して中途半端な距離まで近寄ってしまったため、滝川は既にそのタイミングを外していた。

―――今、声をかけていいもんか・・・

一応の良識で滝川が煩悶している隙に、二人は会話をやめ、どちらからともなく互いを見つめ合っていた。その光景に何となく見とれていると、ふいに麻衣がナルの片手を取り、自身の左手と重ねた。

―――麻衣ぃぃぃぃ?!何やってんねんお前!離れなさい!ナル坊なんかの手ぇ握んな!

木陰で悲鳴を上げる滝川に反して、ちらりと見える麻衣の横顔は微笑んでいて、あろうことか対面するナルもその整い過ぎた顔に控えめに微笑を浮かべていた。滝川がついぞ見たことのない、優しさを含ませた静かな微笑み。そして、白い光の中で手を重ね合わせる若いカップル。

―――何、この雰囲気?

あまり考えたくない状況に恐慌状態に陥る滝川。
そんな父親の存在を知らないナルは麻衣の手を引き、もう一方の手で麻衣の後頭部を抱え込んだ。

―――やめろって

くすぐったそうに笑う麻衣にナルの顔が近づいて、

―――やめろや馬鹿ナル!

唇が重なった。







物陰から発せられた声にならない絶叫。



その僅かな気配にナルは薄く目を開き、麻衣と口唇を合わた姿勢のまま視線を移した。
ざわつく気配を探って視線を泳がせると、その瞳にちらりと見知った人影が写り、ナルは目を見開いた。
驚くナルと目が合って、滝川もまた凍った。これではまるっきりの出歯亀だ。しかも今更目を離すこともできない。さぁと音を立てて滝川の血の気が引いていく。


一方。


ナルは滝川の表情を見て取ると、瞬時に瞳から驚きを消しさり、開いた目を細め、不敵に口の端を吊り上げた。

―――! わ、笑いやがった?!

ナルはまるで誇示するかのようにその背に麻衣の姿を隠してキスを続けた。苦しいのか、麻衣は必死にナルの背中に手を回した。黒いシャツにしがみつく白い手は次第に首筋にのぼり、漆黒の髪に伸びる。その触れられた指を払うことなく、ナルはさらにきつく麻衣を抱きしめ返した。
父親としては最も見たくない禁忌。息を呑む子ども達のラブシーンに、滝川は眩暈を起しその場にへたりこんだ。正確に言えば、腰を抜かした。
ほどなくして顔を離した二人は、それから何事もなかったかのように僅かに離れ、間に2メートルほどの間隔を保ったまま歩き出した。離れて歩くその姿は恋人と呼ぶにはあまりにそっけない。しかしそれが普段の二人の距離だ。
『上司に懐く小さな部下』 それが二人にはよく似合っている。
そして、それは不可侵の領域であると、娘の父親は盲目的に信じていた。
そう、ついさっきまで。











「滝川さん、朝食ですよって起きて下さい」


滝川が次に目覚めた時、太陽は既に高く昇っていた。
いつの間に戻ったのかそこは別荘のベッドの中だった。涙でぺかぺかに乾いた目元を押さえながら、ジョンのやわらかな物言いに、滝川はぼんやりしたまま頷いた。

――― 夢? か・・・

それにしてはあんまりな夢だ。最悪だ。そこで我に返った滝川は急いで着替え、ばたばたと大きな足音を立てて階下に降りた。階段奥の食堂では既に他のメンバーが朝食を食べ始めていて、中にはまだ眠そうな麻衣と、無表情にサラダを口にするナルもいた。ナルの隣にはリンがいて、麻衣の隣には真砂子が座っている。そう、昨日と何も変わらないいつものメンバーのいつもの雰囲気だ。

――― 夢・・・だよなぁ。

「あ、ははははは」

突然の滝川の空笑いに、食事を運んできた綾子がびくりと肩をゆらし、軽蔑の眼差しで滝川を眺めたが、そんなものはどうでもいい。良かった。本当に良かった。あれは悪夢だ。と、滝川が安堵した瞬間、食事を終えたナルと目が合った。
ナルは一瞬間滝川を見つめ、僅か数ミリ顎を上げた。眉目秀麗な顔に、滝川だけに伝わるように僅かな表情が浮かぶ。ナルと滝川の間にホットラインは存在しない。しかし、小さく歪んだ口元の微笑みと物騒な双眸は雄弁に語っていた。



『 黙っていろよ 』



壮絶な悪魔の微笑みに、滝川は今度こそ息の根が止まった。







言い訳・あとがき

副題 「滝川さんの受難」です。 朝焼けちゅーとナルが顎上げて微笑む姿が書きたくて

出来上がったssなんですが、ナル麻衣同盟にUPしたら『早朝密会』と名づけられました。

そうか、これは早朝密会だったのか! したらば何故こんな状況になったのか?

滝川さんに追い討ちを掛ける状況説明SS。 読みたい方は こちら から。

2006年5月16日