日時的にアルバイトがいるものと決めてかかっていた真砂子は、その極めて珍しいシチュエーションに驚きはしたけれど、失礼にならないように動揺を丁寧に隠し、いつも目上の人間にそうするようにうやうやしく頭を下げた。
「お邪魔致しますわ」
対してリンは無言で会釈し、何の用で来たのかと尋ねるように首を傾げた。
用という用はない。
強いて言えばナルの顔が見られればという下心。
「ナルは所長室ですかしら?」
隠す気もなく尋ねると、リンは無表情のまま頷いた。
「麻衣もいませんのね。今日はお休みかしら?」
「どちらも所長室ですが、しばらくかかりますよ」
咄嗟に唇が尖る。
はしたない、と、着物の袖で覆いながら、ちくりと胸に刺さるその答えに、真砂子は僅かに顔を顰めた。
「何をしてらっしゃいますの?」
「谷山さんのトレーニングです」
「トレーニング?」
「トランスの訓練です。谷山さんは本人の意志によるコントロールができません。精度が上がってきているだけに、それでは今後の調査に差し障りがでるだろうということで、先月からトレーニングを始めたんです。自分の意志でトランスをし、自分の意志でラインを消せるように。まずは最低限ここからですね」
「ナルが相手をしていますの?」
「ええ」
「・・・意外・・・ですわ。確かに麻衣にはトレーニングは必要でしょうけど、前にサイキック能力の女子高生をトレーニングなさったのはリンさんでしょう?麻衣もリンさんに押しつけるのかと思ってましたわ」
真砂子の言い草にリンは軽く肩を竦めた。
「谷山さんのケースはナルの方が適任でしょう。ナルのサイコメトリ内容をそのまま見たりすることもありますし、ナルはユージンのトランス方法も熟知していますから」
いちいち最もだ。
最も過ぎて隙がない。
それが真砂子の神経をささくれ立たせる。
真砂子はそれと気がつかれないように詰まった息を静かに吐いた。
「お茶を頂きますわね」
そう言って給湯室へ向かった真砂子に、リンは明らかに困惑した様子だった。真砂子はそこでわざとらしく微笑んでみせた。
「お茶ぐらい自分で煎れられますのでお気遣いなく。少しなら待たせて頂いてもかまいませんでしょう?リンさんもお仕事にお戻りになって下さいまし。わたくしでも受付の真似事くらいできますわ。来客があれば声をかけますから」
そうして背を向けると、リンは少しの間を持って追いかけるように声をかけた。
「お帰りになる時にも声をかけて下さい」
それだけ言い残して資料室へ姿を消したリンに、真砂子は小さくため息をついた。
トレーニングはどのくらいやっているのだろう。
少なくとも、リンの言い方では自分が帰るような時間まで、2人は2人きりでいることもあるということだ。先月からずっと。
_____ 私が好きなのはナルじゃない。ナルじゃなかった。
泣きながらそう言った麻衣に嘘はないと思う。
そういう嘘はつけないタイプだ。
それでも、よりにもよってナルが麻衣と2人きりでいるなんて、と、思ってしまう。
悪戯に時間をかけて煎れたお茶を応接テーブルにのせ、それなのに一口も口をつけないまま真砂子はソファに沈み込み、少々行儀悪く足をプラプラと振ってみた。
着物の裾では振れる幅など限られているし、第一自分が居心地悪くなってしまう。
こういうのが似合うのはガサツな麻衣であって自分ではない。
真砂子はそう思い直すとすぐに足を止め、居住まいを正した。
顎を引いて、背筋が伸びた自分の方が数倍美しいと思うし、こちらの方がずっと楽。
真っ黒で真っ直ぐな髪も、人形のようにできている小振りな顔も嫌いじゃない。
麻衣のような普通の女の子よりは、ナルによほど似合うだろうと思う。
だから麻衣になどなりたいとは思わないが、
「なんだか狡いみたい」
物音一つしない、まるで開く気配のない所長室のドアに向かって、真砂子は聞こえないようにそっと一人呟いた。
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