ブルーグレーのドアを開ける。

軽やかな鈴が鳴る。

慣れた調子で足を踏み入れ顔を上げて、真砂子は少し驚いた。

正面の応接室にはリンが一人いるだけだった。

  

    

  

   

     

木曜日の憂鬱

 

 

 

 

  

  

日時的にアルバイトがいるものと決めてかかっていた真砂子は、その極めて珍しいシチュエーションに驚きはしたけれど、失礼にならないように動揺を丁寧に隠し、いつも目上の人間にそうするようにうやうやしく頭を下げた。

「お邪魔致しますわ」

対してリンは無言で会釈し、何の用で来たのかと尋ねるように首を傾げた。

用という用はない。

強いて言えばナルの顔が見られればという下心。

「ナルは所長室ですかしら?」

隠す気もなく尋ねると、リンは無表情のまま頷いた。

「麻衣もいませんのね。今日はお休みかしら?」

「どちらも所長室ですが、しばらくかかりますよ」

咄嗟に唇が尖る。

はしたない、と、着物の袖で覆いながら、ちくりと胸に刺さるその答えに、真砂子は僅かに顔を顰めた。

「何をしてらっしゃいますの?」

「谷山さんのトレーニングです」
「トレーニング?」

「トランスの訓練です。谷山さんは本人の意志によるコントロールができません。精度が上がってきているだけに、それでは今後の調査に差し障りがでるだろうということで、先月からトレーニングを始めたんです。自分の意志でトランスをし、自分の意志でラインを消せるように。まずは最低限ここからですね」

「ナルが相手をしていますの?」
「ええ」
「・・・意外・・・ですわ。確かに麻衣にはトレーニングは必要でしょうけど、前にサイキック能力の女子高生をトレーニングなさったのはリンさんでしょう?麻衣もリンさんに押しつけるのかと思ってましたわ」
真砂子の言い草にリンは軽く肩を竦めた。

「谷山さんのケースはナルの方が適任でしょう。ナルのサイコメトリ内容をそのまま見たりすることもありますし、ナルはユージンのトランス方法も熟知していますから」

いちいち最もだ。

最も過ぎて隙がない。

それが真砂子の神経をささくれ立たせる。

真砂子はそれと気がつかれないように詰まった息を静かに吐いた。

「お茶を頂きますわね」

そう言って給湯室へ向かった真砂子に、リンは明らかに困惑した様子だった。真砂子はそこでわざとらしく微笑んでみせた。

「お茶ぐらい自分で煎れられますのでお気遣いなく。少しなら待たせて頂いてもかまいませんでしょう?リンさんもお仕事にお戻りになって下さいまし。わたくしでも受付の真似事くらいできますわ。来客があれば声をかけますから」

そうして背を向けると、リンは少しの間を持って追いかけるように声をかけた。

「お帰りになる時にも声をかけて下さい」

それだけ言い残して資料室へ姿を消したリンに、真砂子は小さくため息をついた。

トレーニングはどのくらいやっているのだろう。
少なくとも、リンの言い方では自分が帰るような時間まで、2人は2人きりでいることもあるということだ。先月からずっと。

 

_____ 私が好きなのはナルじゃない。ナルじゃなかった。

 

泣きながらそう言った麻衣に嘘はないと思う。

そういう嘘はつけないタイプだ。

それでも、よりにもよってナルが麻衣と2人きりでいるなんて、と、思ってしまう。

悪戯に時間をかけて煎れたお茶を応接テーブルにのせ、それなのに一口も口をつけないまま真砂子はソファに沈み込み、少々行儀悪く足をプラプラと振ってみた。

着物の裾では振れる幅など限られているし、第一自分が居心地悪くなってしまう。

こういうのが似合うのはガサツな麻衣であって自分ではない。

真砂子はそう思い直すとすぐに足を止め、居住まいを正した。

顎を引いて、背筋が伸びた自分の方が数倍美しいと思うし、こちらの方がずっと楽。

真っ黒で真っ直ぐな髪も、人形のようにできている小振りな顔も嫌いじゃない。

麻衣のような普通の女の子よりは、ナルによほど似合うだろうと思う。

だから麻衣になどなりたいとは思わないが、

「なんだか狡いみたい」

物音一つしない、まるで開く気配のない所長室のドアに向かって、真砂子は聞こえないようにそっと一人呟いた。

 

  
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