広大な庭の右奥にある樹齢200年を超えるオークの樹。

大きな木陰のできるその根元に、彼女は眠っていた。

 

   

  

 

 

 

  Garden

 

 

  

  

 

週末は街の喧噪を離れて田舎に行く。

車で片道1時間半も走れば、牧羊的なごくありふれた田舎の風景が広がる。

小さな集落のどんづまり、そこにじいさんの家がある。

古い二階建ての家屋に広い庭。

そこでじいさんは日がな一日土いじりをする、ある種理想的な老後を過ごしている。

ガーデナーと呼ぶと、ファーマーだと怒る。

偏屈で、口数の少ないじいさんの交際関係は少ない。実の息子も娘も手を焼いている。そこで例外的に気に入られている孫におはちが回ってくる。

仕事が休みになると田舎を尋ね、じいさんの生活を支援し、いかなじいさんとて手が回り切らなくなってきた庭の管理を手伝うのだ。

週末毎に足繁く通うことを気の毒がる者もいるが、それほど酷い苦行をしている気はしない。国民性と言われれば頷くしかないが、そもそも僕も庭仕事が大好きなのだ。

しかもじいさんの庭は僕にとってかなり理想に近い。

イエローブックに載るような形式的で技巧的な美はまるでない。ただただ広いと感じる庭にシンボルツリーのオークの木がどっしり根を下ろし、奥には白樺の林があって、要所要所に果実のなる樹、ハーブに野菜、多種多様なバラ、小さな草花がのびのびと育っている。

そこにいるだけで僕はとても癒されるし、そうして僕がとてもこの庭を愛していることがわかっているからこそ、人嫌いのじいさんも例外的に僕を認めているのだ。

 

 

その日は朗らかに暖かい日だった。

早朝街を出たので、じいさんの家に到着したのはまだ10時前だった。

勝手知ったる人の家、僕はじいさんを探すこともなく勝手に車に詰め込んできた荷物を台所に降ろし、さっそく作業着に着替えると納戸に向かった。

仕事の関係で先週は来れなかった。

この春の大切なシーズンに、と、思うと向かう足取りも早くなる。

作業用具一式を乗せた一輪車を押しながら、苗付けをしたばかりの新芽を確認し、果樹の成長具合に目尻を下げ、伸びすぎた枝の選定をして、奥の庭にたどり着いた。

壮観な広い芝生の地に、どかりと根を下ろすオークの樹。

見事な枝振りを惚れ惚れと眺めながら近付くと、その根本に異質なものがあった。

薄い水色のワンピースを着た女が、あちらをむくようにして芝生に直に寝転がっていたのだ。

 

意味がわからない。

全くもって意味が分からない。

 

似た背格好の女に心当たりはまるでない。

ここは入ろうと思わなければ入れない場所で、庭の奥で、さらにあの偏屈じいさんの所有なのだ。簡単に侵入できる場所ではない。

一瞬、死体遺棄を疑った。

僕は恐る恐る女に近付き、ぐるりと回り込むようにして女の顔を覗き込んだ。

女はアジアン系の顔で、明るい茶色の髪をした僕と同じぐらいの年格好だった。閉じられた瞼から表情は伺えないが、すやすやと気持ちよさそうな寝息を立てているので死んではいないようだ。ほっとすると同時に僕はいささかムッとして女に声をかけた。

「おい・・・・なぁ、おいって!」

女はなかなか起きなかった。

不埒な不法侵入にしても随分図太い。

肩に手をかけると、ぎょっとするほど薄かった。

その薄い肩を揺すぶると、女はようやく目を覚まし、ぼんやりとしながらゆっくりと身体を起こした。それから僕の顔を見ると、聞き慣れない言葉で何事か尋ねてきた。

それが正確な他言語であるのかも分からないが、とにかくまるで意味が分からない。

いよいよもって問題のある珍客かと身構えたその時、背後から声をかけられた。

「クリス!」

振り向くと、そこには件のじいさんが鍬を片手に立っていた。

「これは俺の知り合いだ」

「知り合いぃ?」

耳慣れない単語に僕が反応仕切れないうちに、じいさんは勝手にその女に僕を紹介した。

「孫のクリストファーだ。週末に手伝いに来ている」

女はじいさんの言葉は聞き取れるらしく、神妙に頷くと、何事か舌足らずの口調で喋って服従するように頭を下げた。

女がやりたいことの意味はまるで分からないけれど、唯一理解できたことがある。

彼女の名前は、マイ というらしい。

 

 

 

僕が手伝いに来れなかった2週間のうちに、マイという女はある日突然じいさんの前に現れたらしい。

最初は庭先の花に見とれていたらしいが、数日して、じいさんが中も見たらいいと誘ったところ喜んでついてきたその時オークの樹に気が付いて、以来暖かいとその根元で眠り込むようになったそうだ。

起きているうちは花に水をやったり、雑草を抜いたり、子どもがするような手伝いをしてくれる。その他は特に悪さもしないようなので放っておいているらしい。

「近所の人?」

「かもしらん」

「知らねーのかよ」

「俺が近所にどんなのが住んでいるか知っていると思うか?」

「・・・・」

呆れて言葉をなくす僕に、じいさんは面倒臭そうに首を振った。

「なに、昼時や夕方になれば帰る。この辺に宿屋なんてないんだ。どっちみちこの辺に住んではいるんだろう」

そんな程度でいいのか。

いいわけない。

第一そんなもんで人嫌いのじいさんが他人の侵入を許すなんて到底信じられない。

何か裏があるのではないか。と、僕はじいさんの説明を余所に注意深くマイを観察した。遺産なんてものはろくすっぽないはずだが、老人をたぶらかして遺産を横取りする詐欺犯罪にじいさんがひっかかるのは許せない。

しかしマイはじいさんの話の通り、目が覚めると喜んで庭仕事の手伝いをし、昼時になるとお腹を両手で押さえて首を傾げ、バイバイと、明るく手を振って庭を出て行った。

慌てて後を追ったけれど坂道を転げるように駆け下り、集落の細い路地に入っていたため行き先は分からなかった。