遠目に見えるマイは子どものように笑い、オリヴァー・デイヴィスが制止するのも無視して芝生に寝ころんだ。 無邪気だな、と、思わず声が漏れると、兄弟は笑った。
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Garden
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笑いながら、ユートは目を細めて呟いた。 「それでもまだ左手はほとんど使えない」 驚いて固まると、ユートが呆れた。 「緊張されてもなんにもならないので、気にしないで下さい。ただ普通に見えて色々後遺症は残っているんです」 フォローするようにハルトが優しく笑った。 「気を付けないと分からないくらいですし。リハビリ頑張って、よく治った方なんですよ」 ハルトの弁解にユートはふん、と鼻を鳴らした。 「リハビリに4年?結構掛かったけどな」 「そうか?僕はその後、精神退化が始まった方のがショックだったけどね」 あっけらかんと言いのける2人に目をむくと、ユートは底意地悪そうに笑った。 「母も昔からああだったわけじゃないんですよ。子どものまま大人になったわけじゃない。歴とした大人で、父の面倒を見て、子どもを育てていた。仕事だってできた。事故直後だって、精神レベルは母親そのものでしたよ。けれど言葉が話せなくて、身体が動かせなくて、精神のバランスが取りずらくなった。それじゃぁ自分を維持できなくて、精神バランスを取るために段々幼くなっていったんです。まぁ脳の萎縮も見られたので、痴呆症に近いですけどね。進行はここしばらく停滞しているのでこのまま現状維持できればいいけれど・・・」 「痴呆・・・」 言葉のインパクトにショックを隠せないでいると、偽悪的にユートは続けた。 「結果として事故前と比べてしまえば、能力的には全くの別人です。おかげで家事とか仕事は何もできなくなった。役立たずって言えば役立たずだな」 「そう言われればそうだねぇ」 ヘビーな言葉なのにハルトは暢気にそう答えると、安々と笑って見せた。 「こっちも新しいペースに慣れるまでは大変だったけど、今はそれほどでもないんですよ」 事情は深刻なことの様子なのに、こともなげに言うハルトに僕は首を傾げ、それから病院で出会った父親の姿を思い出し頷いた。 「お父さん優しくてしっかりしてそうだしな」 しかして、これにもそれぞれが即座に否定した。 「いや、あの人は全然ダメ」 「世間一般的な優しさは皆無です」 「「 学者バカで生活力0 」」 そして互いに顔を見合わせると、吹き出すように笑った。 「当時17?16?優人は年よりずっとしっかりしてたしね。家計のやりくりから諸手続きに自分の進学手続きまで全部やってたもんね。今から思えばスゴイなぁって思うよ」 「現実感のないあいつに任せられなかったんだよ。下手したら家計が破綻するからな。そうなると直接自分と晴人の進学問題に関わる」 ユートが微笑むと、ハルトはそれは嬉しそうに笑った。 「僕器用だからね。どっちかっていうと洗濯物が面倒で大変だったけど・・・」 「全自動買わせてから楽になったよな」 「うん。ルンバも大正解だったよね!」 兄弟は嬉々として語り合うと、示し合わせて胸を張った。 乗りきったのは自分達、と。
「大変なんだなぁ。いや、なんかゴメン。簡単に言ってしまって」 「そんなことないですよ。能力的には別人でも、ママの気性は事故前と同じだから、暗くならなくてすんでるし」 「・・・・その辺は酷くなってる」 父親のように深いため息をつくユートに、ハルトがコロコロと笑った。 「分かりやすくて明るい。くったくなくて、憎めない。何してても笑えますよ。こうなってみると自分がママを育ててるような気分にもなる」 ユートはふんぞり返っていた姿勢を伸ばし、前屈みになって僕の顔を覗き込んだ。 深い瞳は父親似で、ゾっとするほど綺麗な顔もまたそっくりなのだが、こうして話してみるともう恐怖心は生まれなかった。 「可哀想がりたいヤツは結構いる。けど、生憎だけど僕らはマイを含めて成長した。個人的な感想を言わせてもらえば、僕は成長後の今の方が気に入っている。昔に返りたいと後ろ向きなヤツよりよっぽど幸せだと思うね」 些か好戦的なユートの口調を混ぜ返すようにハルトが笑った。 「時の流れ、恐るるに足りず」 「なんだそりゃ」 「前にぼーさんが言ってたの。あ、ぼーさんって両親の古い友人なんですが、日本の僧侶なんです。格言って言うか説教って言うか、うんちく言うのが大好きで・・・」 「相変わらずじじ臭いな」 一刀両断のユートに、ハルトはまぁそんな感じと肯定した。
2人のやりとりに苦笑しながら、僕は川が流れるように、自分の周りの時間も流れ始めたのを感じた。 ざわざわと耳の後ろをくすぐられるようなその感覚は、今はまだ、なんだか切ないように思えてならない。流れて動いてしまうのは、酷く残酷なことのようなことに思える。 けれどそれはセンチメンタルな感傷でしかないのだろう。 理性ではそう判断できる。 心はいずれついてくるだろう。 今はまるで実感できないけれど、きっとそれが正しいのだろう。正しい実例がここにある。 倣うことは僕にだってできるだろう。 気が付けばオリヴァー・デイビスがマイを抱えてこちらに戻ってきていた。 何事かと駆け寄れば、腕の中でマイはすやすやと眠り込んでいた。 兄弟が信じられない、この短時間で、流石ママ!と、非難とも感嘆もつかない文句を言いながら坂の下に止めてきた車を回している間に、僕はオリヴァー・デイビスに椅子を勧めた。 いかにマイが細くても、プリンセスのように抱きかかえ続けているのは辛いだろうと思ってのことだったが、意外に細身の夫はさして苦にしておらず、慣れているからと断られた。 その硬質な横側を横目に、僕は彼に聞かないでもいいことを聞いた。 「マイにとってじいさんの存在と、今現在の不在はどういう風に映っているんでしょうね」 じいさんがいなくなってしまったことを、少しは悲しく思ってくれているのだろうか。 そんなことはどうでもいいぐらいに、じいさんの存在は軽いものだったのだろうか。 僕以外の人間にとっては、そもそも死人だったのだから。 ふと頭をもたげた疑問は腹の底をヒヤリと冷たくした。 悲しくて。 「おそらくご祖父様は安らかな状態なのだと思いますよ」 「え?」 「そうでなければコレはこうして笑ったり眠ったりしていられない。絶対に泣いてます」 対して、オリヴァー・デイビスは実に的確に僕を救った。
また遊びにいらして下さいと誘うと、ママは勝手に来るだろうから追いかけます、と、ハルトが笑い、ユートがキリキリと怒り出した。 それを横目にオリヴァー・デイヴィスは小さな声で釘を刺した。 「あなたがさっさと恋人を連れてくるかご結婚でもされると、僕も心穏やかに妻をこちらに寄越せるのですが?」 笑うまいと思ったのに、そんなことを言うくせに、不安な様子など微塵も見せず、不遜な表情を浮かべるオリヴァー・デイヴィスに、つい苦笑が漏れた。 「善処します」 両手を挙げて降参の宣誓。そんな必要もないだろうが。 うるさいナイトが3人もいるプリンセスを攫えるほどの甲斐性は僕にはない。 オリヴァー・デイヴィスは僅かに口の端を釣り上げ、マイと一緒に車に乗り込んだ。
end
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