一通り語り尽くして沈黙が訪れると、そこでようやくハルトが口を開いた。

「妄想ではないですよ。実際にいたもの」

彼は簡単にそう言い放つと、思わず睨んでしまった僕を見つめ、困ったように微笑んだ。    

  

  

  

 

 

 

  Garden

 

 

  

  

 

「つまりじいさんはゴーストになってしまったってこと?」

「悪霊っていうのとは違います。そういう禍々しいものじゃない」

「でも・・・」

「この国の人はゴーストっていうと悪いものっていうイメージが強過ぎるけど、全体から見ればそんなことはないんだ。確かに形として残るには強い思いが必要だし、安らかに眠った人はゴーストとして残ることはないけどさ。悪戯好きとか悪者ばっかりってわけじゃないんだ」

ハルトは不満そうに口の端を尖らせた。
「そもそもあそこは大きな樹に守られているから、悪いものは入り込めない」
嫌にキッパリとそう言い切ると、ハルトは父親の方に向き直った。

「あのね、クリスさんの家にはママが眠り込んじゃう樹があるの」

「オーク?」

「そう、その樹は随分年がいっていて、もともと力があったんだろうけど、長年愛されて尊敬されていたんだろうね。本人にも自覚があってとても大きくて力強いの。樹ってね、時々周りのものを根本的に癒すんだ。そういう力がある樹があるんだよ。綾子さんとかは分かるんじゃないかな?ある場所にあったらご神木扱いされると思う。そういう特別な樹」

どこまで理解できているのか、ハルトの説明に父親は無表情のまま相づちも打たない。

確かに一慨には信じられない話だ。

けれどハルトはそれがまるで事実のようにとうとうと語り、マイのことにも言及した。

「多分ママのことだから、その樹の気配に誘われて他人の家に入り込んじゃったんじゃないかな?クリスさんがお祖父さんと会話できていなかったら、ママもまるきりの不法侵入者だよね」

僕というよりは父親に説明するようにそう言うと、ハルト思い出すように瞼を閉じた。

「クリスさんのお祖父さんは・・・孫、と、たぶん庭が心配だったんだろうね。だから樹から力を借りて、見守ろうとしていたんだと思う。そんな感じだった。本人は自分が死んでいることは分かっている。大きな未練って感情もなかった」

「実際に接触できているのか?」

「うん。この前初めてお邪魔した時に、話しかけたら結構すんなり返事してくれたよ」

「え?いつ?!いつそんな・・・」

僕が慌てると、ハルトは小さく苦笑した。

「クリスさんがお茶をいれてくれている間と、おじい様が部屋に戻られてからです。特に声に出してはいないので気がつかれなかったでしょうけど」

「・・・・」

まるっきりのオカルト話。胡散臭いムービー展開だ。

「心配しなくてもそのうち自然と天国に昇っていくような人に見えたよ。あの時点でギリギリ形を保っているって感じだったから」

素直に頷けない僕を余所に、ハルトはそこで首を傾げた。

「たまたまママだったから接触してしまったけど、他の人にはまず見えないと思う。余所から見たら、クリスさんの言うとおり、クリスさんは独り言をぶつぶつ言ってる妄想中の怪しい人に見えたかもね」

おかしな話に突然自分も加えられ、僕は慌てた。

「僕だって霊感なんてものはない。今まで見たこともない」

「うん。それは分かる」

でも、と、ハルトは一拍おいて僕の顔を覗き込んだ。

 

「でもあなたはおじい様にいて欲しいと強く思っていたでしょう?」

 

むっと口が曲がった。

だからなんだと言うんだ。

それがどうしてこんな事になるというのか。

ハルトはそこでバカな者を諭すように微笑んだ。

いけ好かない。

そう思った瞬間、ハルトは笑うのを止めて肩を竦めた。

「僕が同じ気持ちでこうして笑っても、人によって感じ方は別になる。すごく感じがいいと思ってくれる人もいれば、嫌味ったらしいと思う人もいれば、わざとらしいと思う人もいる」

考えていたことを見透かされたようで思わず後じさりすると、ハルトはすっと視線を外した。

「普段の人間関係だってそうでしょう。受け取る側のメンタルによって印象は随分変わるんだ。クリスさんのお祖父さんにしたってそう、クリスさんが強く存在を希望して見るからあんなにハッキリとした形をしていられた。そもそもお祖父さんにはそう強い思念はなかったもの。そうでなければ人より随分視力のいい僕だって淡い陰くらいにしか見えなかったと思う」

一見通りのいい論理に聞こえるが、そう簡単なものなのだろうか。

むろん僕だって進んで精神科に厄介になりたいとは思わないし、その予兆は自分では感じられない。けれどあれが妄想ではないと、簡単に信じてしまってもいいのだろうか。

ちらりと視線を寄越して、父親は動揺する僕にまた別の質問をした。

「その後ご祖父様の家には行きましたか?」

「・・・・いや」

「幽霊だと分かったから?」

答えに詰まった。

実際その通りだった。

死んでいたと分かればもう、次に会った時どんな態度を取ればいいのか分からなくなった。

妄想だったと思い知るのも怖ければ、幽霊だったと知るのはその倍怖かった。

慣れ親しんだ古い家が一気にゴーストハウスに見えた。
黙した僕にハルトはため息をつくように言葉を続けた。

「怖がらなくても大丈夫ですよ。あそこはあのシンボルツリーが守っている限り怖いものなんて絶対ない。そもそもおじい様は怖いものじゃなかったでしょう?」

「・・・」

「それに、同じ状態でももしかしたらクリスさんにはもう見えないかもしれない」  

「え?」

予想外のことを言われ、思わず聞き返すと、ハルトは少し寂しそうに口の端を上げた。

「だって、僕が魔法を解いてしまった」

「・・・どういうことだ?」

「クリスさんはもう思い出してしまった。それをもう一度誤解させる程の強い思いはおじい様にもクリスさんにもない。思いがなければもう見えない。そのくらい優しくて淡いものだったんです」

ハルトはそう言うと、小さく首を傾げて僕の顔を覗き込んだ。

「怖がらなくてももう見えませんよ。大丈夫。」

怖がらなくてもいい。

そう繰り返すハルトはとても悲しそうで、切なげだった。

その声は泣きそうに小さくて、父親がone moreと声をかける程だった。

促され、ハルトはまたこうも言った。 

「僕は、ごめんなさいって謝るべきなのかもしれない」

    

    

   

   

理解しがたいことの多いやりとりだ。

けれどこの時ハルトの言いたいことだけはよく分かった。

ハルトの言うとおりならば、オークの樹とじいさんの心残りと、僕の強い思いによって生じた奇妙な蜜月は、ハルトの出現によって終わったのだ。

もしかしたら僕も薄々感づいていたのかもしれない。

だからじいさんとの食事に、じいさんが全く手を付けていなくても分からないように、僕はいつも大皿料理ばかり準備していた。

自分でじいさんの家の鍵を開け閉めしても、リビングのカーテンを開けても、不自然だと思わないようにしていた。よく考えればすぐに分かるのに。

突然現れたマイを酷く邪魔に感じたのも、第三者は世界を崩壊させる危険因子だと、分かっていたからかもしれない。マイを受け入れられたのは優しくされたばかりじゃない。マイは僕とじいさんの邪魔をしない。邪魔をしないどころか肯定してくれると分かった、下心がなかったとは言えない。

そうしてなんとか続けようとしていた。

奇妙だってどこかで理解していても、止めたくなかった。

今だって、怖いことには違いないが、それが終わってしまうのはとても名残惜しい。けれど 

「そんなことはない」

僕は絞り出すようにそう言った。 

「気が付けて、僕はほっとしてる」

じわりと涙が浮かんで、僕は慌ててそっぽを向いた。

奇妙な関係が正常なこととは思えない。   

僕はもう成人している。いつまでもじいさんに甘えられるはずがない。

 

  

  

 

「では、晴人の見解ではもう問題の人物は」

「少なくともカメラに確認できるレベルでは存在しないと思う」

できてせいぜい葉っぱ1枚撫でる程度。

ハルトの返事に父親はつまらなそうに鼻をならし、録音スイッチをオフにした。

そしてハルトの頭を軽く小突いた。

「既に解決状態だと分かっていて報告せず、この場を設けさせただろう」

そもそもあまり食指の動く話ではなかったが。と、不服そうな父親を横目に、ハルトは肩をすくめた。

「僕一人だとクリスさんとうまく話せる自信なかったんだもん。話に信憑性がないから、胡散臭がられて怒られるだけで終わったかもしれないでしょう?」

ドキリとしてハルトを見ると、彼はにこにこと笑ったまま首を傾げた。

「パパにいてもらってナビしてもらった方がクリスさんに良かったと思ったんだ。それにこうでもしなかったらパパはクリスさんの話無視して、ママには外出禁止令発令して終わりでしょう?そんなんじゃママ可哀想」 

ハルトの弁に父親は深いため息をついた。

「ますます麻衣に似てきたな。お節介が過ぎる」

「そうでもないよ、僕はママほど純粋じゃない。それに」

計算高い所はパパ譲り。   

ハルトはそう言うと立ち上がり、思い切り背伸びをした。