2週間前、事務所応接室の机の上で放置され、乾燥して干からびたサンドウィッチを前に、麻衣は怒り狂っていた。
「もぅぅぅ!どうしてあんたは食事一つまともに摂れないの?」
怒りの矛先はつい昼食を失念した僕に向けられていた。
「食事食べる位そんなに時間かからないでしょう?どうしてこんなことができないのかなぁ」
「・・・・必要とあれば食べる」
「あんたは必要分も食べてないでしょうが!人がせっかく準備しても駄目にしちゃって」
「特に頼んでいない」
「ほっておけば食べるの?食べないでしょう!」
「・・・・・」
「食べたくない。眠りたくないじゃ、人間倒れるんだよ!病気になるんだよ?!死んじゃうんだよ!!!」
「そこまでバカじゃない」
「あんたはそれほど馬鹿だ!」
馬鹿に馬鹿と断言される言われはない。僕がにらみ返すと、麻衣は息を呑みながらも、さらにくってかかった。
「私だってねぇ、こんなつまんないことで毎日心配するの本当に嫌なんだよ?!」
「だったらしなければいいだろう」
「あああ、したくないさ!だからナルはちゃんとご飯くらい食べてよ!」
「理解できないな」
「は?」
「麻衣が心配しなければいいだけの話。お前の気持ちだけの問題だろう。僕を巻き込むな」
埒のあかない言い争いが面倒で、僕はそれだけ言うと応接室のソファから立ち上がり、所長室に向かった。怒鳴り声を上げていた麻衣は顔を真っ赤にして黙り込んだ。そして次の瞬間、つかつかと僕の脇に歩み寄り、勢いよく僕の頬をひっぱたいた。
乾いた音が、短く鳴った。
少し、驚いた。
それからふつふつと怒りが沸いた。
僕はひっぱたかれた頬を指で軽くなぞり、麻衣を蔑みきった視線で見下した。
「暴力に訴えるのは感心しないな」
対する麻衣は、まるで自分の方が叩かれたような顔をして、目に涙をためて怒鳴り返した。
「ナルなんかもう知らない!!!!!」
いつもの喧嘩。
いつものことだ。
ただ、この平手打ちに僕の機嫌は悪くなり、それに麻衣の機嫌も拍車をかけて悪くなった。あれから僕たちはまともに口をきいていない。もちろん関係は修復されず、麻衣が僕のマンションに来ることもない。そうしてそのまま二週間が経過した。つまりは、そういうことだ。
さらに最近では、麻衣はバイトを終えると、バイト終了時間を見計らって向かいの歩道で麻衣を待つ見知らぬ男の下に急いで駆けて行き、一緒に帰宅するようになった。
・・・・
・・・・ はっきり言って面白くない。
初めは隠れて浮気でもしたがっているのかと思った。
そこで、僕は幾分か譲歩して麻衣に尋ねた。
「最近、いつも同じ男と帰っているな」
すると麻衣は悪びれることなく答えた。
「そうだよ?それがナルに関係ある?」
意味が分からなくて、僕は顔を顰めた。
「無関係ではないだろう」
「何で?」
「・・・・恋人だから、だろうな」
僕の疑問形の答えに、麻衣も顔を顰めた。
「でも、ナルの論理でいけば、そんなのどうでもいいことでしょう?」
「・・・・何?」
「 『 私 』 は 『 私 』 が 『 誰 』
と一緒でも気にならない」
麻衣は真剣な目をして言い放った。
「 『 ナル 』
には関係ないことでしょう? 」
へ理屈だ。
が、先にこれを使ったのは僕だ。
沈黙する僕に、麻衣は「アッカンベー」と舌を出し、今日は今日とて終業と同時に急ぎ階下に降りていった。
◇◆◇◆◇◆◇
「ああ、今日もお迎えですねぇ。熱心だなぁ」
安原がブライド越しに麻衣の後姿を目で追っていると、珍しく資料室から顔を出したリンが背後からその光景を覗き込み、首を傾げた。
「谷山さんがどうされたんですか?」
「いえね、今週の谷山さんにはああやって毎日お迎えが来てるんですよv」
安原が指差す方向を眺め、リンは僅かに顔を曇らせた。
「彼は何者ですか?」
「ここ最近の谷山さんの『
一番のお友達 』らしいですよ。」
「・・・・」
「まぁいつまで『 お友達
』なのかは、微妙ですけどね」
楽しそうな安原にため息をつき、リンは背後の応接室ソファでに優雅に掛けながらも、凍てつくような冷気を発散させている上司に視線を移し、果敢にも声をかけた。
「ナル、止めなくていいんですか?」
しかして上司はその問いかけをあっさり無視した。その事態に安原はリンを軽く諌めた。
「リンさん、駄目ですよ。所長は『 関係ない
』らしいですから」
「は?」
どうやら今までの事態に気が付いていなかったリンに、安原はかいつまんで事の顛末を説明した。
いわく、「麻衣の心配」と「ナルの不快」はそれぞれには『 関係ない
』という現状について。
恋人同士のまるで子どものようなへ理屈を聞き、リンはぐったりと肩を落とした。
「では、そもそもの原因はナルの不摂生なんですね」
「ですね」
リンはそれだけ聞くと、許可も取らずに勝手に所長室に入室し、ナルの上着を手に応接室に戻ってきた。
「そういうことでしたら、ナル。早々に謝罪することですね」
突きつけられた上着を眺め、ナルはここでようやく声を上げた。
「何故、僕が・・・・」
「ナルが原因なのでしょう?」
しかし揺るがないリン声に、ナルは眉をしかめた。
「そもそもは僕の食事の話らしいがな。そんなものが謝罪を必要とするような重大事項か?」
「話題としては些事ですね。しかし、その質問を私にしますか?」
リンの返答にナルは僅かに視線を上げた。その視線を確認して、リンは無表情で断罪した。
「一体何年、私があなたの監視役をしたと思っているんですか?」
「・・・・」
「うんざりするくらいストレスのかかる重大事項です」
「・・・・」
心当たりがあり過ぎる、やけに説得力のあるセリフにナルが黙すると、リンは有無を言わさずナルの手元に上着を押し付けた。無理やり上着を手渡され、ナルは口をへの字に曲げながら、億劫そうに手元の書類をテーブルにのせた。
「ああ、所長、急がれた方がいいですよ!谷山さん合流しちゃいましたから!」
窓から視線を外さず声を上げる安原に、ナルはちらりと視線を移し、不承不承といった呈で上着に袖を通した。その姿を反射する窓ガラスに見つけ、安原は満面の笑みで振り返ったのだが、その笑顔が気に入らなかったのか、ナルは眉をしかめ、再度リンと安原を睨み上げ、苦肉の嫌味を放った。
「麻衣については言及なしか?」
一瞬の間を置いて、リンと安原は互いに顔を見合わせ、同時に口を開いた。
「「 それは人徳の差でしょう 」」
果たして、人徳のない、孤立無援の天才博士は不機嫌な様相を隠そうともせず、SPR事務所を後にした。
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