口の端にクリームをつけたまま、麻衣は困ったように、そして怒ったように抗議した。
「あんまり甘やかさないで」
チョコレートまみれのアイスクリーム。 それを卓上のナプキンで乱暴に拭い取りながら、滝川は苦笑した。
「俺が甘やかしたいんだからいいんだよ」
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Chocolate
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7月3日。 麻衣の誕生日。
それに何の特異性をも見出さない恋人を見越して、自称保護者は某アミューズメントパークの夜間チケットを持って麻衣をデートに誘った。 突然のサプライズプレゼントに、麻衣の顔はぱっと輝き、保護者に飛びつき喜んだ。 今日が自分には大切な誕生日当日であることなど、チケットの魅力の前では吹き飛んだのだろう。 途端に落ち着きをなくし、早く行きたいと気もそぞろな麻衣を見かねて、同僚らは不機嫌な上司を何とかなだめ、就業時間前に麻衣を解放し、彼らをデートに送り出した。
鮮やかな電飾が彩る雰囲気たっぷりのアミューズメントパーク。 幸福そうなカップルやグループの中を、一際嬉しそうに麻衣は闊歩し、夢中になってアトラクションやパレードに興じ、その後の特別仕様の食事にも顔を真っ赤にして高い歓声を上げて喜んだ。 けれど、そうやってはしゃいでいたにも関わらず、デザートを食べる段階になって、麻衣はご満悦と笑顔を浮かべながらも、どこかそわそわし始めた。 冷たい恋人をおいて、誕生日に別の人と遊ぶ。 それが楽し過ぎて、少々後ろめたくなったのだろう。 既に妙齢となってもこの娘は存外にして分かりやすい。 滝川が苦笑しながらそれを指摘すれば、麻衣はそのままぷくりとふくれた。 その様子があまりに微笑ましくて、滝川がくつくつと笑い続けていると、誰を真似たのか、麻衣は流暢な言葉で嫌味を言った。 曰く、甘やかしすぎだと。
「早く彼女作って、彼女にこそこういう風にしたげたらいいじゃん」 「うるさいね」 「何だか可哀想だよ?」 「余計なお世話ですぅ。それにね、彼女にはこんな無責任な甘やかしはせんよ」 「何で?」 「図に乗って痛い目見るのがオチだもん」 「私にはいいわけ?」 「んだね」 「なんで〜?何かいい加減みたい!」
可愛い可愛い女の子。 色々とやり込めたくなる女の子。 けれど、この子に自分はめっぽう弱い。 嗜虐心がざわりと頬を撫でるのを認識しながらも、滝川は常と変わらぬ笑顔を浮かべて首を振った。
「父親ポジションに甘んじてやったんだ。コレくらいさせなさい」
そうして昔と同じように麻衣の頭をがしがしと撫で回し、麻衣が何事か言う前に腕時計に視線を落として、わざとらしく含み笑いをしながら携帯電話を取り出した。
「もういい時間だな。どれ、ナル坊に電話してみるか」 「は??ナル?何で?」
その名を耳にした瞬間、跳ねるように肩を揺らし、文字通り落ち着きをなくした麻衣に笑いながら、滝川は手馴れた手順で可愛い娘の恋人にコールした。不本意ながら、愛しい娘はその恋人と一緒に暮らしていて、紆余曲折しながらも順調にその関係を深めている。
「こんな時間に娘を一人で帰らせるわけにはいかんだろう?迎えに来させるんだよ」 「えぇ!? 何無謀なこと言ってんの? ナルが来るわけないじゃない!」 「そうかねぇ・・・・」 「そうだよ! もうぼーさん、ナルにけちょんけちょんに言われて終わるよ?」 「ナルの暴言が怖かったら生きてけないでしょう」
滝川はカラカラ笑いながらコール音に耳をすませ、きっかり5回目で通話を押した漆黒の美人にバレないように小さく哂い、娘を迎えに来るよう指示した。
『 ・・・・どうして僕が 』
予想違わぬ不機嫌そうなお返事に、滝川は浮かんでくる笑いを堪えて、もっともらしい渋い声で苦言を呈した。
「ナルちゃんねぇ、お前仮にも彼氏だろう?彼女の誕生日忘れておいてその言い草はないだろうよ。せめて迎えに来るのが最低限の思いやりだろう。絶対にそうするべきだね」
重苦しく周囲を冷やす沈黙を落とすナルに、滝川は苦笑しながら一転してまるで恋人に囁くようにやわらかに言い放った。
「 いいからよ、お父さんが父親になってあげている内に、さっさとおいで 」
その言葉の真意がどこまで察知されたのか。 聡くて鈍い御仁の本音は掴みきれない。 けれどため息と共に切られた電話の感触は悪くはない。 滝川はにんまりと笑いながら、今にもこちらに掴みかかって来そうな麻衣に視線を向けた。
「・・・・ナル、なんて?」 「ん?めちゃくちゃ不機嫌そうだったけど、多分来るんじゃないかな?」 「・・・・・」 「そう不安そうな顔するなよ。後悔しそうになるだろう?」 「だって怖いじゃん!」 「まぁ・・・・正直な感想だわな」 「ぼーさんはいいよ。怒られてもその場だけじゃん!でもその後一人であの不機嫌魔王の相手するのは私なんだからね?」
全部バレていると知っての大胆な発言。 そんなものに今更驚きはしないけれど、それでもちくりと胸は痛む。 特別な女の子と知って、見逃すのはとても辛くて、女々しいほどに名残は惜しい。 思わずテーブルをひっくり返したいような衝動に駆られる。 でも、不服そうに口を尖らせながらも、とても嬉しがっていることなんて見ていればわかる。 だからそんな衝動は丸めて捨てる。 滝川は複雑な胸中に反射的に歪んだ口の端を苦笑にすり替え、頬杖をついた。
「がんばれ!」 「無責任!!」
怖い思いをさせないように、不安に思うことなんて何もないように、いつも逃げ道を作ってあげる。 痛みも苦さも全部飲み込んで、ただ優しくして、ただ慈しんで、一番嬉しいものをあげる。
「 彼氏のお迎え。パパからの誕生日プレゼントだよ 」
顔を真っ赤にして俯いた麻衣から残ったアイスクリームを奪い取り、滝川は一口でそれを食べきった。 大人の舌には少々甘すぎるそれは、冷たいのにべたりと口内にはりついて、さほど美味くはなかったけれど、呆然と自分を見上げる麻衣の視線が愉快で、滝川はにんまりと笑みを浮かべた。
どれだけ痛くても笑ってやる。 そのくらい朝飯前。 使われてやるのも嫌じゃない。 使いたいだけ使って、それで幸せになるなら無駄骨にはなりはしない。
だってお前は俺の大切な娘。
慈しんで、見放さないのが親心デショ。
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