姫乃島の調査は調査自体が人の生死や人生を分けるヘビーな内容だった。
当事者の重い責任を考えるだけで今でも涙が出る。胸が痛い。
終わったばかりの調査で改めて考えることはたくさんあって、正直そんなことを気にしている場合じゃないって思う。後から怒られてもいい、記憶から抹殺して欲しい。
それなのに------
『 どこかの半人前の調査員が条件付の憑依をされたために、性生活情報が露見した 』
じんと胸に熱い月子さん達の視線も、5時間かかる船の上で聞いた潮騒も、あの滑らかなビロードのような声を消すことはできなかった。
『 "続き" は帰ってからだな 』
東京、渋谷、道玄坂。
渋谷
・ サイキック ・ リサーチ。
Shibuya Psychic Research
「 うわぁぁあああああああぁああ!」
事務所内で機材の後片づけをしている最中に、その日麻衣が何度目かの悲鳴を上げた。
スタッフに交じって片づけを手伝っていた滝川が、もはやあきれ顔で麻衣に声をかけた。
「おいおい、嬢ちゃんまたかぁ?」
「ううううわあぁああ、ぼーさん!?!」
「船に乗ってからずっとおかしいぞ、お前さん」
「あわぁ・・・ああああ・・・・ほんと、ごめんなさい」
「いや、ゴメンっていうかさぁ。今回はお前さんが一番疲れたんだよ。もう片づけしないでいいから帰れや。な?」
「へぇ?いや、そんなぼーさんに手伝ってもらってんのにそういうわけにもいかないでしょう」
「いいんじゃね?お前いても仕事が増えるだけだ」
滝川はそう言って、麻衣が悲鳴と共にぶちまけた資料を拾い上げた。
「ナル坊もここで文句言ってこねぇってことは了解ってことだろう。ほらほら帰えった帰えった」
滝川の助言を耳にして、側にいた安原やリンも苦笑交じりに頷いた。
確かに今回の調査は終盤ずっと憑依状態で、さらに撤収作業の大半を麻衣が担わざるをえなくなってしまい、肉体的にも精神的にも麻衣の疲労は相当のものだった。くわえて帰路の長距離移動がダメ押ししている。
しかし、奇声の原因はそれじゃない。
それなのに優しくされるのは面映ゆい。
けれど実際拒否できる体力もなく、早退を無表情で了解したナルを内心でねめつけながら、麻衣は一足早く事務所を後にした。
このまま自宅アパートに帰ってしまうのも手だった。
けれどそうはできない事情がある。
あの声が忘れられなかったのだから仕方がない。
調査用の重い旅行鞄を下げたまま、麻衣は空っぽの冷蔵庫を思ってスーパーに立ち寄った。すぐに食べれそうな食料を買い込んで、その足でナルのマンションへ向かう。
部屋の主は帰宅前だが、特に問題はない。
麻衣は旅行バッグの奥にしまい込んでいた合い鍵で部屋に入り、食料品を冷蔵庫に入れてしまうと、部屋の主の帰宅前にとシャワーを浴びた。
長距離移動で長時間北風に晒され、身体はガチガチに冷え切って固い。
その上離島の調査だったせいか、心なし体中が磯臭い。
美肌効果のあるらしい現地の温泉成分を流してしまうのはもったいないが、久しぶりに浴びるシャワーは気持ちよかった。
冷たくかじかんでいた身体が温まると同時に、無人のため冷え切っていた部屋もようやく暖まり始めた。
自分が棚にしまったバスタオルで身体を拭き、荷物の中から洗濯済みの服を出して着替える。それから湯上がりに買ってきたばかりのアイスを食べるとようやく一息ついた。
温かい紅茶も飲みたかったけれど、その時点でどろりと睡魔がやってきた。
寝室で眠り込むのはあり得ない、が、ちょっとだけ、ちょっぴりソファに横になるだけならいいんじゃないか。甘い誘惑が鈍い頭に浮かぶと、それしか思いつかなくなる。
寝室から厚手の毛布を抱えてくると、麻衣はリビングのソファで毛布を被って丸くなった。
何もかも部屋の主、つまるところナルが帰宅する前に終えてしまえば問題ない。
いくら彼氏の前でも油断しすぎ。
そんなことは分かっていた。が、同時にもう一つわかっていることがある。
" 何があってもナルは自分を傷つけない "
幸福な確信は、そのまま緩やかに麻衣を眠りの世界に引きずり込んだ。
そうして本人も半分分かっていたことだけれど、麻衣はもちろんナルの帰宅前に目を覚ますことはなかった。
目覚めた時、外はすでに真っ暗で、リビングには浴室のシャワーを使う音が響いていた。
急いで飛び起き、毛布を片づけると、麻衣はわたくたくと家事を始めた。
カーテンをしめて、冷蔵庫から食料を出す。
疲れ切っていたから、今夜は簡易版ペペロンチーノだ。
コンロに鍋をかけて湯を沸かしつつ、もう一方のコンロにケトルをかける。その横でキャベツと鷹の爪を刻もうとすると声をかけられた。
「ようやく起きたのか」
ギクリと、肩がすくむ。
そのアクションだけで今の力関係が露見する。
『 僕の不利益の原因は麻衣に起因しているものばかりだな 』
しっかりとナルのセリフを忘れなかった自分の頭が恨めしい。
一瞬間、麻衣が自分に呪詛をかけている間に、ナルはキッチンに足を踏み入れた。
するりと、湯上がりの白い綺麗な腕が肩越しに伸ばされる。
腕の主はそのまま背中から抱きしめにかかってきたが、麻衣は視線をまな板から離さず、場違いに明るい声で制止した。
「いやいやいやいや、お腹空いてるでしょう?!急いでご飯作っちゃうから」
「後でいい」
「今!今!火!火かけてるから!!」
悲鳴に近い抗議に、ナルはちろりと間をおき、それから長い左手を伸ばして、わざとらしくゆっくりと火を止めた。
「沸いてない」
取って付けたガードなどお見通し。
絡む腕が少々怒っているようで、それでいて嗤っているようで、居たたまれなく恥ずかしくて、つい涙目になる。次にはそこに舌が伸びてきた。
濡れた髪が頬に当たって冷たい。
身震いがして、麻衣は反射的に目を閉じた。
それが合図になってしまって、ナルは遠慮なく手を伸ばした。
抱きしめて触れる皮膚と体重。それから口と指が麻衣の柔らかい場所全部を悪戯する。そうしてそれはナルの溜飲が下がるまで、麻衣がのぼせて上がって気を吐くまで続いた。
蹂躙の跡。
変えたばかりの下着が汚れて、恥ずかしくて目を開けていられない。
「これで聖少女とは、姫神は心が広いな」
だから、麻衣はナルがそう呟いた時の表情を見逃した。
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