#001 おはよう
 

 

 

午前4時。

闇に包まれた空が白々と明け始める頃合になってようやく、ナルは読みかけの論文をデスクに放り出し、ベッドにもぐりこんだ。
もともと睡眠は好きではない。が、完全に放棄できるものでもない。
だからナルにとって睡眠は必要最小限摂るべき休息であり、入眠に苦労することはあっても、起床に苦労するものではなかった。
しかし、その日の目覚めはナルの意思に反して、驚愕とともに突如訪れた。

  

 

「ナル、おはよう!」

 

 

慣れた声にまどろむ意識が追いついた瞬間、ナルは驚愕に目を見開き、がばりと身を起して声のした方を見やった。
視線の先、寝室の出入り口にはドアにもたれるようにして漆黒の髪、漆黒の瞳、白磁のような肌を持った、自分そっくりの兄が微笑みながら立っていた。

「――――ジーン・・・・?」

目を見開いたまま、ナルが呆然とその名を呼ぶと、ジーンはくつくつ笑いながらベッドに近付いて来た。

「どうしたの?ナルがそんな顔するなんて珍しいね。おかしな夢でも見た?」
「ジーン?」
「何?」
「・・・・何のようだ・・・・」

早鐘のように打つ心臓を抱えるようにして、ナルが何とか言葉を搾り出すと、ジーンは肩をすくめ、ナルの額を指で弾いた。

「寝坊した弟をわざわざ起しにきてあげたんじゃないか。さっさと起きて」

額を弾いた指を、ナルはとっさに掴んだ。
自分と同じ白く長い指は、低い、けれど確実に体温を持っていた。

「あた・・・・たかい?」

ナルが呟くと、ジーンは大仰にため息をつき、空いた手でナルの額に触れた。

「当たり前でしょう。生きているんだから」

驚きの余り硬直するナルをジーンは呆れたように見下ろした。
そうして熱運動は人体の基礎代謝だと笑いながら、首を傾げてナルの顔を覗き込んだ。 

「ねぇ今日は本当にどうしちゃったの、ナル?まるで幽霊にでも会っているみたいだよ?」

ビクリと震えた肩に、ジーンは肩を竦めた。

「・・・・ちょっとぉ、今の笑うトコでしょう?そんな反応面白くもないよ?」
「・・・・」
「ほらほら、今日は次の調査の打ち合わせでぼーさん達が来る日でしょう?寝ぼけるのもいい加減にして!」
「・・・・・ぼーさん?」
「やだなぁナルったら仕事のことも忘れているの?早くしないと麻衣に怒られるよ」
  
ジーンは笑いながらそう言い残すと、早くしなねと念を押し、寝室を出て行った。
寝室。
そう、ここはSPR日本分室を残すと決めてから借りたマンションの一室。
今、自分は間違いなく日本にいる。
死んで行方不明になった双子の兄を探し出すために日本にやってきたのだ。
そこでナルは急ぎベッドを飛び出し、ジーンが消えたリビングに向かった。
ブラインドが上げられたリビングには、眩しいほどの朝日が差し込み、フローリングの床が白く反射していた。
その奥のキッチンで、ジーンは昔から変わらない癖で、腰に手をあて、体全体を斜めにしてケトルの湯をポットに注いでいる。
ジーンの好きなアッサムの香りがたち、その湯気を追う様に上げられた顔は、ナルの姿を見つけて穏かに微笑んだ。
日本には、行方不明になった双子の兄を、サイコメトリの能力を駆使して探すためにやってきた。
ああ、そうだ。と、ナルは何故か胸苦しい胸部を握り締め確認した。

  

 

 

そうして、見つけたのだ、 " 見失ったジーン " を。

 

 

 

ナルはそこでため息をつき、頭を振ってバスルームに向かった。

「シャワー?」
「ああ」
「バスタオル新しいのは左の棚に移したからね」
「・・・・ああ」

追いかけてくる自分と酷似した声に、ナルは生返事をしてバスルームのドアを閉めた。
日本で行方不明になっていた双子の兄を、自分はサイコメトリの能力を駆使して探し出した。
日本の滞在理由はそれで終わりのはずだったが、調査期間に日本の心霊現象が大変面白いことに気が付き、ナルは日本支部の継続を申請し、それを受理された。
ブレインの自分と、ミーディアムのジーン、メカニックのリン。
それに日本で新たに加えたメンバーで、事務所を継続して、また以前のように仕事をする。
イギリスのまどかが仲間外れだと騒いではいるが、日本の心霊現象は興味深く、離れがたい。
それに日本にはイギリスのように社交界だパトロンだと、煩わしい人間関係がなくていい。
そんな自分の見解に、双子の兄は軽く頷き、ともに日本に残った。
何故、とまで尋ねられなかったような気がする。
一緒にいることが最も自然だ。
それすら害されないなら、他に何も問題はない。

 

そう、確かにそうして " 僕達  " は日本に残った。

  

ナルは早々にシャワーを浴び、着替えを済ませバスルームを出た。
リビングに戻ると、キッチンカウンターには簡単な朝食が並べられ、ジーンが食事をしていた。

「あ〜、ナルったらまたブラックシャツ?暑苦しいなぁ」

トーストを咥えたまま唸るジーンに、ナルは首をすくめた。
昔からジーンの行儀はあまりよくない。

「僕の貸したげるから、少しは涼しく見える服着なよ」
「服が仕事をしてくれるわけではない」
「もう!」

呆れながらも笑うジーンは、淡いブルーのシャツを着ていた。

 

あれは " 夢 " だ。

 

「ナル?」
「何だ?」
「どうしたの?」
「何がだ?」
「ううん……気がついてないならいいよ」
「?」

はっきりしないジーンの物言いに、ナルが顔をしかめると、ジーンは苦笑した。

「今日はとっても変な顔してる」
「…そうか?」
「同じ顔がそんな表情しているのは、見るに耐えないよ」
「悪かったな」

ナルは顔をしかめたまま、ジーンの隣に座り、用意された紅茶に口をつけた。

  

 

あれは " 悪夢 " だ、と。

 

 

心の底から安堵しながら。