#002 イエス、ボス
 

 

「ナル、ジーン。おはよう!」
「おはよう麻衣。今日は随分早いんだね」
「うん。安原さんと新しい駅前にできたカフェのモーニングサービス食べてきたんだ!おいしかったよ」
「何それ?そんなのこの近くにあるの?」
「うん。私も初めて」
「いいなぁ、何で僕誘ってくれなかったんだよ」 
「あ、所長。お兄さんもおはようございます」
「おはよう、ヤッスー。でも文句が2つ。何でいつまで僕は "お兄さん" なの?あと、何でモーニングサービス誘ってくれなかったのさ。麻衣と二人きりなんてずるい」
「おはようございます。でも "ヤッスー" はやめて下さいね。気持ち悪いですv " お兄さん "呼びがお嫌でしたら、早々に偽名をつけて下さい。本名はまずいでしょう。ちなみにモーニングサービスは確信犯です。例えお兄さんでも人の恋路を邪魔してはいけませんよ?」
「ややややややや、安原さん?!」

早朝から嫌味なくらいに流暢に舌の回るアルバイトに、ジーンは苦笑しながら傍らの麻衣の頭をぽんぽんと叩いた。 

「麻衣、そう素直に反応しないの」
「ジーン?」
「本当に安原さんは面白いね」
「光栄です」
「でもさ、日本の偽名ってイマイチよく分からないんだよね」
「オサムなんていかがですか?漢字はたくさんバリエーションありますよ?」
「嫌だよそんなの。どうせお揃いにするなら、"
マサヤ "とかがいいな。真砂子さんと一緒」
「・・・・」
「かわいいね。ヤッスーv」

下らない会話を完全に無視して、ナルが所長室に向かうと、資料室からリンが顔をだした。

「おはようございます、ナル」

視線だけを向けると、リンは調査依頼のあった案件の事前調査データを手渡した。

「一通り解析してみましたが、異常個所はこちらにピックアップしたものだけです」

データを受け取ると、その間にはさまるようにジーンが顔を出した。

「おはよう、リン」

にっこりと微笑むジーンに、リンはわずかに眉をあげ、その無表情を崩すことなく挨拶を返した。

「おはようございます、ジーン」
「昨日まどかから電話があったよ。リンがさっぱりメールを寄越さないって・・・」
「・・・」
「あんまり不精しているとその内愛想付かされるんだからね。そもそもリンは昔っから・・・」

ジーンの相手はリンに任せて、ナルは応接室を振り返った。 

「麻衣、お茶」 
「はいは〜い。リクエストは?」
「ない、所長室に」
「イエス、ボス」

無駄に微笑む麻衣を一瞥し、ナルは所長室のドアを開けた。

「じゃぁ、皆さんの分もお茶入れちゃいますね。リクエストありますか?」
「僕、アッサムのミルクティー」
「僕はオレンジペコで、お願いします」
「・・・何でも結構です」

音もなくドアが閉まる。
そう、日本に来て、ジーンが見つかってから、事務所はいつもこのような感じだ。
これにイレギュラーの調査メンバーが加わるとさらにやかましくなる。

 

 

そう、何もおかしくない。

  

 

麻衣とジーンを中心に、弧を描くように人の輪が広がり、それを少し引っ張ってやれば、調査はかつてないほどスムーズに進行した。
不安定な麻衣の多様な能力も、ナルとジーン、リンと滝川の多角的な訓練によって次第に制御できるようになりつつある。そうなれば、心霊調査はますますやりやすくなっていくだろう。
ナルがデスクにつき、パソコンの起動を待っている間に、所長室のドアが3回ノックされ、返事を待たずに紅茶を携えた麻衣が入ってきた。

「所長、お茶です。どっちに置く?」

視線も上げずにデスクを指差すと、麻衣はソーサーの音を立てないように慎重にデスクに紅茶を置いた。
それから少しの間があって、麻衣はナルの顔を覗き込んだ。

「ねぇ」
「・・・」
「今日はナルの訓練日だけど、どうするの?打ち合わせあるからなしにする?」

僅かに視線を上げると、麻衣は首を傾げていた。
昔より伸びた栗色の髪がさらりと横に落ちる。

「ジーンがやってもいいって言ってるから、忙しいなら・・・」
「いや、いい」
「ん?」
「予定通り、午後になったらやる」
「そ?じゃぁ、お願いします」

鳶色の瞳が細められ、弧を描く。そしてそのまま踵を返す麻衣に、ナルは思わず声をかけた。

 

「麻衣」

 

所長室のドアを半分開けたところで、麻衣が振り返る。
その顔を見て、ナルは自分が何を思って声をかけたのか分からなくなり、その無表情の顔に僅かに困惑の表情を浮かべた。

「ぼーさん達が揃ったら、呼べ」

苦し紛れに言った言葉に、麻衣はにっこりと笑った。

「イエス、ボス」

そうして今度こそ完全にドアが閉まった。