#018
お茶にしよう?
「ナル〜」
ジーンが僕を呼ぶ。
「お茶だって、冷めないうちにリビングに行こう」
その声に意識を書類から引き上げると、見慣れた顔の声の主は無駄に上機嫌に笑っていた。
言葉は誘惑なのに、態度は強引で、彼は問答無用で僕の手を引く。
ため息をつきながら付いて行くと、リビングは南向きの窓からは差し込む日光で、真っ白になるほど光り輝いていた。
日の光がまぶしくて顔を顰める。
その光の中で麻衣が手馴れた様子で紅茶をいれていた。
「ナル、お茶にしよう?」
僕達の到着に気が付くと、麻衣は笑いながら高い声で宣言した。
わざわざ抵抗するのも面倒なので、言われたとおり椅子に座る。
その様子を二人は眺め、囁くように笑い合いながら温めたスコーンをシェアした。
その様子は傍目に見たら微笑ましいものなのだろうが、少々仲が良すぎる。
「麻衣」
声を上げると、麻衣はカップを持ったままこちらを向いた。
「お前はココ」
隣の席を指差すと、麻衣は顔を赤らめ、傍らに立つジーンは愉快そうに声を上げて笑った。
笑い声は癪に触るが、せせ笑えるほどには軽い。
実際に口元笑みを浮かべれば、ジーンは面白くなさそうに口を尖らせた。
――― ナルの意地悪。
声にならないホットライン。
その間に麻衣は隣に腰を下ろし、日の光にも負けない突き抜けるような笑顔を浮かべた。
僕はそれを視認するとすぐ、視線を手元の資料に落とした。
振られたジーンは正面に座り、その様子を眺めてため息をついたが、すぐに気を取り直して麻衣に新しい話をふった。
耳に響くのは、楽しげなテノールと、笑うソプラノ。
日の光が背中を温め、手元の資料を明るく照らす。
今のこの場があることも信じられないことではあるが、それは一重にタガが外れた3人の、欲望がもたらした危うい均衡とういうことだけだろう。
ナルはそう考えつつも、温められたカップに手を伸ばし、丁寧にいれられた紅茶を口にした。
後ろ指さされようとも今更痛くも痒くもない。
世界に2人がいれば、あとはどうでもいいことだ。
これよりも重要なことは何一つあるはずがない。
ナルはその甘い誘惑に目を細めた。
圧倒的な幸福感だった。
それは繰り返し繰り返しみた夢。
夢?
こんなことは思ったこともなかったのに?
違和感がピリピリと脳裏を焼いた。
しかし、その痛みは唐突に訪れた睡魔に飲み込まれた。
「ナル?」
「珍らしいねぇ、ナルが居眠りしてる」
「最近多いよね。疲れてるのかなぁ」
次第に遠ざかる意識の中で、ナルは持て余した疑問を闇に捨てた。
ずっと一緒に。
胸に迫る、願いは確かに叶ったのだから、疑う必要はどこにもないはずなのだから、と。