#017  失いたくないだけなんだよ
 

 

 

硬直した空気を入れ替えようと、ナルは重い口を開いた。

 

「ジーン」

「ん?」

「シンシアはどうした?帰りの便は夜だったろう」

「ああ・・・ちゃんと別れてきたよ。多分もう会ってはくれないんじゃないかな?」

 

あっさりと口にした不穏な答えに、ナルと麻衣は怪訝そうな表情でジーンを見つめた。

その2人の顔を見比べ、ジーンは肩をすくめた。

 

「だってシンシア、『 ずっと一緒にいて 』 なんて言うんだもん。そんなの無理じゃない」

「・・・・」

「日本とイギリスは遠いしな」

「・・・・あのね、ナル。そういうこと本気で言ってる?」

「違うのか?」

「違うよ。もっと深い意味!人生においてだよ」

 

ジーンは呆れたように言いながら、麻衣とナルから手を離し、その場に立ち上がった。

 

「『 ずっと一緒 』なんて、願っても叶えられるかわからない大それた願いじゃないか。それなのに、願ってもいない僕がシンシアにそれをあげることはできないよ。無責任に約束なんてできない。だから僕はシンシアとは別れた。もうそんな夢を持たないように、多分、もう、会わないよ」

 

漆黒の髪がさらりと揺れ、悲壮感のない嫌に平穏な表情で、ジーンは続けた。

 

「シンシアに言われて気が付いた。僕がずっと一緒にいたいのはナルと、それに麻衣だけだ」

「・・・・」

「わ、たし?」

「麻衣はナルが好きな特別な女の子だもん。やっぱりシンシアとは違う」

 

ジーン特有の価値観に麻衣は難しい顔をした。

その表情にジーンは苦笑した。

 

「僕の提案はそんなに嫌がるようなことかなぁ?」

「倫理に反してまですることか?」

 

冷たいナイフのようなナルの声が間を裂いた。

それに対しては、ジーンはとぼけたようにため息をもらした。

 

「僕はごく単純に、素直になっただけだよ」

  

確かに欲望だけに素直になれば、ジーンは失えない。麻衣は欲しい。 

ナルは自身の傲慢な願いにため息をついた。

ジーンは全ての過去を共有した双子の兄弟だ。

自分の歪んだ欲を押し付けても構わないし、押し付けた所でジーンは困りもしないだろう。

互いに依存しきった忌まわしいほどのシンクロニティを、今更否定する気にはなれない。

どうせ考えていることは同じだ。

けれど麻衣は違う。

同じように孤児になり、暗い闇夜のような孤独を知る人物ではあるけれど、麻衣は眩しいように健康で、病んだ自分達とは決定的に異なる。

 

――― 僕らなんて構わずに、逃げてしまえばいい。

 

欲しいと願うその一方で、ナルはそんな矛盾したことを思った。

そうすれば、麻衣だけはいつまでも病むことなく、平穏に暮らしていける。

依存し切ったコンプレックスでがんじがらめの自分と、同じように偏愛する兄を麻衣はたまたま同時に好きになった。

それはまだ罪のない心の悪戯ですむ話だ。

けれどこれを成就させようとしたら、ジーンが言うように自分も麻衣も、常識に反した付き合い方をせざるをえないことになる。

気がついてみればわかる。

答えは常にシンプルなものだ。

この方法だけが唯一の解決策なのだろう。

それほどに、2人揃った自分達双子は歪んでいる。

 

「ごめんね麻衣。君を駄目にしたいわけじゃないんだ」

 

流暢な片割れの言葉は、空々しく、聞いていられないほどの不快感を伴った。

けれどジーンの声はそれでもひどく温かく、その温もりを、孤独を知る麻衣は手放すことはできないだろう。

 

「失いたくないだけなんだよ」

 

相手はジーンなのだからそれは仕方がないことだ。

どこまでいっても捨てきれないコンプレックスと自己愛が膿んだその妄信を、ナルは他人事のように眺めた。疑いが持てないほど、それはナルの中では決まりきったことだった。

 

 

 

――― 万人は自分ではなく、ジーンを選ぶ。

 

 

  

「お腹空いたでしょう?今スープでも持ってきてあげるね」

 

ジーンは麻衣にいくつかの言葉をかけると、すくと立ち上がり、軽い足取りでリビングを後にした。

あとに残された2人きりの窒息しそうな空間に、ナルはため息をついた。

たった数時間のことなのに、身も心も熱を持つまで疲れ果て、脳は睡眠を欲しがっていた。

なんて体たらく。

ナルは表情を変えずに自嘲しながら、その睡魔に誘われるように体を倒し、麻衣の肩に頭をのせた。

麻衣は驚いて僅かに身を硬くしたが、ほどなくして同じようにナルにもたれ掛り、漆黒の髪に頬を寄せた。

 

「私、酷いやつじゃん」

 

疲れたように湿気った麻衣の声がすぐ側で耳をくすぐった。

 

「私は、ナルもジーンも好きだってわけ?」

「贅沢だな」

「ありえないよ、酷いよ」

「お互い様だ」

「馬鹿みたい」

「全くだ」

 

うんざりしたため息に、麻衣は少し笑い、それから泣き声のような声を上げた。

 

「どうしよう・・・・」

「何が?」

「異常だってわかっているのに、酷いって分かっているのに、こんな状態・・・止まらなくなっちゃうよ。私は欲張りだ」

「強欲なのもお互い様だ。麻衣、逃げるなら今のうちだぞ」

「・・・・」

「僕とジーンは元々離れる意思がない。持てないと言った方が的確かもな」

「・・・・」

「僕らは依存しきって生きている。でも、麻衣は違う。離れようと思ったら離れられる。今ならな」

「今・・・なら?」

「一度中に入ったら、多分、僕もジーンもお前を離せない。あらゆる手段を講じても麻衣を離さない・・・・好むと好まざると、僕らはきっとそれができる」

「・・・・・」

「それがイヤならもう二度と視界に入らないように、全速力で逃げるんだな」

 

ああなると、ジーンは手に負えない。

双子を盾にとったナルの脅しに、麻衣は僅かに顔を強張らせたが、すぐにその両眼に涙を溜め、涙声で返事をした。

 

「私は・・・・・離れたくなんかないよ、ナル」

  

自分の名前が、これほど愛しいと思えたことがあっただろうか。

矛盾する願いなどは取るに足らないことだと言わんがするように、胸に迫る熱は驚くほど甘く、熱かった。

ナルはその慣れない感覚にためらないながらも、低く、続けた。

 

 

 

 

「なら、側にいろ」

 

 

 

 

愛情が全ての免罪符になるとは思わない。

それは手前勝手なファンタジーだ。

 

 

 

 

それでも

 

 

 

 

それでも ――――――