#001  まるで王子とお姫さま
 

 

 

渋谷駅前をタクシーで通過する際に、左後部座席から外を眺めていたジーンが突然声を上げた。

 

「あれ麻衣じゃない?」

 

声が指差す方向に視線を投げると、確かに渋谷駅前の改札を抜けてすぐの壁際によく見慣れた栗色の髪が見えた。髪しか見えなかったのは、その主が何故か片足を上げた状態で壁に手をつき、俯いたままの体勢だったからだ。その様子にナルは顔を顰めた。

 

「あれは何をやっているんだ?」

 

その問いに答えるより先に、ジーンは運転席に身を乗り出した。

 

「あ、運転手さんここで止めて下さい。降ります」

「ジーン!こんな人ごみで降りる気か?」

「そだよ」

「・・・・っ」

「だって麻衣が具合悪いんだったら大変じゃない」

「それにしたって・・・」

「いいよ僕だけ行って来る。ナルは先に事務所に戻りなよ。人手がいるようだったらチャットで呼ぶ」 

「二度手間だ」

「じゃぁ文句言わずについて来て」

 

素早く支払いを終え、さっさと車から降りるジーンに、ナルは眉根を寄せながら渋々後を追った。

 

 

  

  

 

10人いたら10人が、まずはその整い過ぎる容姿に息を呑む。

漆黒の髪、黒檀のような瞳、白皙の肌。

まるで美術品の粋を極めたような容姿。

それだけでも好奇の視線を集めるには十分過ぎるのだが、それが2つと揃えば視線は倍と言わず二乗にも膨れ上がる。

奇跡のような一卵性双生児。

自分達ほどよく似た容姿の双子も珍しいと言われるほど、ジーンとナルの容姿は瓜二つだった。

 

 

 

 

 

そのような容姿的特長と、生来の特性からくるいくつかの理由で、ナルは人ごみが極端に嫌いだった。

そうしてそんなことは嫌というほど分かっているはずなのに、この双子の兄はこちらの都合を軽視して女の事情を優先させ、しかも自分を巻き込んでいる。

これはナルにとってはまったくもって不本意極まりなく、鬱陶しくて堪らない人ごみからの無数の視線に、もともと良くはない機嫌を更に底辺まで落としていた。そんなナルを完全に無視して、ジーンはナルが付いてくるのが当然のように前方だけに意識を集中させ、未だ改札口側で立ち竦んでいる麻衣の元に歩み寄った。

 

「麻衣!」

 

先を歩くジーンが声をかけると、麻衣は驚いたように顔を上げ、ぱっと顔を輝かせたが、次の瞬間、ジーンの背後に不機嫌そうなナルの姿を発見し、見るも情けない怯えきった表情を浮かべた。

 

「どうしたの?」

「う・・・・あ、あの、そ・・・・そのぉ」

 

しどろもどろとハッキリしない麻衣の背後を見遣り、ナルは盛大なため息をついた。

 

「麻衣」

「うぁっっはい!」

「何故お前は片足が裸足なんだ?」

「あ、あぁ、あぁぁぁぁ」

「裸足?」

 

ジーンが驚いて麻衣の背後を見遣ると、確かに片方上げられていた麻衣の左足には右足と同じミュールがなく、素足のままになっていた。

 

「麻衣、これどうしたの?」

「う・・・あの、その」

「「 麻衣 」」

 

寸分違わぬタイミングで双子の兄弟に問い詰められ、麻衣は観念したように瞼を閉じた。

 

「さっき、満員電車の中で片方脱げちゃったの」

「「・・・・」」

「いや、最初は足元にあったんだけどさ。揺られてるうちにどんどん遠くに転がって行っちゃって、回収できないうちに渋谷についちゃって・・・・なんとか片足ケンケンでここまで降りてきたんだけど、ちょっと疲れちゃって・・・」

「麻衣・・・・」

「馬鹿者」

「う、うりゅぅぅ」

 

麻衣は情けない表情のまま俯き、左足を残された右足のミュールの上にのせた。

 

「それじゃぁ動けないでしょう?麻衣、足のサイズいくつ?適当な靴買ってきて上げるよ」

 

ジーンの提案に、麻衣は俯いていた顔を勢い良く上げた。

 

「え、マジで?!ありがとう!ジーン!!!」

「いいよ。ナルは女の子の靴なんて」

「見分けが付かない」

「だよね。僕もよくわかんないけど、別に構わないでしょう?」

「うん。もう履ければ何でもいい!サイズは22センチだから、大き目のサンダルでもあればそれでいいから、ジーンお願い!」

「わかった。じゃぁちょっと行ってくるね。ナル、ここじゃ邪魔になるから、麻衣と一緒にどこかにいてよ。買ったら連絡する」

 

ジーンはそう言うが早いか、すぐに人ごみの中に姿を消した。

そして、後に残されたのは、片足裸足の麻衣と、不機嫌を隠そうともしないナル。

 

「・・・・」 

「・・・・」 

 

ジーンがいなくなった途端、声を失い、表情を強張らせる麻衣を、ナルは心底あきれてため息をついた。そのため息にもびくりと肩を揺らす麻衣をナルはうんざりと見下ろし、それから唐突にその細い身体を肩に担ぎ上げた。

 

「ぎゃぁ!」

「やかましい」

「な・・・・ななななななな、何、何、何やって!?」

「騒ぐと落ちるぞ」

「なななななななっっっお、お、お、おおおお降ろしてよぉぉぉ!」

「あんまり暴れるとスカートの中が見える」

 

涼やかな声に、麻衣はばたつかせていた手足を一瞬のうちに止めた。

しかし、それにしてもあんまりだ。

ここは天下の渋谷駅なのだから。

 

「だ、だ、だってねぇ!な、ななななんで」

 

声を潜めて尋ねると、ナルは心底面倒そうに顔を顰めた。

 

「このままでは歩けないだろう」

「あ、歩けるもん!」

「どうだか」

 

ナルはそれだけ言うと、まだミュールがある方の足を遠慮なく掴んだ。

 

「・・・・・・・っっっっ!!!」
「酷使しすぎてつっている」

 

違うか?と目で問うと、麻衣は顔を真っ赤に染めたままそっぽを向いた。

ナルはそのまま麻衣を抱いたまますたすたと構内を横切り、周囲の注目を存分に浴びた状態で往来から少し外れた場所に移動し、歩道と車道を区切る柵に腰を降ろすとその膝の上に麻衣を下ろした。

格好としては馬鹿ないちゃこきカップルそのままなのだが、2人の間に会話はなかった。

羞恥で言葉も出ない麻衣に、呆れて声を発することすら嫌がるナル。

2人の間に漂う空気はほのぼのとは対極に位置していた。

道行く人々はこの不思議なカップルにちらちらと視線を向けたが、赤面する少女の後ろの本当に機嫌の悪そうな絶世の美貌の男を目にすると、慌てて視線を逸らした。

見たいけれど、見てはいけない。

大勢の通行人は懸命にも自分の本能で、生命の危機を敏感に察知していた。

 

 

 

 

 

息苦しいような沈黙の最中、ふっと、ナルが顔を上げた。

不思議に思って麻衣が視線でその顔が向けられた先を追いかけると、そこには小さな紙袋を抱えたジーンが迷うことなく二人の下に駆け寄ってくるところだった。

 

「ジーン」

 

麻衣がほっとため息をつくと同時にジーンは2人の元に到着し、紙袋の中からそのまま入れてきただろう小さな水色のミュールを取り出した。

 

「麻衣、これで構わない?」

「うわぁかわいい!うん!ありがとう、ジーン!」

 

破顔する麻衣に、ジーンはにっこりと微笑み返すと、すっと2人の足元に膝を落とした。

次いで、ナルが麻衣の太ももを僅かに持ち上げ、その拍子に伸びた麻衣の足をジーンが掴んだ。

 

 

 

 

「!!!!!」

 

 

 

耳まで真っ赤に染める麻衣に構わず、ジーンはそのまま麻衣の足に新しいミュールを履かせた。

 

「よかったサイズもぴったりだ」

 

にっこりと微笑み、自分を見上げるジーンに、麻衣は溜まらずナルの太ももを思い切り掴んだ。

ナルはそれに不愉快そうに眉根を寄せたが、すぐに反対側の麻衣の太ももを持ち上げ、ジーンに促した。ジーンは履いていたミュールを丁寧に取り去り、反対側の足にも同じミュールを履かせた。

 

「麻衣、どうかした?」

「!!!!!」

 

驚きと恥かしさで硬直する麻衣の両肩をナルはやや乱暴にたたき、正気に返らせた。

 

「重いんですが、降りて頂けませんか?谷山さん」

 

慇懃無礼なナルの言葉に、はっと我に返った麻衣はゼンマイ仕掛けの人形のようにぱっと飛びのき、火照ったままの両頬を両手で覆い、あわあわと意味不明の言葉を発した。

 

「礼も言えないのか・・・」

 

ナルがあきれてため息をつくと、麻衣ははっと顔を上げ、ナルとジーンを見渡した。

 

「や!あの、ありがとう!2人とも!でも、でも、う、うわぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!!!!」

 

麻衣が正体不明の悲鳴を上げている中、ふいに背後から癖のある声がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、素晴らしく絵になる光景でしたねぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その声に麻衣ががばりと身を翻すと、そこには満面の笑みを浮かべた安原が、携帯片手に佇んでいた。

 

「あ、やっすー」

「お疲れさまです。これから事務所に向かおうと思っていたのですが、いいもの見せて頂きましたv」

 

眼福、眼福、と、何故か手を合わせる安原に、麻衣は更に悲鳴を上げ、ナルはつきあい切れないと無言のまま立ち上がった。

 

「 " がんぷく " ってどういう意味?」

「目の保養。いいものを見て、幸せvって意味です」

 

首を傾げるジーンに、安原はくふくふと笑いながら、素早い手つきで携帯の画面をジーンに見せた。

ジーンはその画面を覗き込むと、なるほど、と頷き笑った。

 

「な、な、な、な、何撮ったんですかぁぁぁぁぁ?!」

 

その様子を見て、麻衣は更に悲鳴を上げ、安原の携帯を奪い取ろうと手を伸ばしたが、その手はばんざいをする安原と、ジーンによって阻止された。

 

「まぁまぁ、麻衣。中々素敵な写真だったよ」

「そういう話じゃないぃぃぃぃぃ!」

「やっすー、それ僕も欲しいな。後から転送して」

「大丈夫ですよ。今事務所のPCにも転送しましたから。あ、谷山さんの携帯にもね」

 

安原の言葉に、麻衣はあわてて自分の携帯を取り出して、受信されたばかりのメールを開いた。

そしてそこに表示された写真データに、麻衣はへなへなと腰を抜かした。

 

「麻衣!スカート汚れちゃうよ」

「や・・・・や・・・・・安原さんのばかぁぁぁ!!!!」

 

麻衣の悲鳴を無視して、安原はにんまりと微笑み、既に先を歩いていたナルに向かって声をかけた。

 

「所長!所長のPCにも送りましたので、後から見て下さいね!」

 

ナルはそれらの大騒ぎを完全無視して、一人、道元坂を登った。

 

 

 

 

 

 

 

写真の登場人物は3人。

遊歩道の柵に座る男に、その男に抱えられる女、その先で跪く男。

抱きかかえている男と同じ顔をした跪く男は俯いているのでその美貌の半分が隠れている。

しかしそんな事は一切構わないといった敬虔さをもって、男は女の白い素足に小さな靴を履かせていた。

 

 

 

 

 

 

「微妙に所長が谷山さんの太ももを押さえているあたりがエロいですよねぇ」

「ちょうど光が当たって麻衣の足もきれいに撮れてるね」

「それにしてもあんた達2人が揃うと見ごたえあるわねぇ。まるで映画みたいよ」 

「うん、よく言われる」 

「・・・・」

「でも本当にそうですよね。ポーズ的には従者ってはずなんですけど、所長とお兄さんだと迫力あり過ぎて従者って感じちっともしませんもん。ガラスの靴をはかせに来た王子って感じじゃないですか」

「双子の王子?」

「ええ」

「うっわぁ贅沢なお姫ねぇ!」

 

後からやってきた綾子と馬鹿話に盛り上がる安原とジーンを見比べ、ナルがため息をつくと、すかさずジーンがこっそりと目配せし、愉快そうに口の端を吊り上げた。

 

――― 事実は、小説よりも奇なり。だよね?

 

覚えたばかりであろう日本の格言が、ナルの脳裏に直接届いた。