#002
お望みならそれでもいいけど
他人の寝息で目が覚めた。 ナルはその不快な事実に眉根をよせながら、一瞬の間断もなく覚醒した意識の元身体を起した。 本来であれば一人寝するには十分過ぎるほど大きなベッドであるはずのここが、今では他人の寝息が聞こえるほどに手狭になっている。 ナルはその原因となる直ぐ横に並ぶ2人の人物の寝顔を見比べ、そんな事態に繋がる過程を思い出し、果てしなく重いため息をついた。
「後は、既成事実が必要だよね」
あの晩、ジーンはそう言った。
ジーンがかつての恋人の一人だったシンシアを振って帰ってきた晩。 麻衣が派手にうろたえ泣き喚いた晩。 ナルが麻衣を押し倒した晩。 そうして、現在の3人に生活に運命を決定付けた夜のことだ。
ジーンが満面の笑みを浮かべて、やけに自信たっぷりに言い切ったのに対して、麻衣はその言葉を鸚鵡返しに繰り返し、きょとんとした表情でジーンを見上げていた。
「きせいじじつ?」
双子の兄弟、ジーンとナル。 そして麻衣という一人の少女。 この3人の関係は重ねられた月日により、微妙に折り重なっていて、つい先日までは一見するとどこにも出口のない状況になっていた。 3人は、それぞれに他2人を一番側に置きたいと願っていた。 多少の誤差はあるけれど、原因を要約すればつまりはそういうことになる。 そこでジーンが言い出した打開策が、『 3人で仲良くなればいい 』 という突拍子もない話だった。 妙齢の男女で、互いの中にあるのがいわゆる恋愛感情である限りそれはありえないことだと、初めはナルも麻衣も否定した。 しかし、一度その考えに思い当たると、それ以外に自分達の欲望を叶えられそうな策は何一つないような気がして、結局ナルと麻衣の2人はその案を呑んだのだ。 どうしても、どうしても、少なくともナルは、ジーンと麻衣の両方を手放すことができなかった。 その欲望に負けてしまったと言えばそれまでだ。 2人の決心を見越したジーンは、3人で簡単な夕飯を食べ終えた後に、自宅に帰ろうとする麻衣を引きとめ、そんなことを言ったのだ。
後は、既成事実が必要、と。
その不穏な言葉にナルは双子の兄の事ながら、背筋がうっすらと寒くなるのを感じた。 表層には表れることのないナルの僅かな変化もジーンは見逃さず、にっこりと笑顔を作ってみせると、今にも帰ろうと立ち上がっていた麻衣を抱き上げた。
「ジーン!」
驚いた麻衣がバランスを崩し、バッグを落とした。 足元に転がってきたそれをナルは億劫そうに拾い上げ、その姿勢のまま視線だけ上げると、そこには自分とそっくりな顔をした男が舌なめずりしそうな勢いで目を細め、無言で、リビングの先の寝室を促していた。
「ジーン!下ろして!下ろしてよぉぉぉぉ!」 「まぁい、そんな抵抗今更でしょう?」
悲鳴のようなソプラノと、楽しげなテノールを聞きながら、ナルは寝室のドアを開けた。 開かれたドアをすり抜けるようにジーンは麻衣を抱き上げたまま寝室に入り、後ろ手に起用にドアを閉めると、ベッドの中央に麻衣を放り投げた。
「きゃぁ!」
弾みで悲鳴を上げる麻衣に、ジーンは間髪入れずにのしかかり、慌てて手足をばたつかせる麻衣の耳元で優しく囁いた。
「ねぇ麻衣、僕はしごく真剣なんだ」
きっとナルもだよね。 ジーンはそう囁きながら顎をしゃくり、ドアの前で壁に寄りかかって中を窺っていたナルに寝室に入ってくるようジェスチャーした。そうしてナルがどんな反応をするかなどには疑いも持たず、背を向けるとさらに麻衣に体重をかけた。
「本気で3人で付き合いたいの」 「だっだっだっだっだから!」 「既成事実を作ってなかったことになんかできないようにしてしまいたいんだ」 「だから既成事実って何?!」 「えっちv」 「さ・・・3人で?!」
大声で問うようなことだろうか、と、それでもどこかで冷静なナルが思う端で、ジーンは麻衣を押さえ込んだまま笑った。
「お望みならそれでもいいけど、麻衣、初めてじゃない。まずは一人ずつね」 「な・・・な・・・なんでっっ」 「だって、付き合うってそういうことでしょう?」 「いやいやいやいや!だってだって今までだってそんなのないじゃない!!」
麻衣のあまりにあからさまな悲鳴にナルはいささか呆れながらも部屋の外からジーンに声をかけた。
「まだやってなかったのか?」
その問いかけに我に返ったであろう麻衣が、みる間に真っ赤になる一方、ジーンはふんと鼻を鳴らして頷いた。
「まぁね」 「珍しい」 「セックスはしたかったけどさぁ。言ったでしょう?僕は " ナルが好きな麻衣 " が好きなんだよね」 「・・・・」 「手を出しちゃ、ナルの気を削がれるかなぁって思って、それが怖くて手が出せなかったんだ」 「・・・・」 「でもこうなったら我慢することは何もないし、むしろ推奨されるべきことでしょう?」
どこまでも独自路線をつっぱしる兄に、ナルはため息をつきながらも、この兄はともすれば自分よりも自分自身について知っているのかもしれないと考えた。 ジーンと麻衣が付き合って既に3ヵ月が経過していた。 その間には当然肉体関係があると思っていた。 ナルはジーンに言われるまでそれを疑いもしなかったのだが、麻衣がまだ未経験だと聞いて、ほっと安堵している自分が存在するのもまた事実だった。 そんなことをつらつらと考えながらベッドに近付いたナルに対して、ジーンは至極満足そうに笑い、あらん限りの力で抵抗し続けている麻衣をさらに追い詰めた。
「でもさ、僕らも子どもじゃないんだからいつかはそうなるって麻衣だって分かっていたじゃない」 「・・・・!!あう、あの!ああ?!」 「麻衣だって満更じゃなかったはずだよ?」 「なっっ?!」 「分からないはずないじゃない。それともバレてないとでも思ってた?」 「!!!!!!!」 「何でそんなこと思ったか、なんて、そこまで恥ずかしいことナルの前で言われたくないでしょう?」
美しい顔に浮かぶのは、天使のようだと称され讃えられる完璧な笑顔だった。 しかしこれが本物の天使だとしたら、天使は間違いなく悪魔より性質が悪い。 完全に言葉をなくした麻衣に、些かの同情を感じつつナルは麻衣の頭を掴み、自分の方に頭を向けさせ、ひときわ低い声で麻衣を制した。
「麻衣」 「ナ・・・・・ナルゥゥ」
それでもまだ救いを求める栗色の瞳に、ナルは酷薄な笑みを作った。
「手遅れだ。あきらめろ」
ため息ともつかない言葉に、麻衣は唇を尖らせた。 その突き出した唇に噛み付くようにキスをすると、その下で麻衣はじたばたともがいた。 それでも構わず夢中になって貪り続けると、次第に口角の端が熱く湿り始め、息苦しそうな息が短く漏れた。無意識なのだろうが器用に呼吸を確保する様子から、ナルは麻衣がキスだけは慣れていたことを察知し、反射的に眉間に深い皺を寄せた。 誰に教わったなどと尋ねないでもわかる。それがますます嫌だった。
――― キスごときでこの調子だと、先がもちそうにないな。
ナルは今更ながら自分達の選択の危うさに不快感を強めた。 実際にキスはジーンに教わり、それ以上のことが本来は進行するはずで、その事実はナルの胸をどす黒く汚した。
――― けれどこうでもしなければ麻衣はジーンだけのものだ。
自虐的な思考にナルは背を押され、そのまま麻衣の上に身体を押し付け、Tシャツの隙間から白い指を侵入させた。
「んん!」 「ナル、わかっていると思うけど、ちゃんと濡らしてあげないと駄目だよ」 「ん〜ん〜ん〜!!!」 「麻衣もそう怖がらないで、ちゃんと反応したらそんなに痛くないから」
羽毛のように優しげなジーンの声が辺りを包むように響いた。 その声からいつの間にか笑いが失せていることに、ジーンもまた興奮はしているのだろうとナルは敵対心とともに安堵を感じ、珍しいことに、本当に珍しいことに、生じた性的欲求に従った。 予想以上に柔らかかった麻衣の肌は、一度触れると離してしまうのが惜しいような気がした。 だからナルはそのままキスを続け、指から掌へとシフトしながら、麻衣の薄い胸や細い腰やわき腹をなぞった。その間に、ジーンは器用に麻衣の洋服を脱がせ、バタバタと落ち着かなかった両足を折り曲げた状態で固定した。 ぐっと力いっぱい曲げられた足。 そのせいで突然視界に割り込んできた白い太ももに、ナルはぎょっとして思わず目をむいた。
その僅かな瞬間にナルはジーンと視線が合った。
後に考えれば気のせいだったかもしれない。が、その瞬間、ジーンは確かに微笑んだように見えた。そうして次の瞬間にはジーンはナルがまだ見てもいない麻衣の秘所に顔を埋め、それに対して麻衣が今までにない強い反応を示した。 ビクリと全身が震え、その瞬間から麻衣の意識が強引な力でジーンの元に飛ばされたのが分かった。 かっと、頭に血が上った。 と同時におかしなことだが、頭が真っ白になるほどそれまで以上に酷く興奮した。 お陰でそれ以降のことを、ナルはほとんど記憶していなかった。 今まで想像すらできなかった麻衣の嬌声が幾度もあがった。それでも麻衣は破瓜の痛みに涙を流し、それをジーンがいちいち舐め上げていたことだけ辛うじて覚えていた。
――― いや、それは正確な記憶ではないな。
ナルはそこで自身の記憶に訂正を入れた。 そこまでしてやる必要性を感じない自分。 酷く興奮していたくせに、そんなことを考えていた醒めた自分。 それだけがあの夜、既成事実の証のように覚えているだけ、と。
――― 自分だって3回もしたくせによく言うよ。
あまり公には口に出せない考え事の最中に、突然意識に侵入してきた兄の意識に、知らずぼんやりとしていたナルは眉を顰めた。
――― おはよう、ナル。 ――― いつから? ――― 起きたのはついさっき。ナルが麻衣にキスしている辺りだよ。 ――― ・・・・・いつから覗きが趣味になったんだ? ――― 起きてないと思って油断したナルが悪いんじゃないか。意識全開だったんだもん。 ――― ・・・ ――― 今更閉じても無駄と思わない?
ジーンはベッドの中で器用に伸びをし、反動をつけて起き上がった。 あの晩から、ナルとジーンと、それから麻衣はいわゆる3人で付き合うことにした。 家族のように、恋人のように。 昼の光の中ではそのあまりに突拍子もない関係は、どこか絵空事のように思われたが、太陽が沈んで、夜の闇が訪れて、3人で一つの部屋にいると、それが単なる妄想でないことがはっきりとした。 文字通りあの晩のことが既成事実となり、受け入れがたい発想を現実のものとしたのだろう。 麻衣がいる時は毎晩3人で同じベッドに眠るようになり、広いはずのベッドは窮屈なほど狭くなった。 寄り添うのも悪くはないが、本格的な睡眠は望むべくもなく、朝目覚めればどうしようもない疲労感が残っている。 それはこれがファンタジーではなく、実生活のことだという証拠のようだ。
「やっぱりもっと大きいベッドを買おうよ」
同じことを考えていたのだろう。 ジーンはそう言いながら大きなあくびをした。
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