#009
どうぞごゆっくり
後悔はいつだって過ぎ去ってから襲いくる。 考えるまでもない、そんなものは無意味な感傷だ。 けれどそれでもまだ、僕はその可能性を考えてしまう。 目の前で起こることに僕はあまりに無防備だったのではないだろうか。 あの時点でもっと注意深く事にあたっていれば、あるいは結末は違っていたのかもしれない、と。
国際通話が繋がるとすぐ、双子の兄は珍しい不機嫌そうな声でさらに帰国が延びた旨を訴えた。
『もうさぁ、この2週間の間でいくつパーティーやらお茶会やらに連れまわされたと思う?ここにきてもう7回だよ!7回!たった半月の間に!それだけじゃないよ。その間に実験の申し込みやら、面会申し込みの連続で、僕こっちに来てから自宅にいれたの正味1日しかないんだよ?あとはずっとロンドンで足止め!必ず誰かが側にいて、プライベートな時間なんて本気でないんだから!』 「ほいほいと全員にいい顔するからだろう」 『あのねぇ、ナルがずっとこっちに帰ってこないことも原因の一つなんだからね!そういう負い目があるからおいそれと邪険にできないからじゃないか。全部僕のせいにしないでくれる?』 「お前がイギリスにいなかったことも原因の一つだろう。僕のせいばかりにもするな」 『だから!もう!!お互い様だってことだよ!そもそもこんなに長くこっちにいるつもりもなかったんだけどなぁ。あ〜あ、もう・・・そんなので僕まだ帰れそうにないんだ。リンとまどかが煩いことは調整してくれているけど、どうしても外せない用事ができちゃって少なくともあと一週間はこっちにいることになりそうなんだよね』 「・・・・」
弟の沈黙を好意的に解釈し、それまで散々愚痴を零していたジーンは電話口に含み笑いをし、ちゃかすように笑った。
『まぁいいけどね、僕本来の目的もまだ果たせてないから、僕もまだ帰るわけにはいかないし』 「・・・・」 『寂しいだろうけど我慢してね?』 「どうぞごゆっくり」
それに対して、ナルは愛想なく普段通りに返事を返した。 感情を潜ませて答えたつもりであったが、その僅かな声の揺らぎに、双子の兄は敏感に弟の変化に勘付き沈黙を落とした。
『・・・・・・・・ナル?』 「なんだ?」 『なぁんか、嬉しそうじゃない?』 「・・・」 『僕がいなくて、麻衣と2人っきりでいるのに味をしめちゃったのかなぁ、オリヴァー?』 「・・・」 『いいのかなぁ、そんなにして。僕言っちゃうよぉ?弟は日本で女の子に現を抜かしている為に帰国を渋っているんですって』
からかう口調に、ナルは薄く笑った。
「好きにすればいい」
そう言った途端、電話の向こうの笑い声が止んだ。 かつては大西洋を挟んでも届いたホットラインも今はかすることすらできない。 減衰期に入った能力の低さをこれほど前向きにありがたいと思ったことはなかったかもしれない。と、ナルは更に苦笑した。 その僅かな笑みに、ジーンはゆっくりと息を吐いた。
『どうしたの、ナル?』 「何が?」 『ナルらしくない。つまらないなぁ・・・』 「僕はお前を面白がらせるためにいるわけではない」 『・・・・・麻衣となんかあったでしょう』 「・・・」
残忍な遊戯のように投げられた沈黙に、ジーンはしばし息をつくのも忘れたように何の反応も示さなかった。 いつも、万人を虜にする笑みでガードされ、それ以上の詮索をさせようとしないように、常に隙間なく優雅に立ち回ることをポリシーとするジーンにしては珍しいほどの無反応に、ナルは眉を吊り上げた。 見えないはずの電話口で、しかしながら、あたかもそれが見えたように、ナルが表情を変えるとすぐ、ジーンは意味深な問いを投げかけた。
『 You are best . でも言わせた?』 「何だそれは?」 『ナルが麻衣にこだわり続けるポイントだよ』
揶揄する質問にナルは眉をつり上げたまま、こめかみを指で押さえて尋ねると、ジーンは笑い声を含んだ声で回答した。
『ナルは僕には敵わないと思っている。そうでしょう?』 「自信過剰」 『外してはいないつもりだよ』 「言ってろ」 『そのコンプレックスを麻衣は絶妙に突いてくる。そんな麻衣は君にとったら永遠に敵わないミューズだ』 「・・・・」 『僕がナルの好きな女の子を特別に思ってしまうように、ナルにとっても僕の存在は重い』 「・・・・」 『 " 特別な双子 " は表裏一体ってことかな?』 「卵が先か鶏が先か、だな」 『はは、まぁね。そんな麻衣にそんな事を言われたら、ウブなナルにはテキメンじゃない?違う?』
反射的に喉までせりあがった言葉を、ナルは何とか飲み込み、姿の見えない双子の片割れの気配に全神経を集中させた。 このまま兄の思惑にはまってやる義理はない。 まるでゲームをするように、ナルは心の内で舌なめずりして言葉を選んだ。
「そうか、気がつかなかったな」 『ん?』
ナルの言葉にジーンが興味を示したのを確認し、ナルは僅かに微笑んだ。
「確かにな、僕は麻衣のベストになりたかったんだろうな」 『・・・』 「だから、ジーンの言う関係も段階として必要と思ったんだ」 『・・・段階?』 「ああ」 『どういうことだよ?』
一気に低くなる声に、ナルはさらりと言葉を続けた。
「どういうことでもない。3人で仲良く?その手順の間にジーンは決定的な間違いを犯した」 『僕が?』 「そうだ、ジーン。お前の間違いは自分の手の内を麻衣に見せたことだ」 『ナルがバラしたんじゃないかぁ!』 「肯定した段階でお前の責任だろう」 『・・・・』 「ジーン、お前の歪みをどうして麻衣が全部受け止めると思い込んでいたんだ?そこがお前の自信過剰の間違いの元だ」
電話口の向こうの気配が僅かに動揺したことを感じ、ナルはひっそりと笑った。
「3人でやって " イイ " と感じていたのはジーンだけだ。麻衣は結局戸惑ったままだった」 『・・・ふ・・・うん』 「その一方で僕はずっと独り占めしたかった」 『麻衣を?』
剣呑な声色に、ナルは普段はジーンがするようにくすりと笑みをもらした。
「いいや、2人とも」
その答えが気に入ったのか気に入らなかったのか、伺いきれないため息がもれ、それからややあってジーンは苦笑まじりに呟いた。
『強欲だなぁ』 「素直になっただけだ」
ナルの返事に、ジーンは声を立てて笑った。
『素直!すごいなぁナル。ナルからそんな単語が出てくるとは思わなかった!』 「人は学習する」 『へぇ、学者馬鹿にしては飛躍的な進化だね』 「僕はそもそも有能だ」 『バカ言わないでよ。現実生活でこれほどの能無しはそうそういないよ?』 「・・・・」 『信じられないよ』
話がおかしな具合に転んでしまったことにナルは不愉快に思ったが、それを晒してやるサービス精神は持ち合わせていなかったので、暢気に感嘆している兄に向かってさらに追い討ちをかけた。
「信じなくても構わない。ジーンはしばらくそっちで好きにしていろ。むしろまだ帰ってこなくていい」 『はぁ?』 「ここ数日で麻衣は随分かわいい女になった」 『・・・』 「帰ってくるころには別の女にしてる」
さらに長い沈黙が落ち、ナルはその無音に耳をすませた。 片割れの気分が最悪なことが、自身の気分を高揚させた。 常に悪戯を仕掛けるのは兄の方で、ナルがこの気分を味わうことは未だかつてありえないことだった。ナルはその事実に今更ながら気がつき、どれだけ叱っても悪戯をやめなかったジーンの心理をようやく理解した。 ナルが密かにその楽しみを見出している隙に、沈黙は年長者が終わらせた。
『僕は少し、ナルを甘くみていたのかな?』
その言葉にナルは微笑を浮かべたまま「さぁ」と、とぼけた。 するとジーンは声を立てて笑い、優しげなテノールでナルを呼んだ。
『一週間もかからない!こっちの女の子の説得が終わったらすぐ帰るよ。待っててね、ハニー!』
そして一方的に通話は切られた。
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