#015
No wonder
「ナルは興味ないって捨てたけどさぁ、安原さんしっかり保存してるんだもん!綾子と真砂子にまでバラまかれてるんだよ?もう、本当に信じられない!あげくに皆は隠していたのに、ぼーさんにまで公開したんだよ!!こうなるって分かってて!!!」
頬を膨らます麻衣に不自然な様子は見られず、ナルは混乱したままデスクの上にの写真を手にした。
「・・・・・麻衣」 「ん?どうしかした?あ!もしかしてこれ初めて見た?」 「・・・・」 「ナル興味なさそうだったもんねぇ。安原さんが送るって言ってたけど、きっと見ないで削除してたんでしょう?」
――― これはでっちあげた記憶ではなかったのか?
ナルは混乱する頭を宥めるように静かに息をのみ、口を開いた。
「麻衣」 「んにゃ?」 「ここに映っているのは・・・・・誰、だ?」
ナルの問いに麻衣は心底意味が分からないといった顔をして、写真を指差しながら説明した。
「だからぁ、どっからどう見ても私とナルじゃん」 「この手前に映っているのは・・・」 「手前?」 麻衣はナルの手元の写真を覗き込み、首を傾げた。
「なんのこと?」
どう見てもからかっているようには見えない麻衣に、ナルは呆然としつつ、写真に視線を落とした。
「麻衣には・・・・・・見えないのか」
ナルの呟きに、麻衣は眉間に皺をよせ、ナルの側に擦り寄ってマジマジと写真を眺めた。
「何?ナルには何か見えるの?これって心霊写真?」
頬に触れる栗色の髪を眺めながら、ナルは主観と記憶と大脳の曖昧さに眩暈を覚えた。
――― 同じ物象を見ても、異なって見えるというのか・・・
ナルはその現実を訂正したい欲求にかられたが、その不都合と不条理性に瞬時に悟り、それ以上の説明を止めた。 ジーンが見えない麻衣。 それはつまり、3人での危なっかしい三角関係や、ジーンに無理に身体を求められた過去の記憶を持たない麻衣ということだ。それならそれが一番いい。 ナルはそう納得すると口を噤んで薄い写真を眺めた。 本来はありえない光景。 自分の精神はその光景をなかったことにしたはずだ。 しかし、自分の闇色の瞳には確かに失ったはずの片割れが映る。 ナルは慎重に瞬きし、もう一度写真を眺めたが、どうしてもそこにはジーンの姿が見えた。
――― この眼はそうまでしても見たいのか・・・
知らず息を詰めていると、その呼吸を促すように、麻衣がナルの胸を軽く叩いた。
「ナル?」 「何だ?」 「どうしたの?」 「何がだ?」 「ううん……気がついてないならいいよ」 「?」
はっきりしない物言いにナルが顔を顰めると、麻衣は困ったように微笑み、ナルの頬を優しく撫でた。
「 何だか泣きそうな顔してる 」 「今日はとっても変な顔してる」
強烈なデジャブに、ナルは目の前が真っ白になった。 その中をぬうように、麻衣は小さな手を伸ばし、ナルの首筋にしがみ付いた。 柔らかな麻衣の頬が愛しさと同時にとてつもない寂寥感を呼んだ。 あの日。 ヒースロー空港で、抱きしめようと手をこまねいたジーンを、ナルは無下に拒絶した。 大の大人が兄弟でいちゃつくのは正直気味が悪かったのがその主な理由だったが、その一方で、ハグなどいつでもできるとも思っていた。だから、そこに必要性を感じなかった。 あの当時、自分は死の恐怖を忘れていた。 物心ついてからずっと付きまとっていた狂おしいほどの不安定感を、あの平和な生活は平らにならし、あたかもそれが未来への約束のような夢をみさせていた。
「ナル?」
顔を見られないように、ナルは麻衣を強く抱きしめ返し、細い肩に顔を埋めた。
どうしても、どうしても、認められないのだろう。
これ以上ないってくらいに幸福そうに微笑む、鏡よりまだ見慣れた顔がもう見れない。 お節介焼きな、うるさい声はもう聞こえない。 行儀が悪いから、少し猫背になる背中。 小さく尖った顎。
そんなものはもう既に失われている。 もう生きてはいない。
失ってすぐに、麻衣が現れた。 結果的にこれはぎりぎりのところで、僕を人間社会に留めた。 ぎりぎりのところで救われたとも言えるし、皮肉な運命はぎりぎりのところでしか救ってくれないとも言える。そうしてジーンがいないからこそ生じた世界は構築された。 それでもまだ、待っているのだろう。
ナルは麻衣を抱き直し、さらにきつく抱きしめた。
「苦しい!」 「・・・・・うるさい」 「だって、ちょっと!意味わかんないんですけど?所長!」 「少しは大人しくできないのか」 「だぁってぇ!」 「今だけだ」 「・・・・・・・・ナル?」 「In fact, I was waiting for so long 」 「おおぉ?!ええええええ英語ぉ?」 「No wonder . I was much same as 」 「なななな、ナル?!突然どうしたのよぉ!?わかんないよぉぉぉ」 「・・・・・・・・ I miss you」
聞き取れないようにわざと早口で小さく告げ、狼狽する麻衣のためにナルは口の端を釣り上げた。 そうして口にして初めて、ナルは全てのことを理解した。
「 すぐ帰って来るからね 」
反故になった約束に、積み上げてきた過去の確信が揺らいだ。 そもそも自分達双子は、まるで特別ではなかったのかもしれない、と、どこかで疑ったのだろう。 ナルはそこで現実の、 " 本来の " 自分を取り戻すべく深呼吸をした。 死者と生きる者になった、その隔たりごときであの関係が変わるわけはない。 一度約束を違えたくらいで、その確信は揺らぐ必要はないはずだ。 その根拠たる過去と現実は既に手元にあるのだ。 疑わない。 死んだら嫌でもまた会える。 僕らはまだ繋がっている。
「 だから、今は "さようなら" しようか 」
妄想のジーンに言わせた言葉を思い出し、ナルは面映くなって顔を顰めた。 そして次に柔らかい生身の人間の肌の感触に、これよりはまだ固いであろう抱き心地を思い出し、眉間に寄せた皺を僅かに緩めた。
夢なんかみなくても、また会えるその日を待つことはできるはずだ。
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END |