#014  ナル!かくまって!!!

    

   

全てが夢だったというわけではない。

人が自分の脳を解して世界を理解する限り、あの光景は気がつかなければ間違いなく "現実 " となるはずだった

けれど最終的にナルは " 日本で、交通事故で、一人で、ジーンが死んだ " 現実を選び取った。

手元に残った " 記憶 " がそうである限り、それを " 現実 "とするしかない。

その曖昧な現実感に、ナルはしばらく混乱したが、それもまた日が過ぎれば落ち着いた 

  

 

 

 

ジーンが死んだのは、もう4年も前のことだった。 

それから約2年の月日をかけて、ナルは自分自身の力でジーンの遺体を見つけ出した。

 

" 日本の心霊現象は興味深いから " 

  

そんな建前を立てかけて、遺体発見後もジーンのいないイギリスにはその後寄り付かず、リンとともに日本に居座った。  

日本にはおかしな仕事仲間がいて、仕事と研究はそこそこ順調に推移していった。

そのうち一つの調査がきっかけとなって、未だ迷っていたジーンとは霊体ではあったけれどコンタクトが取れるようになった。

けれどそれも麻衣と付き合うきっかけとなった時節を境に、まるで音信が取れなくなった。が、そもそもそれが自然のことだ。

一方で、現実生活では大きな変化はなく、麻衣と付き合い出してリンとぼーさんの小言が多くなりはしたが、表面上は平和な日々を過ごしていたことになる。

 

 

 

法具の呪いにかかる前も、後も。

 

 

 

ジーンが同行して行った人里離れた別荘地の調査に、ジーンはもちろんいなかった。

麻衣が一人でトランスして、僅かに掴んだ情報から安原が独自の情報収集能力を発揮して、問題は解決していた。 

シンシアは訪日しておらず、事務所に顔を出したのはまどか一人で、彼女は1人で3人分の騒がしさで事務所を賑わした後にイギリスに戻っていた。

リンはもちろん新しいジーンの部屋など契約しておらず、マンションの自室にはジーンが生活したことを示唆するような私物は何一つなかった。

苦労して書き上げたはずの論文はしっかり掲載されていて、これは悪夢と変わらず酷い出来だった。

 

現状から、調査用の記録から、あるいはサイコメトリでちらりと垣間見る他人の記憶から、記憶は少しずつ補われた。

文字通り他人の記憶や記録を観察しているだけだから実感はまるで生じなかったけれど、それが現実に残っている限り、これこそが " 正確な過去 " と位置づけるしかなかった。そのあたりの諦めの良さ、見切りの早さについては、感情や感傷を重要視しないナルらしく早かった。  

 

 

 

 

 

 

  

どんよりと厚い曇天が低く垂れ込める冬の日のことだった。

ノックもなく、突然激しい騒音とともに麻衣が所長室に飛び込んできた。

その慌てふためいた様相と盛大な騒音にナルは露骨に顔をしかめ、怒声を上げた。

 

「うるさい!」

「ナル!かくまって!!!」

 

しかし言葉を遮って、麻衣は所長室の鍵をしめると、泣きそうな顔をしてデスクに突進し、陰に隠れるようにしゃがみこんだ。

足元で小さくうずくまった麻衣を、ナルはため息をつきながら見下ろし、その手に一枚の紙が握り締められていることに気がついた。その視線に気がつき、麻衣は泣きそうだった顔をさらに赤らめるといった器用な表情を浮かべ、口元を歪めた。

  

「今、ぼーさんが来ているんだけどさぁ」

「相変わらず暇なんだな」

「うん、まぁもう、それは置いといて!安原さんがぁ、よりにもよってぼーさんにコレ見せちゃったんだよぉ。そしたら父さん怒っちゃってもう手がつけられないんだよぉぉぉ。もう、安原さんの馬鹿!これって絶対確信犯だよ?!絶っっ対面白がってるだけなんだから!」

「麻衣。説明したいのなら、ちゃんと順を追って話せ」

「ほえ?」

「・・・・・その紙は何だ?」

 

ナルが呆れながらも問いただすと、麻衣はああ、と膝を打ち、それから頬の朱色の範囲を耳まで広げ、誰が聞いているわけでもないのにナルの右耳に口元を寄せ、小声で囁いた。

 

「ほら、あの・・・・・私が駅でミュールなくしちゃったことがあったじゃない?」

「・・・」

「夏くらいにさぁ、ナルと安原さんに助けてもらってさ、安原さんが水色のミュール買ってきてくれた時のこと。覚えてない?」

 

麻衣の記憶ではそうなっているのかと、ナルは自分との記憶のギャップに沈黙したのだが、麻衣はそれを忘れたと解釈し、ぷくぅと頬を膨らませた。

  

「ナルが抱っこして運んでくれた時のだよ!」

「・・・・ああ」

「覚えてる?」

「二度も確認されなくてもわかっている」

 

なんだよぉ!と、文句を言いながら、麻衣は握り締めた小さな紙を広げた。

 

「あの時、安原さんに隠し撮りされたやつ。・・・・そのさ、ミュール履くまでナルに抱っこされていたの・・・・・・あの写真!」

 

つたない麻衣の説明を聞くうちに興味の大半は既に失われていたのだが、そのままデスクの上に広げられた写真に、ナルは半ば惰性でちらりと視線をはわせた。

そして、瞠目した。 

 

 

 

 

 

 

 

遊歩道の柵に、ナルに抱きかかえられて座る麻衣の足は、白く、細く、伸びていて、

その先には抱きかかえるナルと同じ顔をしたジーンが傅き、

敬虔さをもって伸ばされたその素足に小さな靴を履かせていた。