「聞きましたよ。おめでとうございます、ドクター」
顔見知りでこそあれ普段は滅多に口をきくこともない大学関係者、研究関係者、果てはキュレーターまでもが親しげに微笑み、祝辞を告げてくる。
当初はこの現象がよく理解できなかったが、3日目ともなると慣れていい加減に受け流せるようになった。
「普段はおっかないドクター様も子どもができて一気に身近になったんじゃない?さすがのデイヴィス博士もこの話題で毒は吐かないだろうって、声をかけやすくなったんでしょう」
上司は嬉しそうに笑いながらそう説明した。
あなたは色々と好奇心をそそる人物だから、と。
あきれるほど単純だが、事実なのだろう。
声をかけてくる人間は皆判で押したように同じ反応をする。
大抵は礼を告げれば満足するか、性別を尋ねてくる程度で会話は終わる。
妻の詳細、住居の心配、僕の心境の変化など、質問を重ねる人間に限ってしつこく感想を求めるが、心底迷惑そうな顔をすれば途端にひるむところまで同じで、最も厄介な質問、その子はどんな特異性を持っているのか、と、尋ねたいであろう人物に限って声をかけてこないことまで見事に統一されていた。
その沈黙にはまだ判別がつかないだろうという見解と、取り逃がすまいとする懸命さが透けて見えるが、差し迫っての問題ではない。
いずれも対応に苦慮することはない。
しかしあまりに頻繁に声をかけられるのは正直鬱陶しく、その日研究室に顔を出した時点で僕の機嫌はすこぶる悪かった。
「素直に感謝すればいいじゃない」
「・・・いつまで続くんだ」
「"
いつまで
"じゃないわ。お祝いを言っていない知り合いがいなくなるまでよ」
何もかも見越しているであろう上司は愉快そうに目尻を下げてそう言った。
「まさか未だに他人に声かけられるのが苦手ってわけでもないでしょう?」
確かに昔ほど他人との接触が苦手というわけではない。けれど得意ではないそれに些かの労力は要する。声をかけられないに超したことはない。
特に理解不能な祝福の強要には。
「・・・・胸やけしそうだ」
僕のその呟きを上司はどのように解釈したのか、いつもの喰えない笑みを浮かべたまま彼女は定時になると早々に僕を研究室から追い出し、入院中の妻と子の元へ強制的に向かわせた。
母子ともに健康は偽りなく、病室に顔を出すと麻衣は慣れない小さな息子の対応にわぁわぁと喚いていた。テンションが高すぎてそれははしゃいでいるようにも見えたが、実際には困っていたらしく、巡回にきた看護士に泣きべそ状態で日本語で窮状を訴えていた。
母乳を飲んでもすぐに吐き戻してしまう。
戻す度にひゃっくりをする。
気管に入ったりはしないだろうか?
巡回の看護師は僕に見とれて固くなっているし、訳してやるのも嫌になるような内容だったが、それをたしなめる方が面倒だったので仲介してやると看護師は極度の緊張状態で問題ないと告げ、やけに親しげに麻衣の肩をさすっていった。
いい加減な対応に見えたが、麻衣は単純にそれで落ち着きを取り戻し、母乳を吐き戻したばかりらしい我が子を嬉しそうに僕に押しつけ、それからようやく僕の様子に気がついた。
「今日はやけに早く上がったんだね。でもなんか疲れている?」
「まどかに仕事場を取り上げられた」
いくばくかの嫌味を交えたつもりだったが、まどかの共犯者にでもなったつもりなのか、麻衣は愉快そうに笑った。その笑いが些か勘に障り、僕は麻衣を気遣うレベルを少し下げた。
「今日は出産祝いを言われ続けて疲れた」
「ほ?大学で?」
「暇なんだろうな。無関係の学生まで知っていた」
大きなお世話だ、と肩をすくめると、麻衣はあんたらしいとオーバーに嘆きながらチシャ猫のように口角をつり上げた。
「ナルのことだからまぁた小難しく考えてるんでしょう?」
「ゴシップが広がるのは仕方のないことだとして、わざわざそれを言いにくる神経が分からない」
「ゴシップって・・・いいじゃん、お祝いごとだよ。ありがたい話じゃない」
「迷惑だ」
「・・・・ばっさりだね」
呆れる麻衣から視線を外し、首もすわらず、軟体動物のように厄介な手触りの息子を見下ろし、僕は首を傾げた。
「声をかけてくる人間はみな、子どもの誕生が祝福されることだという確信を持っていて無遠慮だ。気味の悪いエゴを押しつけられてこっちは気分が悪い」
「嬉しいことなんだからいいじゃない」
「そういう意味なら実感もなければ納得もないな」
「子どもが生まれて少しは実感できたんじゃないの?」
「主観として思うことはあっても、それが共感できるものとは思えない」
「面倒な人だねぇ」
嫌がらせに聞こえたのだろう。麻衣は顔を顰めて乱暴にそう結論付けると、
「んじゃ私がとどめを刺してあげる」
と、その日最大の笑顔を浮かべた。
「誕生日おめでとう、ナル。忘れられて寂しかったんでしょう?」
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