雨は当初の勢いをなくしはしたものの、未だしぶとく降り続いていた。
止むことを忘れたのか、と、顔を顰めて空を見上げると、鈴を鳴らしたような笑い声と共に随分と古風な傘が頭を覆った。
 
「一也さんその格好どうされましたの? 随分珍しいお召し物ですこと」

" カズヤ " という名前に心当たりはなかったけれど、聞き覚えのある声に振り向けば、そこには着物姿の真砂子さんがいた。
 
 

 

:::::: 5th 未来の過去

 
      

真っ白な肌によく似合いの上品な着物。
落ち着きと品のある声。
それらは全部真砂子さんそのものだったのだが、ただしこの真砂子さんも僕が知っている優雅で迫力ある日本美女とは違って、驚くほど若く、小さな日本人形のような " 少女 " だった。
しかも今の真砂子さんの笑顔は、いつもアイツに対して浮かべるシニカルな笑みではなく、頬をほんのりと染め、目元を潤ませている。控えめに言ってもごくごく好意的なものだった。
それは半端なく愛らしく、非日常的に可愛いだけに、何だかぞわりと背筋を撫で、怖いもののような気すらした。
だってそれはアイツに恋焦がれるものそのもので、それは25年後の真砂子さんとは余りにもかけ離れていたし、そうなっては僕と弟の生命の危機に直結するタブーになってしまう。
その視線を避けるように、僕はぼーさんから服を借りて居心地が悪いことを言葉少なながらも説明すると、真砂子さんは口元を着物の裾で覆って慎み深く笑い、その笑みが途切れた時に訳知り顔でこう呟いた。
 
  

「でも、新品でよろしゅうございましたわね」

 
 
その一言は、アイツの能力を示唆しているように聞こえた。
そうして真砂子さんは間違いなく僕をアイツと勘違いしているのに、何故か" カズヤさん "としなを作るように呼んだ。 
あまりに意味が分からなくて言葉に詰まった僕の反応をじっと見詰め、真砂子さんは少し寂しそうに微笑むと、とても慎重に手にした傘を僕に渡した。
 
「この話題をするからあたくし嫌われるんですわね」
「・・・・」
「失礼いたしましたわ、ちょっと知ったかぶりをしてみたかったんですの」
「・・・・」
「もうしませんから、そう睨まないで下さいませ」
  
真砂子さんはそう言うと、いつまでも歩き出そうとしない僕を悲しそうに見つめ、事務所に行くならご一緒させて下さいませと言い置いて、すぐ側に建つ瀟洒なビルに向かって、雨に濡れることなんて一切構わないように振り返りもせず歩き出した。
その泣きそうなか細い背中を見て、意味は分からなかったけれど、僕は真砂子さんを傷つけてしまったのだろうことが分かった。
当時のアイツだったらそんなこと全く気にしなかったのかもしれないけれど、僕はそこまで冷血漢ではない。
真砂子さんを責めるつもりはなかったのだと弁解したいような、慰めたい気持ちになった。そうして、できることなら僕の知っている未来を全部教えてあげてしまいたくなった。 
 
アイツを好きなのは不毛だからヤめた方がいいとか。
それでも大丈夫、真砂子さんは腹黒くて何考えているのか分かんないけど、いつも笑顔で真砂子さんを一番に大切にしてくれて、頼りがいのある男と結婚して、かわいい女の子ができるから、とか。
アイツはあろうことか麻衣と結婚するんだよ、とか。
その後も家族ぐるみで仲がいいんだ、とか。
その息子2人はあなたのことが大好きだ、とか。
だから、そんなにこんなことで悲しんだりしないで、と。
 
でも、そんなのもちろん口にできるわけもなくて、僕は全部の言葉を胸に落として沈黙した。
沈黙は少し長すぎたような気がしたけれど、真砂子さんは全く気にしないようですたすたとビルの二階に登っていった。
そもそも当時のアイツが無口だったせいだろう。
いつも麻衣をやきもきさせるアイツの会話嫌いを僕はずっと嫌いだったけれど、この時ばかりはそんな口下手に感謝した。
そうしてSPRと金文字で書かれたブルーグレーのドアの前に立つまで沈黙を通していた僕を真砂子さんは黙認して、先に失礼致しますわ、と軽く会釈してそのドアを開けた。
その時には既に、真砂子さんの表情は涼やかに整えられていた。