「 あっらぁあああ、ご一緒に出社とはお安くないわねぇ 」
先に事務所に入った真砂子さんがどんな説明をしたのか、事務所の中からは綾子さんと思しき甲高い女性の声が声高に非難の声を上げていた。
そしてまたその一方で、面白くなさそうな声が被せられた。「今日はナル旅行の予定だったのに・・・どうしたんだろう?」
状況が僕の味方をしてくれた。と考えるより先に、僕はつい好奇心からその声の主の顔が見たくてブルーグレーのドアを潜った。
そうしてそこで目を点にして、その次に涙を流して大爆笑する、いずれ僕の母親となる女性、麻衣を目にした。
:::::: 6th 未来の過去
昔よく思った。
仮に同世代で出会えたら、僕はきっと麻衣と恋に落ちただろうって。
タイムパラドックスに陥るその状況はありえないことだけど、仮にそうなれたら、僕も麻衣も今より数倍マシな人生になったんじゃないかって。
青猫に問われて咄嗟に答えた時代ではあったけれど、そんな下心がまるでなかったわけではない。
そうして念願叶って対面した17歳の麻衣は、驚くほど短いスカート丈の制服を着ていて、半端なく可愛くるしかった。
このまま恋人にできたら僕の人生に悔いはないと思う。
夢の世界だ。
けれど、状況はお世辞にも恋が生まれるような環境ではなかった。
「ごめ・・・本当にゴメン。だからさぁ・・・ぷっ・・・・」
「・・・・・いい加減にして下さいませんか、谷山さん?」
「うん、いや・・・・分かってる・・・・ふ、ふふふ」
「・・・・・麻衣」
「だって別人みたいなんだもん・・・」
事実別人なのだから当然だ。
と思ったが、ここでできることは不機嫌顔で黙り込むしかない。
麻衣は僕をアイツと思い込み、普段のアイツが絶対着なかったであろう出で立ちに涙を流して笑った。
多少の違和感はあったと思うのだが、この巨大インパクトに払拭され、センシティブのはずの麻衣が側に寄っても僕をアイツではないとは気が付かないようだった。
そうして中々笑い止まない麻衣達を捨て置いて、僕は見たいと思っても見れないと諦めていた事務所を仰ぎ見た。
――― 渋谷の一等地にある広い事務所だったの。
――― ブルーグレーのドアが目印で、
――― いつも皆が溜まり場にしてたなぁ。
――― 所長様は基本的に所長室に篭ってるんだけどね
――― お茶飲みたい時だけ顔出して、その度に
――― 「みなさん、よほど暇なんですね」って
――― しかめっ面で文句言ってたのよ。
嬉しそうに麻衣が語っていた、渋谷サイキックリサーチ事務所。
そこは初めて踏み込んだにも関わらずどこか懐かしいような気持ちにさえさせた。――― 僕にサイコメトリはできないんだけどな。
自嘲の笑みをなんとか噛み殺しながら、僕はするりと笑い続ける麻衣の脇を抜けて所長室と思しきドアに向かった。
その背に向かって、麻衣が慌てて声をかけてきた。「ナル、お茶?」
「あ、あぁ・・・・・・・所長室に」
「らっじゃー」ドギマギしながらもそれと悟られないようにポーカーフェイスで返事をすると、麻衣は頭の悪そうな発音と共に頷き、弾むような足取りで給湯室と思われる一角に向かって行った。
その麻衣に向かって同じように笑い転げていた綾子さんと、慎み深くソファに腰を下ろしていた真砂子さんが声を上げた。
――― お茶汲みはいつも私の仕事だったんだよ。
――― 最初は上手くできなくてナルにけちょんけちょんに言われたけど、
――― お陰で得意になったんだ。
――― それでね、ぼーさんと綾子と真砂子はオーダーまで決まってたの。
――― ぼーさんがアイスコーヒーで、
――― 綾子がアールグレイ、
――― 真砂子が玉露。
――― どれだけ忙しくてもバラバラ。
――― あ、でもジョンと安原さんは気を使ってくれてたな。
――― あの3人と、それに輪をかけてパパが我侭だったのよね。
――― 本当にみんな " らしい " でしょう?
「麻衣、あたしにもアールグレイね」
「あたくしは玉露で」
麻衣の記憶をなぞるように。