怪我や体調不良で担当を外れた社員。
計測機器トラブルが多発した地盤調査事務所。
今回の被害者というべき人達から直接詳しい事情を聞きたいとリクエストされ、香奈は張り切ってその場をセッティングした。
部署は移動したばかりで初対面ばかりだが、これまでの部署で関係者との折衝は慣れていた。前職では地権者との話し合いでは怒鳴られたりもしてきた。それから比べたら簡単極まりないセッティングだった。誰に誇るわけではないが、伊達に3年揉まれたわけではない事を発揮するつもりだった。
怪我をした社員は2名、体調不良を訴えた社員は1名。うち、体調不良の社員は未だ自宅療養中で出社できないが、電話で話を聞く段取りをつけ、出社可能な社員は呼び出し、社内の会議室で面談をしセッティングした。またその日のうちに地盤調査事務所には直接訪問し、関係者の話を聞くことにした。
時間的に余裕を持たせたスケジュールに問題はなかったはずだった。
しかし大きな誤算はこの渋谷所長本人だった。
面会に訪れた面々は皆一様に珍しい内容のため緊張した面持ちで現れた。
そうして渋谷所長を見ると一瞬間呆けて、我に返ると皆一様に薄ら笑いを浮かべた。
横に控える香奈と見比べ、肩を竦める者もいた。
隠そうとしていないのだから、その内心はよく分かった。
子供だましに乗せられた、と。
しかも、しかもだ。
他部署のOLから地盤調査事務所の事務員まで、果ては全く関係のない部署の上司まで、行く先々で無関係で距離のある者ほど所長の容姿に色めき立ち、それぞれ水面下で大騒ぎになったのだ。最後は男性社員まで物珍しそうに所長の顔を見にやってくる始末だった。
これから社内に戻ったら同僚やら同期から局からと、質問攻めにあうことは間違いなく、それを思うだけでも溜息をつきたくなる。それも本題とは全く関係のない話題で。
そこに潜んだのは無責任で下世話な好奇心。
ともすると侮蔑したような表情が、香奈の心臓をキリキリと痛ませた。
あんな扱いを受けて、この人はなんと思っているのだろう。と、当事者を目の前にしては、たまらなく恥ずかしく、居たたまれなかった。
面談中は個人のプライバシーを守ることを理由に同室を拒否されたので、内容までは分からない。その扱いに不満がないわけではないが、それ以上にこの人が不愉快な思いをしていないかという不安の方が先立って落ち着かなかった。
被害者と所長を引き合わせるまでは香奈もその場にいた。それだけでこの始末だ。
自由会話の行われる面談中、いかがな扱いがあったのか、想像するのもぞっとしない。
返事のない気まずい雰囲気のまま、香奈はバックミラー越しに後部座席に座る所長の顔をこっそりと盗み見た。
下を向いて書類をめくり、おそらく聞き取り内容を確認しているだろうその顔は、青ざめたように白く、どんな角度から見てもその美貌に隙はない。
独特の色香さえ感じるその雰囲気は、車内などという密室空間では息がつまりそうになるほどだ。何を考えているかなんて見当もつかない。別世界の住人とは、この人のようなことを指すのだろう。
意識的に視線を前方に集中させながら、香奈はこっそりと溜息をついた。
掛け値なしにこの人は本当に綺麗な顔をしている。
問答無用のその美貌はいいことしかないだろうと思っていた。
しかし美し過ぎるというのも実は面倒なものなのだと今日実感した。
彼が現れるだけで、その場の現実感はなくなる。
それは彼の若さもあいまって、時としてとても面倒な事態を招く。
本人のせいではないが、ともするとちょっと気の毒だ。
香奈にしたところで、聞き取りに向かう前までは、こんなカッコイイ人と二人きりだと盛り上がる下心はあった。業務の一環だという理性はあったが、何とはなしに朝は普段より念入りに化粧をして、今日のスーツは一番体系にフィットしたフェロモン系を準備した。
行きの道中口数が少なかったのも、ミステリアスでいいと、内心こっそりとポイントをプラスしていた。しかしそんな浮かれた気分はこの数時間ですっかり萎んだ。帰路の寡黙さはもはや拷問だ。こっそりと塗りなおした口紅もこうなってしまうと、滑稽なものにしかならない。
なんとか無事に工場跡地にたどり着くと、所長は礼もそこそこに足早に地下室に向かった。
そうして地下室に着くと同時に、その場にいたメンバーに矢継ぎ早に指示を始めた。
「リン、調査機材を追加したい。日本にある分でリストアップしたが、使えるか?」
初めに呼ばれたリンは所長から手渡されたメモを一読し、わずかに眉間に皺を寄せた。
「ナル、本当にこれが必用になるのですか?」
「まだ可能性だが・・・疑わしい」
リンはそれ以上の反論はせず溜息を一つついた。
「半分は既に搬入済です。今から調整にかかれば、明日の午後には全て使用可能です」
「では早速取り掛かれ。安原さん」
「はい」
「周辺の聞き込み調査の際、万が一同じような事例があった場合その開始時期を可能な限り絞って下さい」
「はい」
「それからこの地域の再開発計画全体の詳細が知りたい」
「分かりました。調査します」
「合わせて、これが本日の聞き込みでわかった地盤調査で不具合の出た機材の型番と年式です。知りたいのはこの調査機器の原理です。解読できそうな心当たりは?」
安原はそこで首を傾げた。
「専門外なのでわかりませんが、友人総当たりで探してみましょう」
「お願いします。・・・・そしてぼーさんはどこへ行った?」
「買い出し中です」
所長はそこで眉をひそめ、溜息をついた。
「では帰り次第、僕とぼーさんは現場調査に向かう。リン、安原さんはそれぞれの仕事に」
「わかりました」
所長は全て指示を出し終えるとその場にあったパイプ椅子に腰を下ろした。
「ま・・」
そして何事か言いかけてそのまま口をつぐんだ。
その奇妙な間に、今にも飛び出して行きそうだった安原が準備の手を止め、くすくすと人の悪い笑みを浮かべながら声をかけた。
「不肖安原のインスタントでよろしければお茶をおいれしますが、いかがですか?」
所長は嫌そうに安原を見上げ、それでも小さく頷いた。
「お願いします」
「水原さんもいかがですか?今日は一日お疲れ様でした」
安原に水を向けられ、そこで所長はやっと気が付いたように香奈の顔を見て、テーブル越しに手近にあった椅子をすすめた。
「今日はありがとうございました」
「あ、いいえ。本当にすみませんでした」
思わずついて出た謝罪に、所長はおや、というように眉を上げた。
「謝罪される意味がわかりかねるのですが・・・」
「あ、いえ。でも、うちの社員の態度が悪くて・・・ご気分が悪いのではないかと」
「?事後確認は正確にお答えいただいたような印象でしたが・・・」
「あ、それはそれで・・・あの、その関係のないギャラリーが多くなってしまいましたし」
香奈がしどろもどろと言葉を繋ぐと、所長はああ、と、頷いた。
「お気になさらず」
「でも!」
「慣れてますから」
「・・・・はっ?」
所長は安原から紙コップを受け取りつつ、首を傾げた。
「僕は僕の顔を見て、無反応だった人間を見たことがありません」
工場跡地からの帰りはリンと安原と一緒になった。
未だ衝撃から立ち直れ切れていなかった香奈を、安原が慰めた。
「所長は頭も顔もすこぶるいいんですが、その分ちょぉっと口と性格が悪いんです」
「・・・・・は・・・あ」
「不機嫌無表情はデフォルトなのでそんなにお気になさらないでください」
「でも・・・」
「実際今日はちっとも怒ってらっしゃいませんでしたよ?」
「そうなんですか?」
「山のようにプライドが高くらっしゃってて、あの所長が怒るのは自分が出し抜かれたと感じた時くらいですもん。ね、リンさん」
「・・・否定はしません」
寡黙を絵に描いたような男が、そこでようやく口を開いた。
「ナルの相手は難しいので、あまり気になさらないことです」
そこで香奈はふと違和感にとらわれた。
「ナルって・・・所長のお名前ですか?確か・・・かずやさんだったと・・・」
香奈の質問にリンと安原は顔を見合わせ、互いに失笑した。
「先ほどの会話でわかりませんか?」
「え?」
「所長は自分の頭も顔もすこぶるいい事をよく知ってらっしゃるんです」
「・・・はぁ」
「付いたあだ名が ”ナルシストのナルちゃん” 」
頷いたらいいものか笑ったらいいものか、咄嗟の判断が付きかねて無反応になると、安原はにっこりと微笑んで首を傾げた。
「そのうちぴったりだって実感できますよ」
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