「お嬢さん、それなぁに?」

「あ、滝川さん。えっと、石油ストーブと灯油です。今晩から寒くなるって予報だったので、あそこ暖房機器なかったと思って、社で空いていたの持ってきたんです」

「おぉそりゃ嬉しい。気が利くねぇ」

滝川はにっこりと笑みを浮かべると、香奈の代わりに車からストーブと灯油を降ろし、そのまま両方を両手に持った。 

「あ、片方持ちます!」

香奈が慌てて手を出すと、滝川はにやりと笑った。

「そこは遠慮することを覚えなさい、お嬢さん」

   

  

   

  

   

   

    

   

 

    

  

  廃墟の夢

    

    

     

  

  

地下室に続く扉の前、ちょっとした庇のあるそこではリンが一人タバコを吸っていた。

「ちょい休憩ね」

滝川はそう言うと、両手に抱えていたストーブと灯油缶をどすんと地面に落とし、やれやれと肩を回した。

それはなんだと視線で問うリンに、滝川は差し入れだと前置いた。

「ストーブとその燃料缶。ちょっと男前なとこ見せようと入口から運んだんだけど、やっぱ年かね、重かった〜。お嬢ちゃん、これ一人で持ってくるつもりだったの?」

「はい」

「そりゃ無理ってもんだ。好意はありがたいが、そういう時は俺らの誰でも構わないから男を使いなさい。一番ひ弱そうなナル坊だってあれで中々力持ちよ?」

滝川はそう言うと上着の内ポケットからタバコを出し、それからごそごそと左右のポケットをまさぐりだした。

「火、ですか?」

香奈は反射的に自前のジッポを取りだし、火をつけた。

滝川は驚いたように目をむいたが、片手をあげて火をもらうと、横を向いて煙を吐いた。

「水澤ちゃんも喫煙者なのね」

スワロフスキービーズできらびやかにデコレーションしてある細身のジッポを凝視しながら問う滝川に、香奈は苦笑しながら自分のタバコを出した。

「失礼してよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

メンソールの軽いタバコの煙が、重苦しい煙に交じりこむ。

眺めるともなく沈黙すると、その先で滝川が咳払いした。

「まぁ・・・・・やめようとしても止められない人が言うことじゃないけどな」

滝川の持って回った言い方に、香奈は苦笑した。

「私もやめたいとは思っているんですけどね。中々止められなくて」

香奈が怒ったり不機嫌になったりしなかったことで、滝川はわかりやすく安堵した。しかしそれでも困ったように眉根を寄せた。

「女の子だからねぇ。将来的にはお母さんになるわけだから、その辺ちょっと考えなね。まぁまだ実感なんて持てないだろうけど」

歯切れ悪く苦言を続ける滝川に、香奈が返事するより前にリンが小さく笑った。

「何んだよ、他人事みたいに笑いやがって。お前さんだって喫煙者じゃん」

滝川が億劫そうにリンをねめつけると、リンは軽く肩を竦めた。

「私は止めようとも思っていませんし、他人にそれを求めませんから」 

だから無関係だとリンは言い張り、あまり見ない銘柄の細いタバコを半ばで吸い終え、慣れた手つきで銀色の吸い殻入れを取り出し、そこにギュッと吸い殻を押し付けた。

磨きこまれた銀色の吸い殻入れは、一見して随分いい品だと分かった。

そうと気が付きよく見れば、リンの身に着けているものは全てお金がかけてあった。

そしてそれが不自然でなくよく似合う。

香奈は社内にいる上層部の顔を思い浮かべながら、もう一度リンを盗み見た。

顔の半分が長い前髪で覆われる特異な外見に、高過ぎる身長、寡黙過ぎる口数から敬遠していたが、彼は身入りのいい上層部のオジサン達なんかよりずっと上等な部類にいた。

お金をかけて似合う体型、見合うルックスというものがあるということは、香奈にとっては軽いカルチャーショックだった。

所長があまり見かけない美人であることと同じように、この人も香奈の周辺ではあまり見たことのない上等の男なのだと意識した途端何だか身がすくんだ。

現実にいるんだという純粋な驚きは、気おくれを呼び起こす。

いたたまれずリンから視線を外し、香奈は正面でタバコを吸う滝川に視線を移した。

こうして見比べれば、リンに比べると安い印象を受ける。けれど

「滝川さんってモテそうですね」

一般ウケという意味では滝川の方に軍配が上がる。

香奈の唐突な感想に、滝川はちょっと驚いた顔をしたが、まぁね、と軽くあしらった。

「安原はさておいて、な」

「安原さんにもモテてるじゃないですか」

「あれを数に入れるほど落ちぶれてない」

「あははははは」

香奈が笑うと滝川も嬉しそうにまなじりを下げた。

女の扱いに慣れていて物おじしない。

男気もあって頼りがいがありそう。それでいて母性本能をくすぐる愛嬌がある。

これはハマると抜け出せない厄介なタイプだ。 

 

   

   

   

   

  

 

 

 

香奈が持ち込んだストーブに火をつけてから、滝川はそのすぐ横で暖を取りつつ墨をすり始めた。何事が始まるのかと観察していると、滝川はその容姿とは似ても似つかない達筆で崩した漢字を細く切った半紙に順に書き付けていった。

「・・・・それは何ですか?」

「護符。一般的にいうお守り」

先のタバコの一件で何だかすっかり気安くなった香奈は、ちょっと砕けた口調で話しかけた。

「なんだかアレですね。来来キョンシーズみたい」

「ふっは!まぁ近いな。何、水澤ちゃん観てたの?」

滝川は滝川で香奈に気を許したようで、ちゃん付けで香奈を呼んだ。

それはちょっと予想以上に嬉しくて、香奈は笑いながら、一時大人気だった子供向けテレビドラマシリーズの話題を繰り広げた。

弟がいた香奈に比べ、年上のはずだが滝川もそのテレビシリーズには詳しかった。

滝川はコロコロとよく笑いながら筆をすすめ、一気に数十枚書き上げた。

「ストーブあるから乾きも早くていいやねぇ」

「これどうするんですか?」

「ん〜とね、やっぱりうちらも計器トラブルが続出してるのね」

「あ・・・・そうなんですか?」

「そ。原因はまだわかっていないんだけど、それが幽霊さんの干渉だったとすれば、こうやって護符をはってやれば治まったり、多少はトラブルが減るはずなのよ」

「そうなんですか・・・」

「ベースは元々結界張ってるんだけど、トラブルは出てるからどこまで結果がおいつくか分からないけど、まぁやらないよりはいいデショ」

滝川の説明に香奈は眉をひそめた。

「やっぱりこちらでも計器トラブルあるんですか・・・・」

「まぁ心霊現場ってのは元々機械と相性が悪いって相場が決まっているからね」

「・・・・」

思わず黙り込んでしまった香奈に、滝川は優しく声をかけた。

「ん〜?どうした?」

何気ない気遣いの口調が嬉しくて、香奈は苦笑しながら口を開いた。

「いえ、あの。こう言っては失礼かもしれないんですが、私そもそもここに幽霊が出たってあまり信じられなくて・・・今の今までちょっと現実感なかったんです。確かに人気がなくて気味悪いなぁとは思いますが、来るのはこの地下室だけだし、ここまで来ればどなたか必ずいらっしゃるから特に心配とか不安とかなかったんです」

「豪気だねぇ。まぁそのくらいの方がいいよ」

ムツカシク考える方が疲れるからと、滝川はからからと笑った。

それと一緒に笑いながら香奈は首を傾げた。

「元から霊感とかなくて幽霊とかみたことはないんですが、みなさんと会えば実感するのかなと思っていたのですが、なんだかそれもなくて・・・でも、やっぱりここにはその幽霊とかいるんでしょうねぇ」

「まだいるかどうか分からないよ。それを調べてる途中」

「あ、そ、そうですよね。でも、やっぱりいるかもしれないんですよね?」

「・・・まぁ可能性としてはね」

滝川はぽりぽりと顎をかいた。

「呪われるとしたら、私みたいな鈍い人が知らずに呪われるんでしょうか?」

鈍い人が触っちゃいけないものに触ったり、足を踏み入れてはいけないところをうっかり歩いたりして呪われる。ホラー映画によくある展開だ。

香奈が説明すると、滝川は軽く首を竦めた。

「大丈夫だとは思うけどね。そこまでヤバい雰囲気は感じてないし」

「はぁ・・・」 

「でも不安に思うのはいけないね。おじちゃんが水澤ちゃんを守ってあげよう」

「え?」

すると滝川はストーブに向けて乾かしていた紙を香奈に手渡した。

「しばらくはこれ持ってな。高野山元坊主直筆の護符。直接的なお守りとしてはこれで中々強力よ?」 

香奈が手元に押し付けられた紙を見下ろしていると、滝川はにこやかに笑った。

「俺は悪いのを粉砕するのが得意。リンは呪いを返すのが得意。憑依っていう幽霊が取りつく状態のこともあるんだけど、そうなったら落とすのが上手な神父も協力者にいる」 

滝川はそう言って、不安げに俯いた香奈の頭をぽんぽんと軽くたたいた。

「伊達にプロを名乗っているわけじゃないよ。依頼者の安全は必ず守るから安心しな」 

筋張った大きな手、血管の浮き出る太い腕、にっこりとほほ笑んだ目尻の皺を見上げながら、香奈はこれはヤバいかもしれないと、また別の心配事を増やした。