「きゃぁああああぁぁああ!」
香奈はその日何度目かの悲鳴を上げながら、ハンドルに突っ伏した。
噛み殺そうと思っても、つい口から声が出る。
あまりの恥ずかしさにジタジタと身もだえしてしまう。
「・・・・っっあぁもう!」
落ち着こうと取り出したタバコは力いっぱい握りしめてしまって、もはやタバコの形態を失っていた。香奈は乱暴に指先についたタバコの葉を落としながら、再度新しい一本を取り出し、なんとか苦労してそれに火をつけた。
社用の立体駐車場に車を止めたままサイドガラスを開け、大きく吸ったタバコを吐いた。
臭いが付くのが嫌だから、車内は禁煙をモットーにしているのだが、こんな状況ではそんなポリシーなんて捨て置いても構わないだろう。
とにかく、もう少し落ち着いてからでないと車の運転なんかできない。
運転しなければ、あの工場跡地には行けないというのに。
香奈はそう考えてから、再び今朝見たやけにリアルな夢を思い出して顔を赤くした。
理性などがまったく利かない夢の中。
そこでは安原に渋谷所長、リン、滝川が代わる代わる自分の目の前に現れ、全員が香奈に好意を寄せてきた。まさに香奈のハーレムだった。
大それているにも程があるでしょう???!!!!
ダンダンダン!と香奈は車内で地団太踏んだ。
優しい安原や滝川に脈ありかもと思うだけならまだ可能性もあるだろうが、まさか所長やリンまで巻き込むなんてあんまりだ。所長に関して言えば、彼はナルシストのナルちゃんと言われているほどなのに・・・
いや安原や滝川にしたところで、具体的にアプローチがあったわけでもしたわけでもない。これではちょっと会話しただけで好きになる中学生と同じレベルだ。自分のことながら勘弁してほしい。しかも対象が4人全員なんて節操なしにも程がある。
唸り声をあげそうな勢いで、香奈は自問した。
確かに自分はあの団体の中で紅一点だが、それほど珍しい女の子ではない。
不可ではないだろうが、特別美人でもないし、モテるタイプでもない。
優しくしてはくれるが、それは環境がそうさせているだけだ。
理性が落ち着けと押しとどめるが、一度意識してしまうともうダメで、いつの間にか顔はにやけてしまい、我に返って悲鳴を上げる。
今日は朝からこの調子で、隣の席の上司にも心配される程だった。
仕事も手につかず、これ以上醜態をさらす前にと今日は一足早く社を出たが、こんな状況で安全に運転できる自信もまたなく、車中でぐるぐるしている始末なのだ。
去年、学生の頃から付き合っていた彼氏と別れてから、香奈に特定の恋人は確かにいなかった。それでも友達はたくさんいたし、社内の男性同僚とは仲良くしていたし、仕事が面白かったので特に寂しいと感じることもなかった。今年の年末フリーはつらいかな?という危惧はどこかにあったけれど、一緒に飲み明かしてくれそうなアテはあったからそれはそれでいいと思っていた。
でも、いつの間にか欲求不満になっていたのか。
今日で調査は一週間を迎える。
香奈はこれまで一週間で起こったことを今更ながら思い返した。
何かというと気にかけてくれる安原の優しさとか、奇しくもあの所長と2人きりなんてものになってしまったこととか、突如身近に感じた、今まで見知ったことのない上品な魅力を持っていたリンのことや、滝川の「守ってあげる」発言。
夢に見て意識してしまったせいか、気にすまいと注意していたことが次から次へと恋愛フラグとして香奈の脳裏を駆け巡る。
意識してしまうとそれは悶絶ものの体験だ。
「お〜ち〜つ〜けぇぇぇ!」
香奈は誰もいないことをいいことに、声に出して自分を叱咤し、無意味に拍手とかしてみた。
そりゃ自分は一応依頼主の関係者なのだから嫌われてはいないだろうが、好かれているわけじゃないだろう。
第一、自分だって特別に誰かを好きになったわけじゃない。
一目惚れをするタイプじゃない自分には、恋をするのに時間限定の一週間はあまりに短い。
でも、食事に誘われたら断る理由も見当たらないし、むしろ喜んで行くだろう。
例えば調査終了後、打ち上げに誘われた嬉しい。
個別に誘われたら・・・と、妄想は留まるところを知らない。
車を止めると外は強風だった。
立っているのもやっとの強い風が、遮るもののない工場入口で唸り声をあげながら吹き荒れ、身がすくむほど寒い。
枯葉にビニール袋やゴミが豪快に吹き飛ぶ中、一部剥がれたトタン屋根が派手な騒音を立てながら今にも屋根から落ちそうにたなびいている。うらぶれた風情漂う工場跡地は確かにちょっと不気味で、いくら仕事とはいえ昼間でなければ近づきたいとは思わない。
けれど今自分の足取りは可笑しい程軽い。
それはバックの奥に潜ませた滝川が書いた護符のせいばかりではない。
軽い足取りを悟られてはまずいと、無意味に後ろを覗いながら、香奈は駆けるように地下室に向かった。
強風に背を押されるようにして地下室に続くドアの前まで駆け下り、冷たいドアノブを握った。風向きの加減でドアは驚くほど重く、香奈はヒールに力を入れて勢いよくドアを開けた。
予想以上に大きな音を立ててドアが開いた。
次の瞬間、暖気と一緒にふわりと芳しいいい香りがした。
驚いて香りのする方に視線を巡らせると、そこには小さな女の子が立っていた。
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