最後に見たあの人はどんなだっただろう。
あの騒ぎの最中、考えていたことはそんな馬鹿げたことばかりだった。
第11話 : 家族の声
リンが運転する車が優人と晴人を迎えに来たのは、それから僅か15分後のことだった。
その間にも、優人は麻衣の携帯電話をコールし続けたが、手元にないのか、壊れたのか、それどころではないのか、その電話に出る者は誰もいなかった。
ぐったりと憔悴し切っている晴人を後部座席に押し込み、続いて優人が車に乗り込むと、車は素早く大通りをはずれ、停車できるわき道に滑り込んだ。
そして車が停車するとすぐ、助手席に座っていたナルは後部座席を振り返ることもなく、端的に現状を伝えた。
「まだ警察や病院から連絡はない」
「そう・・・・」
「だが、どうやら晴人が感知した事故は事実のようだな」
そうして左手を吊り上げたナルの指先には、見知った麻衣の腕時計が握られていた。
優人はそのジェスチャーに神妙に頷くと、晴人を抱えなおし、それまでに聞きかじった情報を早口で伝えた。
「さっきから携帯電話にかけているけど繋がらない。晴人の話だと今は救急車で搬送中みたいだ。ただ、こんな状態だからこれ以上は分からないみたいなんだ。あんたは何が分かった?」
優人の問いかけにナルは小さく首を振った。
「大きな事故だったようだな。衝撃が激しく、麻衣は事故直後に意識を失った。お陰で情報が途切れて僕にも大したことは分からない。辛うじて事故現場らしき場所は分かったが、今はそれだけだ」
「何だよ、はっきりしないな」
咄嗟に口に上った嫌味に、ナルは無表情で返事をした。
「サイコメトリといえ、万能ではない」
あまりに普段と変わらない淡々とした態度に毒気を抜かれ、優人は強張っていた肩の力を抜いた。
落ち着こうと思ってはいたが、事故という単語から連想する最悪な想定と、取り乱した晴人に平常心を失っていたのだろう。優人はそう考えるとすぐに別の可能性を思いつき、助手席のナルに問いかけた。
「ただ単に気絶しているだけって可能性もあるってことだよな。そこらへんは分からないの?」
希望的観測だと思いつつ口にした問いかけに、ナルが答えるより早く、かすれた声がそれに重なった。
「ママは生きてるの?」
その質問に優人とリンは思わず息を飲んだが、その残酷な問いかけにもナルは淡々と応じた。
「グリーンハレーションは起きていない」
「本当に?」
「現状は晴人の方がわかっているだろう?」
逆にナル問われ、晴人はぎゅっと唇を噛んで首を振った。
「うまく掴めない。シーンが切れ切れにしか見えなくて、意味がわかんないし、よけいな情報ばっかり拾われて、どれが正しいのかもわかんないんだ。多分、僕が焦っているのがいけないんだって分かるんだけど・・・・うまくできない。見えるのも・・・段々おかしくなってきてる」
涙目になりながらそう訴えると、晴人そのまま助手席に頭を預けてぐったりともたれかかった。
その疲れ果てた様子の晴人を横目に、ナルはきっぱりと言い切った。
「即死なら分かる。まだ死んではいない」
そこまで酷いのか、と、優人は今更ながらに事の重大さに背筋を凍らせた。
まだ何も分かってはいないし、見てもいない。けれど、目の前の2人が何よりも早く、確実な " 事実 " を言っていることはこの場にいる全員が一番よく理解していた。
その " 現実 " が優人の声を失わせた。
その間に、ナルは運転席のリンに向かって、郊外にある小さな商店街付近の道を説明した。
「救急隊員が到着しているなら急がなくても大丈夫だろうが、こうしていても埒があかない。まだ現場検証で警察が残っているだろう。回りくどいが、一旦事故現場に向かって、そこで搬送先を確認しよう」
「分かりました」
「そこが事故現場?」
「おそらく、な」
ナルはそう言うと、右手に握っていた麻衣の腕時計を握りなおした。
それを見咎め、リンはハンドルを回しながら声をかけた。
「ナル・・・・それ以上は」
咎めだてする声にナルは煩わしそうに顔を顰め、ため息をついた。
「分かっている。どうせこれ以上は何もわからんさ。麻衣が身元を証明するものを持っていれば、自宅に連絡があるだろう。その方が早いかもしれない」
「・・・そうだ!電話!」
優人が大声を上げると、ナルはさらに顔を顰めた。
「自宅にはルエラ、大学にはまどかが待機している。連絡があり次第こちらにも連絡が入る」
そう言いおくと、ナルは助手席にもたれかかり瞼を閉じた。
そうして事故現場に向かう車内は、再び息ができないほどの重い沈黙に包まれた。
それは狂いだしそうな恐怖を含んだ沈黙で、その終わりは一生来ないようにも思えた。しかし、その沈黙は唐突に発せられた晴人の叫び声で中断された。
「 ・・・! ここ! リン止めて!!!さっきの病院にママがいる! 」
果たして、移動途中に晴人が気が付いた病院に麻衣はいた。
老朽化したタイヤがバーストし、トラックは荷台に野菜を積んだまま時速60キロで歩道に突っ込んだ。
そしてそこを運悪く歩いていた3人の歩行者がそのトラックに巻き込まれ、1名は即死、他2名は意識不明の重体のまま緊急病院に運ばれた。病院に運ばれた被害者のうち、1名は近くの小学校で教鞭を取る初老の男性で、今1人はボランティアのクリスマス・バザーの準備を追え、帰宅途中にあった麻衣だった。
病院や警察関係者から呼び出しがかかる前に到着した家族らに関係者は面食らったが、絶世の美貌をもった夫の脅迫的な迫力に押されるようにして、麻衣が搬送された処置室の前に案内した。
医療スタッフが慌しく行き来する中、晴人は再度トランス状態に入ろうと苦心していたが、無論そんな状況でトランスが成功するはずもなく、見かねたリンが止めに入り、晴人を外来受付のフロントへ移動するよう誘った。
「少し休憩しましょう」
「でもっっ」
「焦ってもできることは何もありません。それに、麻衣さんに何かあれば、ハルトにはすぐに分かるでしょう?」
「・・・」
リンはそう言うと晴人の肩に手をのせ、ナルに視線を投げた。
「ルエラとまどかに連絡してきます。念のために式を一つ置いていかせて下さい」
「ああ」
すぐ戻ると言いおき、リンと晴人がフロントに向かった直後、処置室のドアが開いた。
中からは医師と思しき中年の男性が一人出てきて、医師はその場にいたナルと優人に面食らったような顔をしたが、すぐに白くかさついた顔から驚きを取り払い、額の汗をぬぐいながらナルに声をかけた。
「ええっと・・・・さきほど事故で運ばれた・・・」
「ジャパニーズの女性でしたら、マイ・デイヴィス。僕の妻です」
「ああ・・・そうですか、そうですね・・・・もう一人のけが人は男性ですから・・・」
医師はそう言うと大きく息を吐き、正面からナルを見据えた。
「この度は災難でしたね」
「妻の容態は?」
医師の会釈を無視して、早急に実質的な質問を投げかけたナルに、医師はナルを今一度よく見てから、傍らの優人を一瞥し、困ったように顔を顰めながら告げた。
「幸いにも目立った外傷は左足の骨折だけでしたよ。内臓等の裂傷も見受けられません」
医師の説明にナルは無表情のまま訂正を入れた。
「妻は衝突の後、そのまま車のボンネットに跳ね上がったはずです。その時かなりの衝撃があったように思われますが」
ナルの訂正に医師は不思議そうな顔をしたが、警察から事情でも聞いたのだろうと推測し、その違和感を重要視することなく頷いた。
「レントゲンとCTスキャンをかけたところ、脳挫傷が確認されました。現在は徐脈、呼吸不全が見られますので、呼吸器を装着し、薬剤投与を開始しています。骨折の処置が終わり次第ICU(集中治療室)に移動します」
「どういうことです?」
耳慣れない単語に優人が医師に問いただすと、医師は口元を歪めながら、噛み砕いた表現で説明した。
「脳挫傷・・・・つまり、脳みそが大きな衝撃を受けて傷がついたということかな。出血はみられないけど、特に左脳が腫れていて意識障害・・・・つまり意識がないってことなんだけど、その状態になっている。呼吸器が落ち着かないのもこの衝撃が原因と考えられます」
「意識不明ってことです・・・・ね」
「そうなるね」
その軽い口調に優人は露骨に顔を顰めた。
「それで?」
嫌な顔だ。と、優人は内心舌打ちをしながら、医師に詰め寄った。
「それで、母はいつ気がつくんですか?」
嫌な予感が喉元までこみ上げ、その不快感に口調は乱雑に乱れた。
「脳ってことは、このまま目が覚めないってこともあるんですか?目が覚めても、後遺症が残るとか?そこまで酷い症状なんですか?!」
怒鳴りつけるような優人を見据え、医師は申し訳なさそうに薄い頭部をがしがしと掻きながら、ナルと優人を交互に見渡した。
「予断を許さない状態ですね」
医師はそこで宙に浮いた透明な辞書でも読み上げているようにつらつらと症例について説明を続けた。
「脳の腫れが引いてすぐに意識を取り戻すこともあるし、このまま長い期間意識不明が続くケースもあります。幸い脳内出血は見られませんが、ミセスの場合は脳挫傷の範囲が広い。薬品投与で腫れが治まり、意識が戻ってそのまま全快するケースも稀にはありますが、重度の後遺症が残る場合もまた多い微妙なラインです。今現在できることは、高次脳障害がでないように予防するだけです」
医師の説明に優人は腹立ちまぎれに床を蹴った。
その様子を横目に、ナルは先と変わらぬ口調で医師に尋ねた。
「ケース・バイ・ケースで、判断ができないということですね」
冷静な口調に明らかにほっとしながら、医師はあくまで医師の立場で説明した。
「そうです。脳挫傷にスタンダードはない。確かに症例や後遺症について、事例の多い少ないはありますが、多くはその人個人の問題なんです。現時点で確定できることはないもありません」
その説明にナルは頷き、医師が出てきた処置室のドアに視線を転じた。
「面会は?」
「ICUに移動後、準備ができたらお呼びしますよ」
「直接、触れることはできますか?」
そして、次にナルが尋ねた問いを、感傷的なものと受け取った医師はそこで痛ましそうに目を細めた。
「もちろんですよ。手を握って、話し掛けて下さい。家族の声が一番よく聞こえるはずですから」
様々なケースはありますが、長期間に渡って意識が戻らないということはそれだけ高度の障害が残る可能性が高くなります。
脳の腫れが引いたら、出来る限り話し掛けて脳に刺激を与えて下さい。
反応がなくとも、患者本人の耳には入っているってことがままありますから。
悲劇的な事故に巻き込まれましたが、彼女はまだ生きています。
共に頑張りましょう。
医師はそれだけ言うと、忙しそうにその場を立ち去った。