ドラマや小説によくあるシチュエーション。
「 今晩が峠です 」
そう言われて登場人物達は不安に慄きながら恐怖の一夜を過ごし、物語によっては死んだ家族なんかが出てきたりして、何らかの作用があって、大抵その主人公格の人間は一命を取り留める。
そして朝日と共に生き残った人間とキスをしたりして、登場人物達は神に感謝する。
そこから物語は飛んで、数年後、すっかり元気になったその人物と共に笑い合う未来が描かれ物語は終わる。
安易なハッピーエンド。
安直なメッセージは " 命を大切に " ?
優人はその手合いのストーリーを取るに足らない退屈な展開だと思っていた。
そんなドキュメンタリーが奇跡として取りざたされる度、安売りされる言葉に嫌悪感すら感じていた。
けれど、その一日で、優人は思い知るのだった。
見たい夢だからこそ、それは物語となり、人々の賛辞を浴びるのだ。
第12話 : ふつり、と
「僕、今日学校休みたいな」
ぼそぼそと、つまらなさそうに朝食を食べながら、晴人はそんなことを言った。
「あら、どうしたの? 具合悪い?」
食卓の横でトーストを取り分けていた麻衣は、晴人の呟きを聞くと、その額に掌をのせ、首を傾げた。
「熱はないわねぇ」
「でも気分が悪いんだ」
弱々しい声色で訴える晴人を、優人は鼻で笑った。
「気分が悪いくらいでイチイチ休んでいたらあっという間に出席日数足りなくなるぞ」
「でもぉ・・・・・」
「怠け者」
「違うよぉ」
今にも口喧嘩に発展しそうだった優人と晴人を制して、麻衣は晴人に向き直り、明るくその背を叩いた。
「でも、優人の言う通りよ、晴人。もうすぐクリスマス休暇なんだから、頑張っていってらっしゃい!」
不服そうに口を尖らせる晴人を横目に、優人は皿に残ったスクランブル・エッグをまとめて口に入れ、牛乳と一緒に飲み下しながら麻衣に尋ねた。
「そう言えば、今年のクリスマスも母さんはバザーに参加するんだろ?」
「ええ、そうよ。クリスマスが近くなったら、2人ともクッキー作り手伝ってね。そうそう、今日はそのバザーの打ち合わせに行って来るから遅くなると思うの。スープ準備しておくから、お腹空いたら先に食べててちょうだい」
優人は頷きながら席を立ち、未だに皿の上の野菜をつついて下を向く晴人に声をかけた。
「分かった。ほら晴人、行くぞ」
「え?もうそんな時間?」
慌てて顔を上げた晴人の額を指で弾き、優人は苦笑した。
「のんびりしているからだ。置いて行くぞ」
「やだやだやだ!ちょっと待ってよ!」
「はいはい、2人とも気をつけてね」
もみじのような小さな手をひらひらとふりながら、麻衣は満面の笑みで優人と晴人を送りだした。
「いってらしゃい!」
花が咲いたような笑顔。
健康そうな艶のある肌。
日の光を受け、輝く栗色の髪。
慣れ親しんだ高い声。
いつもと何ら変わることのない、ありふれた一日の始まりだった。
そこにその日に起きる未来を暗示するような憂いは、微塵も感じられなかった。
リンから連絡を受け病院に駆けつけたルエラとまどかは、処置室からICUに移動させられた麻衣の様子を見ると、突然の事故を心から嘆き、人目も憚らず泣き出した。
瞼を閉じたまま、狭い医療用ベッドに横たわる麻衣の身体には無数のチューブが取り付けられていて、その命は規則的な電子音でしか伺い知ることができなかった。周囲を取り囲む専門的な医療器具の重厚さに比べて、それを取り付けられている麻衣の存在感は胸を突くほど頼りなく、痛々しかった。
まるで偽者の麻衣を見ているようだ、と、優人は何度か目の前に横たわる麻衣の存在を疑った。
けれど、存在が感じられないと泣き続ける晴人がいたので、すぐにその疑惑は絶望感と共に拭われた。
晴人がこれを麻衣だと認識している限り、それが間違いであろうはずがない。
その実感だけが、優人を現実に引き戻した。
突然の事故で、麻衣は確かに損なわれ、確かだったはずの当たり前の明日は、ふつり、と、何の前触れもなく途切れたのだ。
泣き続ける晴人に、無表情で麻衣を見つめるナル、悲観にくれるルエラとまどか、そしてそれを慰めるマーティンとリン。それらを眺めながら、優人もまた、おいついてこない現実感に戸惑い、言葉をなくした。
その中で、落ち着きを取り戻すのが一番早かったのは、意外なことにも最も狼狽し、取り乱していたルエラとまどかの2人だった。
2人は涙をこぼしながらも、手分けして麻衣の入院準備を整えた。
そしてまどかはナルの分を含めた仕事のスケジュールを片付けに大学に戻り、その足でナルの名前を使ったコネクションを最大限に活用して、ケンブリッジ大学関連の脳神経外科の専門医を捕まえ、翌日にはその医師に麻衣を診断させる手はずを整えた。
また、ルエラは残された家族らに、普段通りのきちんとした食事の準備した。
「食べたくないよ・・・」
「僕もいい」
ハンストする子どもと孫達に、ルエラは普段通りに優しく微笑みながらも断固として食事を勧めた。
「だめよ。マイが大変な時にあなた達まで倒れたんでは話にならないわ。食欲がなくてもきちんと食べて、ちゃんと眠らないとね。これからが大変なんですからね。そんな暗い顔で落ち込んでばかりいないのよ。男の子でしょう? しゃんとしなさい!!」
厭わしいほどの現実的な強制に、ナルと優人と晴人は揃って顔を顰めたが、優しい笑みの奥に隠されたルエラの必死な訴えに根負けし、味のしない食事を無理に口に入れ、順番に帰宅し、シャワーを浴び、安眠とはほど遠い睡眠を取った。
不安で、気が狂いそうになる長い夜だった。
けれども、その日はまだ、そうして夜を越え、朝を迎えれば、悪夢は終わるかと思えた。
しかし、その淡い期待は翌日、翌々日と続く日々によって見事に打ち砕かれた。
夜を越えても、専門医の診察を受けても、麻衣の意識は戻らなかった。
真っ白なシーツから覗く白い顔。
そこには小さな擦り傷こそついていたけれど、それ以外の目立った外傷はなかった。
それだけ見ていれば、おっちょこちょいの麻衣が何かに引っかかって転んで怪我をしたのだと言われても頷けた。そうしてただ、眠っているだけなのだと信じられた。
けれど、僅かに視線を上げれば、その頭部には物々しい医療機器が取り付けられ、細い左足には重々しいギプスがあり、全身には無数のチューブがくくりつけられている。
目を開けない。
声を出さない。
笑わない。
起きない。
動かない。
そうして、ただそこで息をする麻衣は別人のようで、嫌がおうにもその生命の儚さを実感させた。
医師が薬剤を投与し続ける。
看護師が生命維持のための点滴を打つ。
そうして、後は麻衣本人の治癒力にすがる。
現状を打破するファクターは、頼りないほど他人任せで、家族ができることは僅かな面会時間に声をかける以外何一つなかった。その歯がゆさは絶望的な無力感を煽り立る。
その中で、晴人はただ一人、トランス状態に入り、麻衣の意識を探り出そうと試み続けた。
晴人は事故のショックで身体から離れてしまったと予測される麻衣の魂と自分の意識が、しっかりとコンタクトが取れさえすれば、麻衣は意識を取り戻すと信じていた。
しかし平常心を保っていられないためか、晴人はトランス失敗を繰り返し、一度として麻衣との接触は叶わなかった。そして失敗を繰り返すたび、晴人は傍目にもそうと分かるほど憔悴していった。
晴人の心情を考えれば、それでも何とか別の手法で麻衣の意識を取り戻そうと足掻くことは最もで、それを止めるのは、あまりにも酷なことのように思われた。しかし父親であり、専門家であるナルは、ある種冷淡なまでの冷静さを持って、焦って自滅しそうになっていた晴人を止めた。
「そんなこと言っても、他にできることなんかないんだもん。仕方ないでしょう?」
「実際にできていないだろう」
「だから成功するまでやるんだよ!!」
「そんな精神状態でまともにコンタクトが取れるとは思えない。やりたければ少し落ち着いてからやるんだな。今のままではただ精神力を消耗していくだけだ」
「そんなの・・・・やってみないと分からないよ」
「それでなくても、今、お前の視界は曖昧になっているだろう?いくら優人がいるからと言って、自分の守りがそこまでお粗末では話にならないんじゃないのか?」
「そんなこと関係ないよ。今はそんなのどうでもいいじゃないか」
「晴人」
「今無理しないで、いつ無理するの?! こんな力、今使わないでいつ使うの?!」
「体力的にも精神的にももう無理だ」
「そんなことないもん!」
従順で、ナルに反抗することなどしなかった晴人が珍しく刃向かったのだが、ナルはそれに対しても自分の態度を変えることはなかった。
「これ以上、麻衣に心配をかけるな」
そして、殺し文句で晴人の手足をもいだ。