第14話 : 暗中模索
優人が病室に向かい歩いていくと、廊下の先で日中の看病を担当していたはずのまどかと、ナルとリンの姿を見かけた。
病院へ来るのだからもう少しTPOを考えた服装をしろと、まどかやルエラは苦言を呈してはいたが、正面の2人がそれで服装を改めるようなことはしていない。
お陰で美形と言われる端麗な容姿に、まるで葬式のような全身黒尽くめの2人組は明らかに浮いていた。
同じような視線に慣れているとはいえ、数も集まればそれはそれで鬱陶しい。
優人はその煩わしさから隠れるようにしてその側を通り抜けようとしたが、それは目ざといまどかに発見され、あえなく失敗に終わった。
「あら、優人。学校終わったの?」
優人は自分にも集まる周囲の視線を感じながら、無愛想に返事を返した。
「・・・・ああ」
「"ああ" ? 優人はいつからそんなに偉そうな口を聞ける人間になったのかしらねぇ」
まどかはそう言うが早いか、優人の頬を指でつねった。
「まどか・・・痛い」
「天誅よ」
「そこまで悪いことはしていない」
優人は乱暴にまどかの手を振り払うと、すぐ側のナルを無視してリンを見上げた。
「今日は晴人を検査してから来るんじゃなかったの?」
「しましたよ」
「それにしては随分早いね」
「晴人が学校で具合を悪くしましてね。午前中で早退したんですよ」
説明した途端、眉間に深い皺を寄せた優人を見下ろし、リンは僅かに微笑んだ。
「弱っている時に集団の中に入ったからあてられたのでしょう。今は元気ですから心配しないで下さい。早く麻衣さんの顔が見たいって、一足先に病室に行きました」
「ああ・・・そう」
優人がほっと息をついたのを確認し、リンはまるで晴人にそうするように優人の頭を軽く撫でた。
その間にナルとまどかは病室に向かって歩きつつ、途切れた会話を続けた。
「だからね、仮説を立ててみたの」
まどかは病院の売店で買ったであろうペットボトルを握り締め、自説を熱弁した。
「脳はその場所で役割が異なるでしょう?それで今回麻衣ちゃんがダメージを受けた右脳は、本能的能力から発達した脳で、見たまま聞いたまま、感じたままのイメージを直感的に記憶したり、情報を取り込む無意識脳。つまり潜在意識脳なわけよ」
興味深い単語の羅列に、優人が視線を投げると、まどかはくるりと振り返り、歩み始めた足を再度止めた。
「昔、滝川さんも頭を打ってから、それまで視えていた霊が視えなくなったということがあったの。それから考えても、今回の衝撃で麻衣ちゃんはもしかしたらそういった感覚を失っているかもしれないって考えられない?」
「それが何か問題なの?」
冷ややかな優人のつっこみに、まどかは待ってましたと言わんばかりに頷いた。
「晴人が麻衣ちゃんとコンタクトを取れないって落ち込んでいたでしょう?」
「それは・・」
「うん。私もそれは晴人のメンタル面が不安定になっているからだと思ったの。そしてそれも原因の一つなんでしょうけど、そもそも麻衣ちゃんの感覚がズレてしまって、晴人が覚えているそれではコンタクトが取れないって可能性もあるんじゃないかなぁって思ったのよ」
「ズレですか?」
リンが言葉尻を取ると、まどかは神妙に頷いた。
「晴人は暴走気味ではあるけど、優秀なミーディアムで、最近はリーディング能力を強く持つようになっている。それをもっと拡大解釈するとよ?あの子の視界の中では、生者も死者も大差ないってことになるわ」
「そうかもしれませんが、リーディングについてはまだ検証すらしていない段階で、信頼性は皆無です」
「今、実証する必要はないわ。大切なのは、ただそれが事実かどうかって話よ。もし仮に存在するのだとしたら、例え肉体に意識がなくても、晴人は本来であれば麻衣ちゃんとコンタクトが取れると思わない?」
「理屈から言えばそうでしょうが・・・・それ以前にハルトの混乱は酷いレベルです。どれが本物で偽者か区別が付かないと言っていますし、事実判別は無理でしょう」
「それよ!」
まどかはビシっとリンを指差し、僅かに頬を緩めた。
「区別が付かないんじゃなくて、麻衣ちゃんだと思っていた意識が見当たらなくて晴人は混乱したって考えられないかしら?」
「どういうこと?」
困惑顔の優人を見つめ、まどかは興奮した口調で続けた。
「だからね。今回のショックで麻衣ちゃんの意識っていうか、霊体っていうか、スピリッツ?もう、言葉はなんでもいいけどそういうものが変わってしまったってことは考えられれるんじゃないかしらって話よ。もちろん仮説よ?でも、顔だって体つきだって、事故の前と後だと別人みたいに変わるでしょう?本質は変わらないにしても、晴人が探していた意識っていうのが別人みたいに変わったりしてもおかしくないと思うのよ。滝川さんが霊を視れなくなったように。今回の脳への衝撃で何らかの変化があったと考えるのはありえる話だと思わない?だから晴人は麻衣ちゃんを見つけられなかったってことにならないかしら?」
まどかは一息にそう言うと、先を歩いていたナルを呼び止めた。
「ナル!だから晴人にこの仮説を説明して、もう一回トランスさせてはダメかしら?」
ここ数日見ることのなかった血気盛んなまどかを、ナルは感情の伺えない闇色の瞳で見つめ、ややあってから一言、短くこぼした。
「あまりにお粗末な仮説だな」
「自覚はあるわ」
「・・・・研究者が自慢げに言える話ではないと思うが?」
「いいじゃない、ここは学会じゃないわ。必要なのは " 事実 " よ」
まるで全ての物事が解決できたと言わんばかりのまどかを見据え、ナルは大仰にため息をついた。
「そもそもコンタクトが取れたとしてもそれで麻衣の意識が戻る保障はどこにもない。それなのに、その荒唐無稽な推論に今の晴人を使うのか?ともすれば疑心暗鬼で恐慌状態に陥る可能性のある話だぞ?晴人をそんな勝率の低い、危険な賭けに参加させるわけにはいかない」
無茶を言うな。
ナルはそう言うとまどかに背を向けた。
その冷淡な細い後ろ姿を見送りながら、まどかは悔しそうに唇を噛んだ。そしてさらに言い募ろうと口を開きかけたところを、リンが制した。
「ナルが言うことも一理あります。可能性の低いことに対して、ハルトにこれ以上のプレッシャーは危険です。共倒れになってしまっては元も子もない。せめてハルトのメンタルがもう少し落ち着いてから、まどかの案は再度検討しましょう」
リンは現状を的確にまとめ、現実的な対応策を提案した。
けれどまどかはそれを拒絶するように顔を背け、力なく呟いた。
「熱が下がらないの」
「・・・・」
「呼吸だって落ち着かない。心臓にうまく指令が伝達されていないんですって。そのせいで血中の酸素濃度だって正常値を逸脱しているのよ?今日だってもう3回も発作が起きてるの!」
「・・・・・・ええ」
「このままだと意識より先に身体の方が先にまいってしまう。麻衣ちゃんには時間がないのよ」
「そんなことは、まだわかりませんよ」
「でもこのままだったら・・・・」
「まどか!」
感情的に壊れていくまどかを、リンがいささか乱暴に揺さ振った。
「あなたが動揺してどうするんです?しっかりしろと言ったのはまどかでしょう」
「分かってるわよ、分かってる!でも・・・・怖いのよ」
「恐怖心はみな一緒です」
「麻衣ちゃんを死なせるわけにはいかないの。できることなら、どんな小さな可能性でも試したいのよ!!」
悲痛な悲鳴を上げるまどかは直視に耐えないほど痛ましかった。
普段はそれこそ何が起きても動じない太い神経の持ち主なだけに、その姿はあまりに切ない。
居たたまれなくなって、優人はそのままリンの胸で泣き始めたまどかから視線を逸らし、先を歩き始めたナルの後を追って病室に向かった。
そろってエレベータに乗り込むと、中にいた先客は驚いたような顔をして場を空け、降りるまで痛いほどの視線を向けた。比べて見ると、親子であることを疑いようがないほど優人とナルはよく似ていた。それは桁外れの美貌とあいまって、人一倍人目を引く。
鈍く光るエレベータ内の鏡を忌々しく睨みつけながら、優人はナルに声をかけた。
「まどかが言っていたこと、どれだけ信憑性があると考えているの?」
無視されるかと危惧したが、ナルはごくあっさりと優人の疑問に答えた。
「検証する術もない。空想の域を出ない話だ」
「結構、理屈は通っていると思ったけど?」
優人の感想にナルは話にならないと首を振った。
「論議する必要性も感じないが、まぁ、まどかの妄想が正しかったとして、麻衣の意識が別人のようになったとしよう。だが、そうであれば尚の事、晴人のトランスは無駄になる」
ナルの指摘に優人はふと考え込んだが、すぐに合点がいった。
「それもそうか・・・・・・顔も名前も知らない状態で、人探しはできない」
「そういうわけだ。まどかの仮説が正しければ、可能性が広がるどころか、晴人のトランスの成功率を全否定したことになる」
「・・・」
「まどかも追い詰められているんだろう。普段ならこんな馬鹿げたことに時間を裂いたりしない」
無表情に断罪するナルを見上げ、優人はそこでふと立ち止まった。
「なぁ、専門家に聞きたいんだけど」
ちらりと、ナルが優人に視線を向けた。
そうされて初めて、優人は本当に久し振りにナルと対面していることを悟り、そのことに内心で驚いた。
――― 口喧嘩はしてたはずなんだけど、そういえば顔なんか見てなかったな。
優人はその事実に居心地の悪さを感じながらも、気になってしまったことをナルに問いかけた。
「意識とか魂とか僕には全く分からないけど、そういう身体とは別の母さんにちゃんと呼びかけられたら、母さんは実際に目を覚ますのか?」
真っ直ぐに注がれる闇色の瞳の視線をナルはしばらく凝視し、それから視線を外してため息をついた。
「専門家としては不明としか言えないな。まどかの妄想と同レベルの話だ。立証のしようがない。だが・・・」
「だが?」
ナルはそこで視線を彷徨わせ、ため息をつくように答えた。
「個人的な経験では、それは十分ありえる話だと思っている。麻衣が得意な分野だ」
その答えに、優人は瞳に力を入れた。
「そう考えていて・・・・晴人にはやらせない、と?」
優人の問いかけに、ナルは僅かに瞳を細めた。
「今の晴人の状態ではリスクが高過ぎる。その上、成功率はほぼ皆無だろう。優人もあの晴人にこれ以上無理はさせたくないだろう?」
弱いところを突かれ、優人は顔を顰めた。
そして、やや躊躇った後にあえて無関心を装ってきた事項に触れた。
「あんた自身はできないの?」
闇色の瞳が一瞬、迷うように瞬いた。
しかしそれは一瞬のことで、ナルは優人に悟られる前にその迷いを打ち消した。
「やれるものならやっている」
低い、殺意さえ篭っていそうなナルの声に、優人は不覚にも恐れを感じた。
そして怯えた自分を忌々しく思い、優人はそっぽを向いてナルより先にエレベーターを降りた。
病室の前につくと優人は軽くドアをノックをして、ノブに手をかけた。
しかし、次の瞬間、ドアは優人が開くより先に内側から勢いよく開いた。
優人が驚いて身を引くと、視界の先には先についていただろう晴人がいた。
ところが、自分からドアを開けたはずの晴人は、目の前に立つ優人を見上げると優人以上に驚いて鳶色の瞳を大きく見開き、慌てて背後の病室を振り返り、さらに困惑して優人の顔を見上げた。
「・・・・・・・・あ、れ?」
「どうしたんだ?」
「優・・・・人?」
「なんだよ」
「あれぇ?」
晴人はすっとんきょうな声を上げながら、ぺたぺたと目の前の優人の身体を触った。
「どうした?」
優人の背後からかけられた迷惑そうな声に、晴人はさらに困惑しながら2人の顔を見比べた。
「優人は " 今 " パパと一緒に来たの?」
「・・・・そうだが?」
「何寝ぼけているんだ、晴人?」
2人同時に肯定されても、晴人は納得がいかないように困惑した表情を浮かべて唸った。
「 でも、今さっきまで、優人はここにいたんだよ? 」