晴人らが病院に到着し、揃って1階ロビーを横切ろうとしていると、ちょうど売店に飲み物を買いに来ていたまどかがそれに気がついて声をかけてきた。
「お疲れ様。あら、リンも来たのね」
「優人と合流するまでの晴人の護衛です」
先に気がついたリンが返事を返すと、まどかは人好きする見慣れた笑顔を浮かべ、晴人の頭を撫でた。「ああ、そう。ということは、検査結果悪かったの?だから晴人はそんなむすくれてるのかな?」
普段なら気にもならないまどかの子ども扱いも、今の晴人には勘に触り、晴人は無言でそっぽを向いた。
第15話 : 優人
まるで優人のように無愛想な態度に、まどかは重症ねぇところころと笑い、傍らのナルを見上げた。
「でもリンもいてちょうど良かったわ。ちょっと相談したいことがあるの。病室じゃぁ何だから、ここで話してもいいかしら?」
有無を言わさぬまどかの笑顔に、ナルとリンが無言で応じると、晴人はさっとその脇を通り抜けた。
「晴人?」
「早くママの顔見たいから、僕、先に行ってるね」
そしてそのまま先を歩こうとした晴人を、リンが慌てて止めた。
「ハルト、一人になってはいけません」
その無粋な注意に、晴人はまるで優人のように顔を顰め、意地悪く口角を上げた。
「もうすぐそこだもん!それくらい自分の気力でなんとかなるよ」
怒鳴るようにして、晴人はリンの制止を振り払い、エレベーターに乗り込んだ。
体調不良で学校を早退した時点で予測はできたが、その日の晴人の検査結果は近年稀に見る悪さだった。
こんなにもはっきりと数値に出てしまうのかと、晴人本人が驚いたほど検査結果は酷いものだったので、案の上、トランスや霊体との積極的な接触の禁止は解けなかった。
仕方がないと思う一方で、ふがいない自分の情けない現状に、晴人の機嫌は地を這っていた。
そう思う事で悪循環にはまり込むとは分かっているのだが、ささくれ立った気持ちは中々治まるものではない。
その気分を引き摺って、晴人がぴりぴりしながらエレベータが登るのを待っていると、途中の階から2人の中年女性がエレベータに乗り込んできた。
よく太ったその中年女性の2人連れは晴人のことなど気が付かないそぶりで、すでに点灯済みの階数ボタンをしきりに押しながら、声を潜めることもなく世間話に興じていた。
「知ってる?あそこの息子さんの婚約者、****出身なのよ」
「あら、そうなの?!信じられないわ。そんな人と本気で結婚させる気?」
「ねぇ、差別するつもりはないけれど、程度ってものがあると思わない?あんまりよね」
「お気の毒だわ」
「この前お見舞いに来ていたのとご一緒したの。もう酷い訛りでねぇ、聞いている方が恥ずかしかったわ」
―――― あなた方の方がよっぽど恥ずかしいし、醜いと思います。
聞きたくなくても耳に入ってしまう不愉快な会話に、晴人は口には出さずにそう断罪した。
人は一人ひとり異なる。
それを何かのグループで分けようとするならば、それは国籍や肌の色ではくくれない。
教科書にも、聖書にも、そんなことは載っているというのに、偏見を持ってして、口さがない人は減らない。
あえてそこに差異を見つけようとやっきになるのは、自分の優越感を満たし、不安を排除したがる傲慢な考えに基ずく暴力でしかない。
ささくれ立った気は、そのまま攻撃的な気分になった。晴人はエレベータが階に到着するとすぐ、後ろの女性らが気が付く前に「閉」のボタンを押しつつ廊下に飛び出した。すると後に続いて降りようとした女性達は閉まるドアに対応しきれず、そのまま下降するエレベータにのせられた。
「まぁ!降りそびれちゃったわ」
「なんでしょう。さっきのチャイニーズも声くらいかけてくれたらいいのに」
「これだから東洋人は嫌いよ!」
残されたエレベータ内での会話を音ではないもので聞きながら、晴人は意地悪く微笑んで廊下を歩いた。
不思議な力を持った目を通すと、世界にはたくさんの生命が溢れている。
死んでいても、生きていても、男も女も、子どもも大人も、外見の違いや性格などは些細なことであって、晴人の前では同じく些細な違いにしか見えない。全てが等しい命だ。
全員が違うか、全員が同じ。
――― そうだって、ちゃんと僕は分かっているのに、どうしてママは見つけられないんだろう。
晴人はジレンマに陥りながら無言で廊下を進み、クリーム色のドアをノックして病室に入った。
脳の腫れが引き、小康状態を保ち始めたため、麻衣は一般病棟の個室に移された。
飾り気のない狭い病室は、麻衣を取り囲む機材だけでいっぱいになってしまったが、常に監視下にあるICUよりはいくらかマシだ。
晴人はそこで顔を上げ、ベッドの脇に立ち、眠る麻衣の顔を覗き込んでいた優人を見つけた。
漆黒の髪、白皙の肌。
整い過ぎた美貌にそれらはよく似合っていて、麻衣を見つめる黒曜石のような深い闇色を宿した瞳はとても穏やかで、吸い込まれそうだった。
その様子に晴人が思わずため息をつくと、そこで優人はようやく晴人の気配に気が付いたのか、ゆっくりと顔を上げ、晴人と目が合うと僅かに驚いたような表情を見せた。
その鈍さすら愛おしいと、晴人は強張った頬を僅かに緩め、優人に声をかけた。
「早かったね。ママの具合どう?」
「・・・」
「といっても、突然良くなったりはしないよね。見れば分かるよ、まだ意識戻ってないんだね」
晴人はそう言うとベッドの横に歩み寄り、生気のない麻衣の額にキスをした。
「ママ、中々見つけられなくてごめんね」
キスをした麻衣の額は未だに熱く、その体内には意識のかけらも見えはしなかった。
分かってはいても胸が痛い。
しばらく晴人は麻衣を見つめ、それから振り切るようにして優人の方を向き直って立ち上がった。
そして、何故か目の前の優人に対して違和感を感じた。
―――― 何?
晴人はその微弱な違和感に注意深く意識を凝らしながら、よくよく優人を見つめた。
そして、あまりにはっきりとした違和感の正体に気が付き、苦笑した。
「どうしたの、優人?全身黒服なんて珍しいね。それだとますますパパそっくりに見えるよ」
からかいを含んだ自分の言葉に怒り出すだろうと晴人は身構えたが、優人は少し驚いたような顔をすると、何故か愉快そうに微笑んだ。
その態度があまりに意外で、晴人がきょとんとしていると、優人はごく穏やかな微笑を浮かべて尋ねた。
「パパは?」
「え?」
「パパ」
「あ・・・・ああ、パパはさっき一階でまどかと会ったからお話してる。リンも一緒。もうすぐ来ると思うよ」
「そう?」
優人はそれだけ聞くと満足そうに微笑んだ。
晴人はその穏やか過ぎる優人に面食らい、何故か恐れまで感じてわたわたと周囲を見渡した。
――― 何 ・・・・・・ これ? 事故のショックで優人が壊れた?
穏やかで、優しい優人なんて気持ち悪い。
と、晴人が内心でかなり酷いことを考えている最中、突然ドアがノックされた。
晴人は近付く他人の気配に気が付かなかったことに飛び上がるほど驚いたが、これ幸いと逃げるようにドアに向かった。
「きっとパパだと思うよ!」
そうして勢いよくドアを開け、晴人は廊下に立つその人を見て目を丸くした。
そこにいたのは紛れもない " 優人 " その人だったのだ。
虚をつかれ、晴人は目を見開いたまま、慌てて背後の病室を振り返った。
しかしそこには先ほどのまでいた " 優人 " の姿はなかった。
「・・・・・・・・あ、れ?」
ぽかんとしながら部屋を見渡しても、狭い病室のどこにも " 優人 " はいない。
「どうしたんだ?」
その間に廊下に立つ、目の前の人物は見慣れた不機嫌そうな顔で晴人を見下ろし、聞きなれた無愛想な声で声をかけてきた。
「優・・・・人?」
「なんだよ」
「あれぇ?」
晴人はすっとんきょうな声を上げながら、ぺたぺたと目の前の優人の身体を触った。
優人は晴人の突然の奇行に目をむいたが、そうして触れた優人の身体は、確かな質量を携えていて、晴人はさらに混乱した。
「どうした?」
優人の背後からかけられた迷惑そうな声に、晴人はさらに困惑しながら2人の顔を見比べ尋ねた。
「優人は " 今 " パパと一緒に来たの?」
「・・・・そうだが?」
「何寝ぼけているんだ、晴人?」
2人同時に肯定されても、晴人は納得がいかず、困惑した表情を浮かべたまま唸った。
「でも、今さっきまで、優人はここにいたんだよ?」
とんちんかんな問答を繰り返す晴人に、優人は露骨に顔を顰めると、入り口で立ちすくむ晴人を避けて病室に入りながら文句を言った。
「寝ぼけるのもいい加減にしろよ、晴人」
「だって・・・・」
晴人が反論するのも無視して、優人はベッドに近づいて、眠り続ける麻衣の様子を確認した。
その様子を眺めながら、晴人は口を尖らせた。
「さっき、それと同じものを見たんだよ」
「それじゃぁ、晴人には未来を視る力でもついたんじゃないのか?器用だな」
「えぇ?」
「そうなんじゃないのか?」
優人は僅かに目を細めて、意地悪く微笑んだ。その小馬鹿にした態度に、晴人は頬を膨らませた。
「未来って、そんなの違うよ!」
「何で?」
「だって、さっきはそんな意地悪言わなかったし、すっごく優しそうに笑っていたんだよ」
「それじゃ、純粋に人間違いだ。幽霊でも見たんだろ」
「でもでもでも、顔は優人だったの!」
「へぇ・・・この顔はそうそうあるものじゃないと思っていたけどな」
「気配だってすっごく・・・・」
晴人はそう言いかけて、その時感じた違和感を思い出した。
あの時は珍しい洋服を着ているからだと思い込んだが、今から思えばあの気配は " 優人 " だったのか、 " 優人によく似たもの " だったのかの自信が持てない。
それでも、この自分が見誤るほど、あの " 優人 " は " 優人 " に似ていた。
晴人は混乱して頭を抱えていると、後からやってきたリンとまどかがナルと共に病室に入ってきて、困惑顔の晴人に声をかけた。
「どうしたの、晴人?」
「う・・・・・うん」
「一人で寝ぼけていたんだよ。僕が来る前にここに僕がいたって言ってるんだ」
「どういうこと?」
意味が分からないと、まどかが優人に説明を求めているのを横目に、晴人はあることを思い出した。
「そう言えば、" パパ " って言ってた・・・・・」
「は?」
「その時の優人」
「だから僕じゃない」
「優人に見えたんだもん!」
「まだ言うか」
「いいよ、それじゃぁ。優人っぽい人!」
晴人は面倒そうに言い直すと、違和感を感じたことを口にした。
「僕にパパはどうしたんだって聞いたんだ。そうだよね、優人はパパのこと、" パパ " なんて絶対呼ばない」
「パパ」とナルを呼ぶ自分を想像してしまったのか、ゲテモノでも食べたかのように顔を顰めた優人に、晴人は眉根を下げ、情けないような顔をした。
「やっぱり夢でもみたのかなぁ?」
「間違いなく夢だ!気色悪いもん想像するんじゃない!」
頼むからやめてくれ、と、肩を震わせる優人に、晴人はそれでも " 優人 " を間違えた自分が信じられなくて首を傾げつつも、その状況を説明した。
「ベッドの横でママの顔をすっごく優しそうな顔をして覗き込んでいたんだ。そうだ!パパみたいな真っ黒の服着てて、それで僕に 「パパは?」 って聞いたんだよ。でも、さっきドアを開けたらいなくなっちゃってて・・・」
晴人がみなまで言い終わる前に、派手な音を立ててまどかが買ったばかりのペットボトルを床に落とした。
その音に驚いて晴人と優人がまどかに視線を向けると、まどかは幽霊でも目にしたかのように真っ青な顔をして、脇に立つリンの腕にすがりついた。
「・・・・まどか?」
「どうしたんだよ?」
不思議そうな子ども達の視線を受け、リンはまどかを諌めつつすぐ横のナルの様子を伺った。
困惑を隠せないリンの視線を受け、ナルは表情の見えない闇色の瞳を僅かに細めた。
そして、その名を口にした。
「まず、間違いなくジーンだろうな」