「 どうして? 」

震える、まどかの声が病室に響いた。

                

                 

                

                  

                

第16話 : そいつ誰?

                

                

                 

                

                

「どうして今、あの子が出てくるの?」

まどかは呆然とした表情で晴人を見つめ、それから優人に視線を移し、痛そうな表情を浮かべた。

「だってそうじゃない、ねぇ、ナル。優人ができた時にナルが見たのが最後よね? あれからずっとあの子は出てこなかったのよね? あの子は10年以上出てこなかったのに、まだ迷っていたっていうの?」

否定も肯定もせず黙するナルにまどかは焦れたように言葉を続けた。

「16年よ?麻衣ちゃんの夢にも、ナルの前にも、あの子は二度と出てこなかった。あの当時と同じように日本でも調査はしたし、あの頃より危険な目にもあったわ。それでもあの子は出てこなかった!・・・・・最盛期になったミーディアムの晴人にも一回も見えなかったじゃないの!」

まどかはそう言うとそのまま近くのパイプ椅子に腰掛け、混乱を抑えるように額に手を当てた。

「最後にあの子が出てきた調査の後、優人も無事に生まれて、あの子には心残りがなくなったんだと思ったのよ。ナルには家族ができたんですもの。だから安心して向こうに行けたんだって信じたのよ。ナルだって、リンだって・・・・麻衣ちゃんだってそうでしょう?」

まどかの問いかけにリンは僅かに口元を歪めて頷いた。

「確かに・・・そう考えていました」

「だからもう会えないって諦められた。だってそのほうがいいことですもの」

そして、まどかは苦悶の表情を浮かべ、すがるような目つきでナルを見上げた。

「それがどうして今頃になって出てくるの?あの子は一人で、ずっと迷い続けていたってことなの?」

「さぁ?」

困惑顔のまどかを置いて、ナルは気のない返事をすると、つかつかと病室の中に入り、未だ呼吸器とたくさんのチューブに繋がれた麻衣の枕元まで移動した。

そして、火照った麻衣の頬に細い指をあて、何かを探るようにその指を上下させると、ふっと息をついた。

「あれが何をしに来たのはわからない」

「・・・」

「状態にしても同様だ。僕も当然あれは既にあちらの世界に行って、二度とここには現れなることができないものだと思っていた。だがそれも全て推察でしかなかったということだ」

そこでナルは僅かに口角を吊り上げた。

「どちらにせよ、本当にあいつが現れたとすれば、こちらとすればありがたい」

怪訝そうな顔をするまどかを見据え、ナルは酷薄な笑みを浮かべた。

「あれは真性のミーディアムだ。そして、本人曰く、死後はこの僕よりも麻衣が一番近い波長らしい。そうなると、あれはここで唯一現在の麻衣とコンタクトが取れそうな人物になるだろう?」

ナルはそう言うと、やおら屈みこみ、人目も憚らず麻衣の頬に軽く口付けた。

それはあまりに唐突で、あまりに自然で、誰もが反応しきれない内にナルは唇を離し、その瞳に沈黙したままの麻衣を写し、語りかけるように呟いた。

「20年前の約束通りなら、あいつは僕から麻衣を奪えない。現れたとすれば、こちらの役に立ってくれるだろう」

意味深な言葉を囁き、ゆっくりと顔を上げたナルを、優人は苦々しく睨みつけ、口を開いた。

「で?そいつ、誰なんだよ」

その声に大人達が我に返ると、優人は極めて不機嫌そうに周囲を見渡して舌打ちした。

「話が全く見えない。僕にもわかるように、簡潔に説明して欲しいんですけど?」

挑戦的な優人に答えたのは、その事項について、最も簡潔に説明できるであろう人物、ナルだった。

「ジーンという、25年前に死んだ僕の兄だ」

目を見開く息子達を見据え、ナルは淡々と事実関係を説明した。

「お前達から見れば伯父ということになるな。生前は優秀なミーディアムで、死後もしばらくの間は麻衣と夢を通じてコンタクトが取れたんだが、ここ16年の間はまったく姿を現さなかった。だから、僕を含めた関係者のおおよそは、あいつはあちらの世界に行ったものだと思っていた。それが何を思ったのか再度現れたというわけだ」

驚きを隠せない2人の子どもを見て、まどかとリンは顔を見あわせた。

「もしかして、2人とも知らなかった?」

まどかの質問に、優人と晴人は同じように顔を見合わせて、首を横に振った。

「・・・・知らない」

「聞いたことがない」

子ども達の返答にまどかが厳しい目でナルを睨むと、ナルは悪びれた様子もなく首をすくめた。

「昔の話だ。子どもには関係ないだろう」

「それにしたって・・・たった一人の兄弟でしょう?」

「ナルはともかく、ルエラや麻衣さんまでよく黙っていましたね」

諌めるような2人の口調に、ナルは悪びれる様子もなく、しれと答えた。

「この件に関しては、決定権は僕にある。僕が伝えないと決めたんだ」

そしてそれ以上は言わせまいと、悪戯に眼光を鋭くするナルにまどかとリンは揃ってため息をついた。

その様子を眺めながら、晴人は" おじさん " という単語から現在のナルと同じ年格好の人物を思い浮かべ、そこで首を傾げた。

「あのさ、別の人って言われたら、確かに優人とは別の人なんだけど・・・・・どうして僕には優人に見えたんだろう?僕らの叔父さんなんでしょう?でも、僕が見た時は年も優人と同じくらいに見えたよ」

「だから晴人は僕だって思い込んだのか?」

驚いた顔をした優人を見上げ、晴人はやっぱり似ていると一人ごち、頷いた。

「うん、それでね見た目もすっごいそっくりなの」

不思議そうな晴人にまどかはようやく肩の力を抜いて苦笑した。

「無理ないわ。ジーンとナルはそっくりだったんですもの」

そして病室の脇に置いていた自分のバッグをあさり、パスケースに詰め込んだ大量の写真の中から、古びた一枚を抜き出して2人に手渡した。

「ナルとジーン、13歳当時の貴重な写真よ。ナルは写真嫌いだったからこっそり隠し撮りしたの。だから目線はこっちにないけど、顔くらいわかるでしょう?」

反射的に苦い顔をしたナルを横目に、優人と晴人がその写真を除きこむと、そこには優人よりもまだ幼い、細い身体つきの2人の少年が写っていた。

そしてその少年の顔を目にして、2人は息を飲んだ。

漆黒の髪、白皙の肌、黒檀のような瞳。

                

               

「優人が2人いるみたい」

                

                

思わず晴人がもらした感想がその当時を知らない子ども達の正直な感想なのだろう。

まどかは苦笑し、晴人の頭を撫でた。

「そうね。この写真よりもうちょっと後になれば、本当に今の優人そっくりになっていたわ。無表情にしていると、誰も見分けられないくらいに似ていた一卵性双生児だったの」

優人はしばらく声もなくその写真を凝視していたが、それからふと一つのことに気が付き、正面のまどかを見据えて尋ねた。

「この人、いくつで亡くなった?」 

亡くなったその少年と瓜二つの顔に見つめられ、まどかは胸中に押し寄せる愛惜に潰されそうになりながらも、辛うじて微笑を崩さず、尋ねられた問いに答えた。

「 16歳よ 」
気詰まりな沈黙で覆われた病室を見据え、ナルはコツンと小さく壁を叩き、注目を集めた。

そして呆然と写真に見入っていた晴人を見つめ、口火を切った。

「晴人、お前が見た " 優人 " は " 優人 " ではない。似てはいるが全くの別人だ。違いが分かるか?」

尋ねられ、晴人は思わず横にいた優人の腕を握った。そして傍らの優人を見上げ、確かめるように頷いた。

「多分・・・・・もう、間違わないと思う」

「相手は死人だ。トランスでも口寄せでも構わない。接触できるか?」

晴人は探るように周囲に視線を這わせ、それから小さく頷いた。

「ラボじゃなくて、ここでトランスを試してみてもいい?」

「病室で?」

「今日の検査ではっきりしたと思うけど、今の僕の状態はとても酷い。多分、普段できることができないと思う。だからできるだけさっきと同じ環境の方がいいと思うんだ。感覚が分からなくなる前に、できるだけ早く・・・・夜の方が自由がきくから、今晩にでもすぐやりたい。あの人も今ならパパに話があるみたいだったし」

晴人の返事に、ナルは僅かに嫌そうに顔を顰めたが、直ぐにそこから感情をそぎ落とした。

「わかった。病室で実行しよう。だが、晴人を一人にはできない」

ナルの注釈に晴人は神妙に頷いた。

「話相手が必要だもんね。でも人が多くなればその分集中力が切れる。保っていられる自信ない。だから同席するのは最小限にして欲しい。できたら・・・・」

「なんだ?」

晴人は僅かに俯き、それから麻衣の様子を伺い、顔を上げた。

「パパは一緒にいてくれるんでしょう?」

「ああ」

「そしたら後は優人と一緒がいい。ううん、優人だけがいい」

晴人の言葉に、まどかやリンのみならず優人本人が驚いたが、晴人は構わず続けた。

「冷静に考えればリンがいるのが一番いいと思うけど・・・・今回は、優人の方が僕より彼に近いから」

「は?」

驚いて声を上げた優人に、晴人は自分自身を見つめながら答えた。

「この僕が間違えるくらい、さっきの彼と優人は似ていた。多分、波長が近いんだと思う。だから万が一僕が彼と話ができなくても、優人なら話ができるかもしれない」

「僕に霊感はない」

困惑顔の優人を見上げ、晴人は安心させるように小さく微笑んだ。

「もちろん、僕がコンタクトを取るように頑張るけどさ。本当は優人の方が彼に近いんだよ。だからね、保険。あそこまで波長が近かったら、多分優人にも彼は見えると思うよ。本当はあんまり波長が近過ぎるのも危ないんだけど、優人は我が強いから大丈夫だと思うし」

晴人はそう言うと真っ直ぐナルを見返した。

「今も僕の一番強い盾は優人だ。優人がいれば僕は大丈夫だ」

その確信に満ちた晴人の言葉にナルは無言で頷くと、リンに向かって声をかけた。

「リン」

「はい」

「病院関係者に家族の宿泊を認めさせて来てくれ」

「家族分・・・だけですか?」

「そうだ」

念を押しながらも、文句のありそうなリンの視線に、ナルは首を傾げ、面倒そうに答えた。

「カメラを入れるほどの余裕はない」

「・・・・」

「晴人の一番の守りは優人だ。優人も構わないだろう?」

突然話かけられて、優人は面食らったが、晴人の心細そうな顔を見ると即座に結論を下した。

「ああ」

「と、言うわけだ」

しかし、リンはそこで冷淡に告げた。

「ジーンが麻衣さんを引っ張ろうとしていた場合は、どうされるんですか?」

唐突なリンの言葉に、その場の空気が固まった。

しかしリンはその事には頓着せず、表情を変えないナルを見据えた。

「あなた方双子の間にどんな決まりごとがあるのか私には分かりませんが、本人の意思とは無関係に霊はその場の影響を受けやすい。浮遊霊として残っていたとしても悪霊化している可能性もあります。その場合、3人だけでどうやって祓うつもりですか?また、既にあちらの世界に渡っていて、迎えに来たという可能性も考えられます。その時はナル、あなたは無茶をしないと約束できますか?」

真に迫ったリンの声に、その場は一気に外の冷気に晒されたように冷たくなった。

しかしその中でも、視線の中心にあり続けるナルは動揺することなく、酷薄な笑みさえ浮かべた。

「ジーンなら大丈夫だ」

「ナル!」

声高に叱責しようとしたリンをナルは一瞥し、引けを取らない冷淡な口調で答えた。

「仮にリンが危惧している通りの状況だったとしたら、僕があいつを消し去る」

端麗な顔に浮かんだ笑みは残忍に艶めき、まるで楽しんでいるかのようだった。

悪魔を思わせる妖艶なそれに、リンは深いため息をついて首を振った。

「あなた本人にそんなことをされては困るから言っているんです」

「だからと言ってリンにさせるつもりはない」

そして、ナルは魔王の囁きを思わせる、威厳に満ちた声色でリンの口を封じた。

                

                

                

                

                

「あいつの息の根を止めていいのは僕だけだ」