マイはとても嬉しそうに顔をほころばせ、夫の手を引き、子犬の様に周囲をくるくる回った。 

「ナル、ナル、ナル」    

対するオリヴァー・デイヴィスは、呆れかえったのかなんなのか、冷徹なほど完璧な無表情で、手を引かれるがままゆっくりと歩を進めた。  

   

    

      

 

 

 

  Garden

 

 

  

  

 

「子どもってああだよね」

「はぁ?」

「あれってまるっきり秘密基地とか見せる時の顔じゃない」 

 

 

 

ハルトの予言通り、もう僕にはじいさんは見えなかった。

それを確認するために、初めてじいさんの家へ行く時、僕は彼らに同行を願った。

恐怖心もあったが、本気でどうしていいのか分からなかったのだ。

マクガレーさんの家の前で待ち合わせをすると、そこにはオリヴァー・デイヴィス、ハルト、マイ、それから父親にそっくりの長男がいた。

「初めまして、ユート・デイヴィスです」

握手を求めてきた長男は、なぜだか父親よりも一層不機嫌で怖かった。

 

 

 

「 怖いことはなにもないよ。ここでそんなの起きっこない 」

 

 

  

ハルトにそう断言されてもまるで信じられなかった。

幽霊は幽霊で、幻覚を見たにしてもその場は怖いと思った。もう二度と足を踏み入れることはできないんじゃないかと言うくらいに。

けれど実際に立ってみると、ハルトの言っていたことがどういうことかよく分かった。

オークの樹ばかりじゃない。

ここは豊かな自然を間借りして、じいさんやその前の先祖が丹精込めて形造り、僕が引き継いだ愛すべき庭だ。僕がここに敬意を払い、愛している限り、いや、そんなことすら些細な違いなのだろう。ここは確かに怖いことは何もないのだ。

日を受け、風を浴びるとそれはごく当たり前のこととして実感できた。

何があんなに怖かったのか、暖かな日差しの下ではまるで分からなくなってしまった。

そんな奇妙な感触に驚きながら、僕はしつこく巣くう戸惑いをあえて無視して、ハルトに尋ねた。

「じいさんは、もう本当にいない?」

僕の質問にハルトは小さく首を傾げた。 

「いないっていう表現が正しいのかは分からないけど・・・多分もう会うことはないと思う」

「そう」

「安心しました?」

「安心・・・っていうよりは、何だろう少し寂しいって感じかな?」

嘘か本当か、そんな奇妙なやりとりをする傍らで、そんな話題はどうでもいいのかマイは夫を連れて自分のお気に入りの場所、オークの樹に向かった。

マイの足取りは軽く、スキップしているみたいだった。

その背を見送りながら、ハルトは嬉しそうにユートに声をかけた。

「それにしても珍しいね。優人までついてくるなんて。忙しいんじゃないの?」

「ああ忙しいさ。今日だってとんぼ返りだよ。明日の朝から実習なんだ」

憮然とするユートにハルトはさらに無邪気に首を傾げた。

「なんでそこまでして・・・」

「それは晴人、お前のせいだろう」

「僕?」

あくまで無自覚な弟に、兄の何かが切れた。

「母さんが行方不明だったなんてあっけらかんと言うからだ!どこの誰がそんなぬるい管理を許した?母さんに何かあったらどうするつもりだったんだ?!」

兄の剣幕に、僕の前ではいつも悠然と構えていたはずのハルトが一気に小さくなった。

「だって・・・危なくないことはわかっていたもん。パパだってまぁ大丈夫だろうって」

「まぁ大丈夫ぅ?!」

長男、ユートはそこでギロリと僕を睨んだ。

「結果として男と2人きりだっただろうがっ」

「2人きり違う!違うよ!実際はお祖父さんも一緒だったんだから!」

「僕から見れば十分2人きりだ!」

「そりゃもともと優人には見えないけどさぁぁぁ」

父親似の長男に母親似の次男はまるで似てはいないのだが、どちらも十分に均整の取れた端正な顔立ちをしている。黙っていればいい男の部類に入るだろう。しかも話題はオカルトなはずだ。それなのにやっていることはコントじみていて、僕は思わず吹き出した。

「いや、失礼」

咳き込みながら謝ると、毒気を抜かれたのか、ユートもハルトを締め上げていた手を緩め、どかりとベンチに腰を下ろした。

座ると長い足が際立つ。

父親も圧倒的な美形だが、そっくりな息子は息子で若い分だけぐっと目を引く。それなのに・・・

「随分、マイ・・・母親思いなんだね」

オブラートに包んで表現したつもりだが、その前に口にしてしまった名前が気に入らなかったのだろう、ユートはまた不機嫌になって眉間に皺を寄せた。

「僕はまだマシ。父の方がよほど酷いですよ」

だから手を出すなと牽制するつもりなのか、僕はそのあけすけな言動に苦笑した。

牽制もなにも年齢を聞いた時点で僕のその手の興味はしぼんだ。

しかしことこの息子には年齢もおかしな行動もハードルにはならないのだろう。僕より年下のはずだが、肉親の欲目とは恐ろしい。

ふと見ればハルトがやれやれと肩を竦めていて、目が合うと恥ずかしそうに笑った。

「見た目だけは若いし、ちょっと言動がおかしいけど、何かと言い寄って来る人ってまだいるんですよね」

言い訳じみた弁解に、僕は頷いた。

「あどけないって感じだもんな」

そう言えば父親もトラブルメーカーと言っていたしな、と、僕が呟くと、ハルトはそこでコロコロと笑い、ユートを見比べた。

「確かに昔はパパの方が束縛激しかったかもね。でも最近はそうでもないんだよ?」

「はぁ?」

「最近パパは安定しているんだよ」

「なんだそれ?あれだけ暴れられててか?」

目をむく長男に、ハルトはにこにこと笑った。

「ママってこうなってから変に恥ずかしがらなくなったじゃない。だからパパはママからすっごく愛されてるって前よりずっとよく分かるようになったの。そしたら前より安定してきたんだよ」

ほら、あの顔見ればわかるでしょ。と、ハルトはオークの樹を指さした。 

見れば、確かにそこには僕が今まで見たこともない、幸せいっぱいに笑うマイがいた。

夫のことが好きで好きでたまらないといった体のその顔は、見ていて恥ずかしくなるほどだ。

「病院で見かけた時は人形みたいだったのに・・・」

僕が思わずそう言うと、ハルトはああ、と頷いた。

「繊細にできていると街で暮らすのはちょっと辛い。人より余分に色んなものを感じてしまうから、ガヤガヤしてザワザワして落ち着かない。だから自然とガードしちゃってるのかも。みんなそうだろうけど、特にママは顔に出やすいから。ここはあの樹の守りもあるからすごっくリラックスしてるんだろうね」

「・・・なるほどね」

「それとあいつが安定するのと何が関係するんだよ?」

素直に感心する僕とは対照的に、どこまでも喧嘩腰のユートに、ハルトはため息をついた。

それからぐるりとユートの正面に回り込むと、膝を折って最上級の笑みを浮かべた。

一瞬、ギョッとするぐらいにカワイイ笑顔。

思ったのはユートも一緒だろう。

ビクリと肩が震えたのを見やってから、ハルトはキッパリと言い切った。 

「そんなママにパパの側が一番!なんて顔されたら、男冥利に尽きるでしょう?」