王国の住人4   足音  火の玉  果物ナイフ  

    

 

天井から足音がすると、訴えたのは、最上階住人の高校1年生になる、伊藤明仁だった。

「それは何時頃からですか?」

麻衣の質問に、見るからにやつれて生気のない伊藤明仁は億劫そうに欠伸をかみ殺し、答えた。

「えっと・・・中間テスト終わったくらいから」

「5月末とかかな?」

「うん。多分そのくらいだと思う」

「足音って普段は何時くらいにしますか?」

「えっと、大体午前2時過ぎだと思う」

「2時から何時くらいまで?」

「それは、その日によってマチマチだね。気のせいかも、って思えるくらいすぐ鳴り止む時もあるし、ずっと一晩中

足音がする時もあるから」

伊藤明仁はそれだけ言うと、椅子の上に片足をのせ、だるそうに背中を丸めた。

「ご家族の方はその足音を聞いたりとかはしないんでしょうか?」

「ん〜、大体寝てるし。でも、あんまり酷いって言ったら、一回親父が付き合いで起きてたけど、聞こえなかったって。

で、俺が聞こえたら起こせって言うんだけど、足音が聞こえている最中は金縛りにあってんだ。だから、起こすことも

できなくてさ」

「それは毎晩?」

「そうだね・・・大体毎晩聞こえる」

「嫌でなければ、マイク設置させてもらって、音を拾いたいんだけど・・・どうでしょうか?」

麻衣が提案すると、伊藤明仁はしばらくぼんやりと麻衣を見つめ、力なく頷いた。

「どっちでもいいよ」

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

  

  

ベースにヒアリングに訪れたものの中で、最も騒がしかった小学生3人組は、互いにお前が言えと小突きあい、それ

ぞれの母親や父親にたしなめられ、渋々といった風体でそれぞれに騒がしく語り始めた。

「僕達が見たのは火の玉」

「始んちでゲームしてた時に、ベランダで火の玉が落ちていくの見たんだよな」

「うん、屋上からどーんどーんって火の玉が落ちていった」

「すい星っぽくなかった?」

「ばぁか、ちげーよ。赤かったし」

「だよな」

「どっちかっていうと『ファイヤーバーム』って感じだったもん」

「ファイヤーバーム?」

「知らねぇの?今はやってるじゃん。『ラスト・ドラゴン』ってゲーム。その時もそれやってたんだけどさ」

「へぇ・・・それが火の玉ね。火の玉は下に落ちていったんだ」

「そう、で、何かなぁって思ってベランダに出てみたら、やっぱり火の玉が屋上から下に落ちていってんの」

「でも下みると、どこも火事とかなってないんだよね」

「んで、キモチワリーってなったんだけど、僕達がベランダに出てからすぐ、火の玉は消えたんだよね」

「うん。タッチの差でおばさん帰ってきたからさ。もう少し早ければ、おばさんにも見てもらえたのにな」

「な」

「それは何時頃の話かな?」

「え、結構いっぱい見るよ?」

「そうなの?!」

「うん見るよな」

「そうだね。一人の時は見ないんだけど・・・」

「あ、俺も」

「僕もだ」

「大体夕方、3人で始の家でゲームしてる時見るよな」

「そうだね。ゲームしてても見ない時もあるけど」

「いつも始君・・・・木下さんのお家で見るのかな?」

「うん」

「これも幽霊の一種なのかなぁって思うけど、他のやつらは見ないみたいだし」

「今のところ、それ以上怖いの見たりはしないから、何だか慣れたよな」

「うん、慣れた慣れた。ね、お姉ちゃん携帯番号教えてよ、今度出たら教えるから」

「はは、ありがとう。ところで、その火の玉を始めて見たのはいつだったか覚えている?」

「始めて見た時?あれはねぇ・・・確か、『メビウス』が要塞に着いた回の放送した日だったから・・・」

「『メビウス』の要塞?だったら、・・・・うん、2週前だよ」

「メビウスって?」

「毎週木曜日にやってるアニメ。面白いよ。全部HDに保存してあるから、見るなら貸してあげるよ」

「やっぱり2週間前だ!今から2週間前の木曜日。始めてみたのはその日だよ」

「そう、じゃぁ2週間前からだね。その他に、何か見たりとかはした?」

麻衣の質問に、3人はそれぞれを見渡し、首をすくめた。

「女の幽霊ってこと?僕らは見てないよ」

「何ていったっけ?ほら、6階の『マークス』」

「ああ、山下ね。そうだ、女の幽霊なら、あいつが見てるよ。で、ベランダから飛び降りたんだろ?」

「あと、犬の幽霊見たって話もあるよな」

「おじいさんってのもあったよ。あれ、どっかのお兄ちゃん見たって聞いたけど?」

「うっそ、何それ知らねぇ」

「下駄箱開けたら、知らないおじいさんがうずくまってたんだって」

「うわ、こえぇぇぇ。やだな、それ、絶対見たくない」

「コラ、始!ふざけるんじゃない」

「ふざけてないですよぉ」

「今、女の幽霊みてるって噂なのはたしか12階の人だって聞いたけど?」

「え?誰かな?」

「詳しくは知らない。噂だから。でも、その人が見てるから、僕らはまだ見ないんじゃない」

一人が言うと、後の二人もそう言えばそうだと頷きあい、自信たっぷりに言い切った。

「 ターゲットは一人なんだよ。飛び降りて怪我するまでは、その人が女の幽霊を見るんだ 」

だからまだ、自分達は順番じゃない。

三人はそう言うと、順番来たらやだな。どっちか見たら、しばらく引き止めておいてよ。と、半ば本気で相談し始めた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

  

  

  

僅かに、日が西に傾いた時刻。

もう誰も来ないかと麻衣が席を片付け始めると、15階で暮らしをしている高田朝子という大学生が、人目を忍ぶように

姿を現し、とまどいながらもリビングに足を運んだ

彼女はしばらくの間機材やナルの容姿に見惚れていたが、ほどなくして我に返ると、酷く躊躇いながら、それでも

ゆっくりと口を開いた。

「あの・・・ここでお話したことって、マンションのほかの人には」

「依頼人のプライバシーは守ります」

「私の、家族には・・・」

「不都合があるならば秘密にします。安心して下さい」

麻衣がそう言うと、彼女は切れ長の目を更に細めた。

「実は・・・私には高2の弟がいるんですけど・・・ああ、でも本当に幽霊とは関係ないかもしれないんですけど」

その不安そうな瞳に、麻衣はできる限り真摯に頷いた。

「どんなことでも結構ですよ。まずはお話してみて下さい」

麻衣の声に、高田は泣き出しそうな顔で麻衣を見上げ、それから堰を切ったように話始めた。

「あの・・・その、私の弟って、元々すごく気が小さくて、部活もずっと帰宅部で、大人しいタイプなんです」

「はい」

「それが、今年に入って、マンション中で幽霊騒ぎになったあたりから、ちょっと目つきがおかしくなって・・・て」

「具体的にはいつからでしょう?」

「ここ2ヶ月くらいで・・した」

「と、言いますと?」

麻衣が話を促すと、高田朝子はカタカタと小刻みに震えながら俯いた。

麻衣はテーブル越しにその手を掴み、大丈夫ですよ?と首を傾げた。その優しい声色に、彼女は唾を飲み込み、

搾り出すように声を出した。

「実は・・・1週間前に、その、弟が、お母さんを刺したんです」

「・・・・」

「家にあった果物ナイフで。ちょうど私が大学から帰ってくる時間だったので、私とお母さんで何とか弟を取り押さえ

たんですけど・・・すごい力で、すごい、取り乱していて・・・何か弟じゃないみたいでした。何かに取り憑かれている

みたいで、あんまり暴れるから・・・あの、荷造り紐で縛ったんですけど、そしたら「殺される」って、すごい声で騒い

で、それから倒れたんです。どうしていいのか分からなくて、とにかくお父さん呼んだんですけど、気がついてからも

暴れるから、とにかく病院へ連れて行ったんです。その間も弟は必死に暴れてて、お医者さまにも飛びかかろうって

していたので、麻酔で眠らせて・・・それで・・・そのまま、今は精神科病棟に入院しました」

「・・・・」

「確かに、後から考えれば、目つきが違っていたなとか、思いつくことはあるんですけど、それまでは本当に普通

だったんです。特にお母さんと仲が悪かったわけでもないし、べったりってわけでもないし・・・普通だったと思いま

す。それが突然こうなって、精神病って診断結果が出ればそれまでなんですけど、でも、どうしても納得できなく

て・・・両親は今だけ、弟はそうなっただけだからって、入院のことも秘密にしてるので、多分、他の人にはバレて

いないと思うんですけど、私、弟があんなふうになったの、ここの幽霊の影響なんじゃないかって思うんです」

「弟さん、もしくは高田さん本人が何か見たこととか聞いたことはあったんですか?」

麻衣の質問に、高田朝子は力なく首をふったが、それでも、と、言葉を続けた。

「信じられないんです。本当に大人しくて、優しいだけの子だったんです。それが突然・・・」

「今、弟さんはまだ病院に?」

「ええ・・・病院では抜け殻みたいに落ち着いているらしいんですけど、私とか両親が顔を出すとダメなんです」

「・・・・同じように暴れるんですか?」

「特に母に対して」

「他の人間には会えるんでしょうか?」

「さぁ?誰にも言ってませんし・・・話ができるかどうかは、ちょっと、私ではわかりません」

「差し支えなければ、その入院されている病院をお教えいただけますか?」

初めからそれを期待していたのか、高田朝子はジーンズのポケットから病院の連絡先をメモした紙を取り出し、

麻衣に手渡した。 

「弟は・・・何かに取り憑かれているんでしょうか?」 

「それはまだ・・・何とも言えませんが」 

困ったような表情の麻衣に、高田朝子は絶対に自分がここに来たことは誰にも言わないでくれと念を押し、ベースを

立ち去った。