王国の住人6   有意義な時間

    

 

調査3日目。

麻衣はカメラテープを回収しながら、マンションを下から順に上に登っていった。

平日の昼日中。

マンションに小中学生、高校生、大学生の姿はなく、時々顔を合わせるのは主婦と、まだ就学前の小さな子どもだ

けだった。念のために聞き込みをしてみたが、ごく小さな子ども達は逆に幽霊を見ることなく、不安そうな母親達の

陰に隠れて遊んでいた。

霊は新しい侵入者を嫌う。

時に調査に入ったその日に大きな反応を示すこともあるが、今回のようにナリを潜めてしまうことも少なくない。

8階まで登ると、麻衣はそこで一息ついて非常階段へ続く狭い踊り場に座り込んだ。

外は、働くのが嫌になるほどいい天気だった。

麻衣は踊り場にしゃがみこんで、持参していたペットボトルのミネラルウォーターを開けた。それにしても暑い。

調査序盤でバテるわけにはいかないと、麻衣はごくごくと喉を鳴らしてミネラルウォーターを飲んだ。そこでふいに

声をかけられた。

「暑いですね」

驚いて振り返ると、そこには私服姿の華奢な女の子が微笑んでいた。

やわらかそうな長い髪をゆるく二本に結び、白地にショッキングピンクで芍薬の描かれたTシャツを来たその子は、

驚く麻衣に、涼やかに笑った。

「お母さんから聞いていたけど、お姉さん。昨日からこのマンションで幽霊退治している人達でしょう?」

おっとりと発せられる線の細い声が心地いい少女に、麻衣はにこやかに笑った。

「そうです。渋谷サイキックリサーチの谷山 麻衣って言います。お邪魔してますね」

「ここの8階に住んでいる八城 暁って言います」

「高校生さんですか?」

「うん、高校1年生です」

「今日は学校どうしたの?」

麻衣が尋ねると、八城暁はゆっくりと微笑み、長い髪を指で丸めた。

「開校記念日で、午前授業だったんです」

「じゃぁ今学校帰り・・・?あれ?でも私服だよね」

「ああ、私の所中高一貫のワタクシリシツで、私服なんです」

「あ、そうなんだ。いいね」

にっこりと麻衣が微笑むと、八城暁は小さく笑い返した。

「谷山さん・・・」

「麻衣でいいよ」

「じゃ、麻衣ちゃん。わたしも暁でいいですよ。あきちゃんでもいいし」

「じゃ、あきちゃんね」

暁はそこでやんわりと笑った。

「私は幽霊とか見えないし、よく分からないんだけど、ここって本当に幽霊とかいるの?もうお祓いとかしたの?」

不安そうな表情に、麻衣は困ったように眉を寄せた。

「うううん、まだわかんないの」

「そうなの?」

「うん。それにね、私たちは最初からお祓いとかするわけじゃなくて、ちゃんと原因がはっきりしてから、それに応じて

除霊っていって、幽霊がいたらお祓いをするから・・・まだ何とも言えないんだよね」

「へぇ。私てっきりすぐ霊がいるって言われて、お祓いして終わりなんだと思ってた」 

「う〜ん、もしかしたら一般的な霊能者って人たちはそうなのかもしれないけど、私たちは一応「ゴースト・ハンター」

だから」 

麻衣の説明に暁は大きな目を更に見開き、薄い唇を僅かに突き出した。

「あの・・・マシュマロマンの?」

暁の質問に、麻衣は微笑みながら、もう既に何度も繰り返してきた自分達の仕事の説明をした。

「昨日から9階のお部屋を借りて、そこを拠点にしているんだけど、部屋の中はもう機材だらけだよ。ほら、この非常

階段の脇にもカメラがあるでしょう?こうやって現象を観測、記憶するの」

「へぇぇ、そういうことするんだ。意外です」

口調は高校生なのだが、テンポがゆっくりな為、暁と会話をしていると、自然ゆったりとした気分になって、麻衣はく

つろいで話を続けた。

「あきちゃんはここで幽霊とか見たことないの?」

「ないの。私って霊感ってないみたい。マンションでは色々噂になってるけど、どれも実際には体験してなくて、話題

に取り残されて、ちょっとつまらないみたい」

「いや、それはそれでいいことじゃないかな?体調悪くなっている人とかもいるみたいだし」

「あ、そうですよね、ごめんなさい。自分の所のことなのに・・・」

「ううん。でもそういうもんかもね。噂話も小学生の子達が一番詳しかったし」

「ねぇ、でも麻衣ちゃんはずっとここで働いているんでしょう?実際に幽霊とか見たことあるの?」

「ああ、それは幽霊っぽいなぁっていうのを見たりとかはしたよ。それこそすっごいいっぱい」

「幽霊っぽい?」 

「私は幽霊だと思うんだけどね。うちの所長様曰くは、あくまで人を通した目撃情報は霊のデータは当てにあてはま

らないってのが原則なんだ。だから、私が見ただけのものは、やっぱり『 幽霊っぽいもの 』にしかならないんだと

思うんだよね。ちょっと面倒な話だけどね。ちゃんと音とか映像として記憶されて、そこから物理的に可能な要素を

差し引いて、それでも『 よく分からない 』『 分析できないもの 』ってなって、初めて幽霊って呼んでもいいって、

ことらしいよ。まぁちゃんと証明できた『幽霊』にも多数ご対面してますけどね」

麻衣の説明に、暁は難しそうな顔をして首を傾げた。

「何だかよくわかんないけど、大変そう」

「大変だよ〜」

「それに、幽霊って本当にカメラとかで撮れるものなの?」

「うん、機械とは相性悪いからよくトラブルが起きて記録できないことが多いんだけどさ」

「だって、幽霊って透明なんでしょう?無理じゃない?」 

そして、俗説に頭を悩ませる暁に、麻衣はくすくすと笑った。

「ああ、何か新鮮!あきちゃんって本当にかわいいv」 

「え?何?何か変なこと言った?」

「ううん。かわいいなぁって思っただけv」

「かわいいんなら、麻衣ちゃんの方がかわいい。高校生?」

「今20歳。本職は大学生ですから」

「あ。そうなんだ。ごめんなさい、タメ口きいちゃった」

「いいよ、その方が嬉しいし」

くすくすと笑う麻衣に、暁も他人行儀な敷居を取り、麻衣の横に座り込んだ。

「ね、麻衣ちゃんは霊能者さんなんでしょう?もし幽霊がいたら、お祓いするの?」

「ううん。実際のお祓いになったら、多分仲間うちの別の人がやると思うよ」

「仲間っていっぱいいるんだ?その人がお祓いするんだね?皆そういうことができるの?すごいね」

「うんとね、仲間は所長と助手と事務と私と、あと元お坊さんのお兄さんと、霊媒師の女の子がいるの。それで実際

にお祓いするのは、この中だったら、そのお坊さんか、助手の人なんだ。幽霊が実際にいて、話ができる状態だった

ら、もう一人の霊媒師の女の子が説得してくれたりするんだけどね。彼女はどこにも幽霊が見えないって言ってるか

ら、ちょっとわかんないんだ」

「へぇ・・・そういうもんなんだぁ。あれ?でも、麻衣ちゃんも見えるんでしょう?どう、ここって何かいた?」

暁の問いに麻衣は困ったように笑った。

「ううん、私も見えない。というかねぇ、私が見る時って結構状態が限られているんだよね」

「?」

「すっごい強い霊とかだったら、よく見えるんだけど、あとは私寝てないと役立たずなの」

「寝ちゃうの?」

「そう、私は寝ると色んなものを見るタイプらしいんだよね。専門的にはトランス状態に入って、その場に意識を飛ば

すってことらしいんだけど・・・どうも自分で自分を制御しきれないから、今でも所長には『半人前』って烙印押されて

るの。ちゃんとコントロールしたいから訓練は受けているんだけど、中々発展しなくてさ」

ぺろりと舌を出すと、暁は口元に手を当てて笑った。

「ふふふ、麻衣ちゃんってやっぱりかわいいv」

「あははは、ハタチにもなってなんか間抜けだよね。ごめんね頼りなくて、でも他のメンバーはプロだから」

「まぬけさんとは思わないよぉ。正直で嬉しくなるから。で、他の人はプロさんなの?」

「うん、その点だけは保証します」

「信頼してるんだねぇ」

「うぅん、性格的には問題あるのばっかりなんだけど、色々一緒にやってきてるからね。信頼してる」

麻衣がしゃがみこんだ暁に視線を落とすと、そこで不意に暁が驚いたような顔をして、麻衣の背後、さらに上の方に

視線をやり、固まった。不思議に思って麻衣が振り返ると、そこには不機嫌そうな漆黒の美人が非常階段を下りて

くるところだった。 

「麻衣」

低いテノールが熱した大気を突き刺して、真っ直ぐに麻衣のもとに届く。

麻衣は僅かに固くなる顔に無理やり笑顔を浮かべ、その漆黒の美人に笑いかけた。

「何、でしょうか、所長?」

「お前はテープの回収に何時間かけるつもりだ?」

「マンション住民の皆様にお話をお聞きしていたんです!ね?あきちゃん?」

「え?あ、は、はい」

例にもれずナルに見惚れていた暁は、麻衣の声に我に返ってこくりと頷いた。それを確認し、ナルは薄い笑顔を

浮かべ、麻衣と暁を見渡した。

「こんな時間までかかるようでしたら、こんな場所ではなんですから、ベースの方に起こし頂けばいいのに」

「あの、もう終わったから・・・・」

ごしょごしょと語尾を濁す麻衣に、ナルは冴え冴えと冷める視線を投げ、そこの逃げ道を寸断した。

黙り込む麻衣に、頃合を見計らって、暁はその場から立ち上がり、にっこりと笑った。

「それじゃぁ、私帰ります。麻衣ちゃん、またね」

「あ、うん!あきちゃん引き止めちゃってごめんね。またね」

手を振って立ち去る暁の後ろ姿を見送りながら、ナルは横でにこにこと笑いながら手を振る麻衣を見下ろした。

「誰?」

「あきちゃん。8階に住んでるんだって、高校一年生で、今日は午前授業だったみたい」

「へぇ」

「いい子だよぉ。かわいいしね。ほら、あのほっそい足!華奢だよねぇ」 

麻衣の説明に、ナルは1ミリの興味も示さず話の先を促した。

「で?」

「で?」

「『あきちゃん』とやらは何を見た人物なんだ?」

ナルはそう言うと、やおら麻衣のジーンズのポケットに手を突っ込み、動いていないポータブル・レコーダーを

手のひらにのせ、ちらりと麻衣を睨んだ。

「とれてない・・・」

「あ、いや、だって、あきちゃんは何も見てないし、よくわかんないって言ってたから・・・」

それに弁明しようとして、麻衣は自分で自分の首を絞めたことに、言った瞬間気がつき顔を青ざめた。

「随分、有意義な時間をお過ごしのようで」

「・・・」

「お前はここに何しに来ているんだ?」

「・・・・お仕事です・・・・」

麻衣の返事に、ナルは心底疲れたようにため息をつき、手のひらにのせたレコーダーを麻衣の鼻先に押し当て、

その指で麻衣の鼻先をつまんだ。

「いひゃい」

「仕事をしろ、愚か者」

「鼻つまむなバカー」

「バカは麻衣」 

「・・・っっ!」  

「さっさと戻れ!」

ほんわかムードを一瞬で破壊され、麻衣はその威力にげんなりしながら、拉致・連行されるようにベースに戻った。