沈黙を続ける現象を前に、ナルの機嫌がひたすら下降していく中、調査は4日目を迎えた。
ナルが依頼主の崎谷との打ち合わせで外出した後、滝川と真砂子は近所の寺院仏閣を回り異変がないか見てくる
と同じく外出した。
ベースにはリンと麻衣が残り、テープ回収時間になると、どちらかがマンションを見回る他極めて平和な時間が流れ
た。いかな麻衣とて、リンを相手には長時間喋り続けることも出来ず、ベースには自然沈黙が長く続くようになってい
た。そして午後15時過ぎ、ベースにその日初めての来客があった。
「あの〜」
控えめな声に、暇を持て余していた麻衣は勢いよく立ち上がり、玄関に飛び出して行った。
そこには昨日見かけた楚々とした美少女、八城暁が恐る恐るといった体で顔を出していた。
「あ、あきちゃん!」
「麻衣ちゃん・・・お仕事中・・・だよねぇ」
「うん。そうだけど、どうしたの?何かあった?」
飛び掛らんばかりに元気を持て余していた麻衣に、暁はやんわりと笑い、首を横に振った。
「残念ながらお役にたてそうなことは何もないんだけど・・・すごっく外暑いでしょう?今アイス買ってきて、家にあるの。
よかったら食べないかなぁって思って、昨日の時間に廊下に出てみたんだけど、いなかったから、お誘いに来てみた
の・・・あ、でもダメだよねぇ。2個しかないし・・・・」
消え入りそうな暁の声から、アイスと聞いて麻衣は歓声をあげたが、すぐにリビングを振り返り、少し困ったように眉を
下げた。
「すっごく嬉しいんだけど・・・今ここって私ともう一人しかいなくて、席外せないんだぁ」
「あ・・・そうなの」
残念そうな暁に、麻衣は重ねるようにくしゃりと顔をしかめた。
「私はすっごく食べたいんだけど・・・」
どうしよう。と麻衣が思案している間に、リビングからリンが顔を出した。
突然の長身の登場に暁が驚いていると、リンはそれを軽く無視して麻衣に声をかけた。
「谷山さん」
「リンさん?」
「今のところ動きもありませんから、念のためインカム持参で4時までに戻ってきてくだされば少し外出なさっても
いいですよ。ナルには黙ってましょう」
「マジで?」
「守秘義務を守ってくだされば」
「守る!うわい、ありがとうリンさん!」
僅かに浮かんだ、リンの縁起のいい笑顔に背を押され、麻衣は上機嫌で一階下の暁の部屋に向かった。
「大きくて、怖い人かと思ったら、意外にいい人ね」
限定販売というマンゴーアイスに舌鼓を打つ麻衣に、暁は満足そうに笑いながら言った。
「ん?」
「さっき、9階にいた人。大人っぽくてステキね。あの人が所長さん?」
「ああ、リンさん。違うよ、あの人は助手さんの方、所長は昨日あきちゃんも会った、もっと若い方の男」
「え?あのすっごいイケメン?」
「イケメン・・・・そうだねぇ・・・顔だけは無駄にいいけど・・・あいつの方が所長なんだ」
麻衣の説明に暁はひとしきり驚き、それからうっとりと麻衣を見つめた。
「へぇぇ、麻衣ちゃんの所ってかっこいい人ばっかりなのね。昨日茶パツの人も見たけど、あの人もかっこいいわよね」
「ぼーさんのこと?!あはははは。喜ぶと思うから伝えとく!でも所長の方は極悪的に性格悪いよ」
笑う麻衣に、暁は今思いついたように唇を尖らせ、おずおずと質問した。
「でもさ」
「うん」
「麻衣ちゃん、ここにいる時ってその人達と一緒に泊り込み・・・してるんだよね」
「そだよ」
「彼氏とか文句言わないの?」
「へ?」
「だって、彼氏だったら怒りそうじゃない?いくら仕事でもさ、他の男の人と一緒にお泊りなんて」
暁の質問に、麻衣はしばしぽかんとしたが、それから慌てて手を振った。
「いやいやいや、それは大丈夫!ほら、今回だって、私のほかにもう一人女の子泊まっているし」
自信満々に断言する麻衣を、暁はぼんやりと眺めていたが、それから悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「え―――、さては麻衣ちゃんの彼氏ってあの中にいるんでしょう?」
「え?」
「あ、口元にやけた!やぁん、絶対そうだぁ」
「や、や、あの、あきちゃん?!」
「あ、じゃぁさっきの背の高いお兄さん?リンさんだっけ?あの人!だから今日のも見逃してくれたの?」
「リンさん?!うわぁぁ違う!違う!!!違う!!!!おっかないこと言わないで!」
「ええ、そうなのぉ・・・じゃぁ・・・じゃぁ・・・あのイケメン?!」
急にイキイキとはしゃぎ始めた暁の大声に麻衣はたちまちのうちに顔を赤くし、暁は興奮状態で麻衣の両手を逃が
さないとばかりに掴んだ。
「麻衣ちゃん!」
「あうぅ・・・あのね、あきちゃん」
「あのイケメンさんが彼氏なんだね?」
「・・・・・・・・・・・いや、あの・・・・・・・・・・・・・・・はぁ」
「で、彼が所長で、あの長身の美形さんは部下で、それはそれで仲良しなのね」
「仲良しっていうかぁ・・・元々所長とリンさんの方が仕事歴長いんだけどさ」
「理想的ね。なるほど、納得。それなら彼氏も怒らないね。自分と一緒だもの」
勝手に話を進める暁に、麻衣は困惑して悲鳴を上げた。
「あきちゃん!」
「なぁに?」
「いや、あのね・・・うん。実は所長は彼氏、だよ。多分」
「うん。うらやましいな」
「でも、仕事の最中は公私混同してないから、そんな意識もないし」
「うん、えらいねぇ」
「あう、あ、ありがとう。でもね、あの、自分達では区別しているけど、そう取ってくれない人も多いの」
麻衣がぽそぽそと弁明すると、暁は指で麻衣の手の甲をこすりながら、その先を待った。
「だから、その、ここのマンションの人達には黙っていて欲しい・・・んだけど・・・な」
「秘密なの?」
「うん。できたら・・・」
「もしかして、他に一緒に働いている人達にも?」
「あ、メンバーはみんな知ってるの」
「へぇ、本当に仲良しなのね」
「うん・・・・だけど、あの」
「分かった。お仕事の邪魔になるものね。秘密にするわ」
ふわりと笑う暁に、麻衣は赤面して口の端を尖らせていたが、それもすぐに笑顔になった。
「じゃぁ、約束ね」
「うん、約束ね」
「そうだ!約束の印に、麻衣ちゃんにも私の秘密教えてあげる」
「秘密?」
くすりと笑う麻衣に、暁はお母さんにも絶対黙っててね、と念を押し、首にかけてあった長いチェーンを引っ張り出し、
透明な球の形をしたネックレスヘッドを取り出して、麻衣の顔の前にかざした。
「うわぁぁ綺麗だねぇ」
麻衣が声をあげると、暁は嬉しそうに微笑んだ。
「もらったの」
そしてどこか誇らしげな暁の笑顔に、麻衣はにっこりと笑った。
「彼氏から?」
「ふふふ、とっても綺麗でしょう」
「うん、すっごく綺麗」
「麻衣ちゃん、中央をよく見て。光の加減で色が違ってみるから」
促されるまま覗き込むと、それは確かにクリスタルのように、酷くキラキラと輝いていた。
「2人だけの秘密よ」
やわらかい声がくすぐったそうに囁いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
暁の部屋を出ると、麻衣はそのまま非常階段に向かった。
8階から9階へ、たった一階だけの移動だ。エレベータを使うほどでもない。
カメラが設置されている踊り場を抜けた先のそこは、西日がよく当たり、そこだけ切り抜かれたようなオレンジ色の
空間になっていた。
――― くらくらする・・・
麻衣はその光に目を細め、階段の手摺に左手をかけた。
何かが頭の隅にひっかかった。
――― 何?
麻衣はその小さなひっかかりに意識を凝らした。
それはひっかかりというには余りに曖昧な、ごく小さな違和感で、それは意識を凝らした端から視界の外に抜けて
行ってしまうような本当に些細な感覚だった。
――― 何だろう。
麻衣はその小さ過ぎる感覚を追いながら、無意識のうちに階段を登った。
無言のままベースに帰ってきた麻衣を見咎め、リンは不思議に思って声をかけた。
「谷山さん」
声をかけたことによって、そこで麻衣はようやく我に返り、モニターの前のリンを驚いたような顔で眺めた。
「リンさん・・・」
「どうされたんですか?」
「いや、え?ううん、どうもしないよ?」
「でも、ぼんやりされている様子だったので」
リンが言うと、麻衣はそれもそうかと首をひねり、周囲を見渡した。
「あれ?」
そしてしばらく辺りをうかがうと、最後にモニター前のリンを見遣った。
「私・・・あきちゃんのトコ行って、アイス食べてきたんだけど・・・」
「ええ」
「で、ちょっとおしゃべりして、非常階段上がって・・・ベースに来ようと思って・・・」
麻衣はそこまで話すと、困まったように顔をしかめた。
「大丈夫ですか?何か・・・」
ありますか、と言いかけたリンに、麻衣は慌てて恥ずかしそうに両手を振った。
「何か、一瞬意識飛んでました」
「…」
「クーラー効いてる快適なところから、突然西日の当たる所出たら、何かクラクラしたみたい・・・」
えへ。とテレ笑いする麻衣に、リンはそうされても自分では対処ができないと、小さくため息を漏らし、ごく保護者的
発言でその場をしめた。
曰く、 「 ぼんやりしている所を、ナルには見つからないように 」
リンのありがたい忠言に、麻衣は苦笑して頷いた。