「こんばんわ、情報屋安原です」
そう言いながら、どこかやつれた安原がベターマンションに顔を出したのは、夜7時過ぎのことだった。
「おうよ少年。何だか疲れてんな」
夕食のフライをほおばりながら滝川が手を上げると、安原はその様子を恨めしそうな目で眺めながら、乾いた笑いを
漏らした。
「徒労というものは酷く重いものなんですよ。ノリオ」
「ほっ?いっぱしのこと言うじゃねぇか」
「ふふふふ、もう少年と呼ばれるような年でもありませんしねぇ」
「大人の階段を登ってるわけね」
「ええ・・・・不安でたまらないので、エスコートして下さい」
「やだよ」
「ええん、冷たい!修泣いちゃう!!」
しかして、相方の顔を見れば始まる漫才に、麻衣と真砂子が笑うと、その場を凍りつかせる怒気を孕んだ静かな声が
全ての行為を制止した。
「安原さん、お願いした調査事項は終わりましたか?」
――― こいつには、一時の余暇もないんかい。
という周囲の視線をものともせず、現われた所長殿に、安原は満面の笑みをたたえて答えた。
「指示内容ほぼチェック済みです」
そして、ただでさえ不機嫌な所長殿に止めを刺した。
「が、まったくの無駄でした。所長」
「このマンションが建つ前の5年間、ここは駐車場でした」
安原は小さなメモ帳を取り出し、ちらりと眺めながら説明を始めた。
「もともとマンション建設予定地として、ここは場所が押さえられていたみたいなんですが、一部区間の地主が売り
渋っていて5年もここは駐車場のままだったみたいですね。その前はその地主の工場があったそうですが、これは
経営不振で平成に入る前に潰れています」
「わかった!その地主が未練たらたらで・・・」
滝川の指摘に安原は苦笑した。
「外れです」
「あら、やっぱり」
「地主は別事業で他県に引越ししています。売り渋っていたのは、ただ単に土地の値段をつり上げようとしていた
ようですね。まぁ景気低迷で思ったより成果は上がらないと見て、6年前にとうとう手放したようです」
「そして一年後にこのマンションが建設された、というわけですの?」
「そうです」
真砂子の質問に、これはまた別の笑顔で答え、安原は周辺地域、および異変を訴えた住民が通う近隣の学校の
聞き込みを行った箇所をチェックした地図を広げた。
「そしてこれがマンション中心とした地図なんですが」
人数分のお茶を入れた麻衣は、それぞれにカップを配りながら、安原がチェックした地図を覗き込んだ。
「安原さん、このピンクの円は何?」
「半径5キロの円です。この地区内で起きた事故、事件、を過去5年に渡って調べてみたんですが、まぁごく一般的な
結果しかありませんでしたね。最も多いのが交通事故で、次いで多いのが火事。このオレンジ色でチェックした場所
がその事件・事故の場所です。資料は全部コピーしてあります」
ナルはその束を受け取りながら、地図の中央のマンション位置にから視線を外さなかった。
「工場が建設された年代は?」
「1965年4月です。その土地を手放した地主が始めたようです」
「工場の種類は?」
「ガラス加工工場だったそうです。今はそれを応用して、他県でフィルム加工をしているようです」
「その前はこの土地はなんだったんでしょう?」
「畑だったそうです。先祖伝来の土地だったそうで、売り渋っていたのもその経緯があるかもしれませんね。ちなみに
その地主だった方、いまだ矍鑠としたご老人でしたので、色々聞いてきました。でも工場だった時も、畑だった時も
特に何もなかったそうです。水はけのいい土地だと、太鼓判押されてきました」
ナルがそこで口をつぐんだので、安原は合わせて聞き込みをした住民が通う学校、マンション近隣学校について説明
を続けた。
「学校なんて真正面から行っても碌なこと聞き出せませんからね。まずは近所の駄菓子屋、コンビニ、ゲーム屋、
サッカー場、野球場、それから塾なんかを回って、聞き込みをしたんですが、このマンションで起こっているような
特別な怪談、切羽詰った噂話というのは聞きませんでした。ごく数名、このマンションのことを知っている中学生
がいましたけれど、それも住民と親しい間柄だったようで、学内では噂話までにはなっていないようですね」
「すると・・・騒ぎを起こしているのは、やっぱりここのお子様達だけってことかい」
滝川のつっこみに、安原は頷いた。
「そのようですねぇ。聞き込みした中にかなりのネット中毒の高校生がいて、彼に近辺の学校をターゲットにした掲
示板とか、ブログを教えてもらってチェックしたんですが、特にこれといった記載は見られませんでしたね。その子も
そんな話題があったらとっくにチェックしているって息巻いてましたからね」
「そいつは、ここのこと知らなかったのか?」
「一番最初の飛び降り自殺未遂は知ってましたよ。でもアレも一時のネタで終わったみたいです」
「ふぅぅん」
「彼に言わせると、この近辺で一番大きな話題になったのは、異臭騒ぎだったみたいです」
「異臭騒ぎ?」
「交通事故で特殊ガスを積んだタンカーが破損。ガスが漏れて大騒ぎになったそうなんですが、これ3年前の事故な
んですよね」
「へぇ」
「でも、それは関係なさそうだな」
「ですよね」
苦笑する安原に、『徒労』という言葉の意味がわかって、ベースで顔を付き合わせた面々も苦笑を返した。
「あ、ちなみにさ」
「はい?」
「高田朝子さんの弟さん、ノイローゼになっちゃった子の病院ってもう行ったんですか?」
麻衣の問いに安原はぎこちなく頷いた。
「ええ・・・行くには行ったんですが、面会謝絶で直接会うことはできませんでした」
「あぁ、ダメだったんだ」
くしゃりと、不安げに顔をしかめる麻衣に、安原は静かに微笑んだ。
「まぁ、また行ってみます。タイミングが合えば面会できるって病院の方もおっしゃっていましたから」
その時、ふいに真砂子の携帯電話が鳴った。
真砂子はあわてて手提げ袋の中にしまった携帯電話を取り出し、その液晶ディスプレイに写った名前を確認すると、
僅かに顔をしかめて、パタパタと女性用仮眠室にあてた4畳半に姿を消した。
「なんだぁ?」
滝川の声に答えるように麻衣が声を上げた。
「多分、マネージャーのおばさんじゃないかなぁ。真砂子途中から抜けられない仕事が入るかもって言ってたから」
「へぇ、人気者は忙しいねぇ」
「元々入っていた予定だったみたいなんだけどね、まだ日があるからって、こっちの調査にも入ってもらったの。だから
途中リタイアもあるかもって、予め言ってたんだよね。ね、ナル?」
麻衣の問いかけに、ナルは無表情のまま答えなかった。否と答えない限り、それは了解と言う意味をなすことを知る
旧知のメンバーはそれで納得した。
「それでも真砂子ちゃんはこっちに来たわけね」
「原さん、何だかんだ言ってSPRの調査に来るのお好きですからね」
他人事のように言う安原に、滝川はにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「なんだぁ少年。せっかく合流したのに、また離れ離れで寂しくなったか?」
安原の側に椅子を引き、憮然とする安原を愉快そうに眺める。
「やっぱりねぇ、かぁわいい彼女の側がいいよねぇ。安原君」
「ぼーさん!」
麻衣が嫌そうに声を上げると、それを制止するように安原はいつものような穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
「そうですねぇ、僕もできたらずっと真砂子さんの側にいたいです。でもこの調子だったら、明日にでも彼女は他の
仕事現場に行ってしまうんでしょうね」
よよ・・と泣き真似をしつつ、さり気なく「原さん」から「真砂子さん」に言い換えているあたりが安原である。
滝川はそれに乗って、うんうんと頷いた。
「かわいそうだが、仕方がないよな。真砂子は売れっ子だ」
「分かってくれますか?滝川さん!」
「おう、分かるともよ」
「では」と言い置いて、安原はにっこりと満面の笑みで滝川を見上げた。
「幸いにも今回のベースは3LDK」
「ん?」
「僕と真砂子さんが一緒にいられるのは今晩だけなんです。せめて一晩、一緒の部屋で過ごさせてはいただけま
せんでしょうかね」
あんまりと言えばあんまりな提案に、滝川が肩を落とすと、安原はその笑顔のままテーブル向かいのナルに向かっ
て提案した。
「僕らは端っこの四畳半でいいですよvでも、そうなると谷山さんが一人になっちゃいますからねぇ。谷山さんは6畳
間で所長と休んで頂くのはどうでしょう?」
しかしその提案にすぐさま反応したのは滝川だった。
「こらこらこらこらこらこら!何勝手に話進めとるんじゃい!ありえん!そんなことできるわけないだろう!!!」
大声でがなり立てる滝川に、安原は満面の笑みでリビング脇の和室を指差した。
「大丈夫ですよノリオvノリオには和室がありますし、モニター番代わってもリンさんと一緒ですもん」
「そういう話じゃねぇだろう!!!!!ナル!お前も上司としてコイツを止めろっっっ」
「いい提案だと思いますが?」
「ナル!!ナルまで何言ってるのっ」
しれっとのたまうナルに、滝川の血管が切れた。
「こっっのエロガキ共っっ!一回締めちゃる!!!!!!!!!」
「ぼーさん、声でかい!近所迷惑だよぉ」
「うるせぇ!!!!」
大騒ぎする3人に、リンが人知れずため息をつくと同時に、電話を終えた真砂子がリビングに戻ってきた。
「どうされましたの?」
艶やかな笑顔を持つこの少女の登場に、滝川は一縷の望みをかけて荒唐無稽な現状を訴えた。
結論として、真砂子は翌日朝一番で調査現場を離れることが決定し、安原はその場で真砂子から派手な平手打ち
をくらい、その晩は予定通り、四畳半に麻衣と真砂子が、六畳間にナル、滝川、安原が就寝することになった。