王国の住人13   それでも

    

三上ゆりの自宅から出て、麻衣はそのままベースに向かおうとエレベータホールに向かった。

タイミングよく上昇してくるエレベーターを待っていると、その中には八城暁が一人立っていた。

「麻衣ちゃん」 

「あきちゃん」 

顔を合わせた二人は互いに驚いたが、八城暁が麻衣より一瞬早く我に返り、ゆったりとした微笑を浮かべ、エレベ

ーターの扉を開いたまま、麻衣を手招きした。

「これから12階の畑中さんの所に行くの。麻衣ちゃんも行ってみない?」 

「畑中さん?」

麻衣が首を傾げると、八城暁は僅かに顎を引いて微笑んだ。

「今、女の幽霊に取り憑かれている人だよ」

 

 

 

 

 

12階住人、大学2年生の畑中ふみえは、八城暁が連れてきた麻衣を見て、いささか驚いたようだったが、暁の説明

にすぐに気を許し、二人をリビングに上げた。

「畑中さんってね、今T大の2年生なんだよ。それでね。最近家庭教師してもらってるんだ」

畑中ふみえは三人分のお茶をトレイに乗せてリビングにやってくると、細く笑って説明をつけ足した。

「私が家庭教師登録している所に、ちょうどあきちゃんが通りかかって、マンションが一緒だってわかったのよね」

「へぇ」

「で、だったら会社通さないでそのまま家庭教師しようかって話になったのよね」

「うん、すごい偶然だったの。私にはラッキーでした。それまで畑中さんのこと知らなかったもの」

「そうだよねぇ、いくら同じ所に住んでても、普通は顔なんて合わせないし」

「あ、じゃぁ勉強の邪魔しているね。ごめんなさい」 

麻衣が謝ると、暁と畑中は互いに首を振り、次いで暁が畑中を促した。

「それよりも、ほら、畑中さん。麻衣ちゃんに聞きたいこととかないの?」

「え?」

「ほら、この間9階の人たちに相談したって言っていたじゃないですか。あれから何かありました?」

暁に促され、畑中は、ああ、と頼りない返事をしながら、麻衣の方を伺った。

麻衣は話の流れから、表情を引き締めた。

「畑中さん、女性の霊を見るんですよね?ご相談いただいた日から、何か変化がありましたか?」

麻衣はポケットの中のレコーダーが動いたままだったことを確認して、言いよどむ畑中に向き合った。

「何でもいいんです。お話できたらして下さい」

真摯な態度に、畑中はしばし躊躇したが、それでもはっきりと不満を口にした。

「この間は幽霊は憑いていない、部屋にもいないって言われたんですけど、でも、やっぱり夜になると幽霊が出るん

です。今はまだ夜だけだからいいけど・・・昼間出たらと思うと、怖くて仕方がないんです」

「先日護符をお渡ししたと思いますが・・・」

「ああ、あのお札ですね。それは持ってますけど」

「それでも出ますか?」

「・・・・はい」

機材の数値は何の異変も察知していないのに・・・と、麻衣は顔を曇らせ、畑中の部屋を改めて見遣った。

 

 

 

 

「 遅い 」

ベースに戻った麻衣に駆けられた第一声は所長様からの冷淡な一言だった。

「一体何をやっていた?」

険しい表情に、麻衣は僅かに肩を震わせたが、すぐにポケットからポータブル・レコーダーを取り出し、ナルに手渡し

ながら反論した。

「ちゃんと聞き取り調査してたんだよ!10階で食器飛ばした三上ゆりさんと、12階で今、女の幽霊が出る部屋に

住んでいる畑中ふみえさん。今日はしっかり録音してきたし、話の内容も覚えてるもん」

「インカムを持参するか、事前に連絡をしてから行け」

「はぁい」

ナルの背後に回って麻衣が舌を出すと、すかさずナルは振り返り、その顔をちらりと一瞥すると、ため息をつくでも

なく声を発した。

「麻衣、お茶」

あまりのタイミングの悪さに、麻衣は居た堪れない思いをしながら、音を立てて舌を引っ込め、キッチンに向かった。

麻衣が茶葉からお茶を入れていると、ちょうど仮眠室からリンが顔を出した。 

その姿に、麻衣は僅かに動揺したが、あわてて動揺を振り払い、いつものように声をかけた。

「リンさん、リンさんもお茶いりますか?」

「・・・ああ、では、お願いします」

無表情な顔から発せられる常と変わらない低い声に、麻衣はやはり夢は夢だと思い直し、丁寧に3人分のお茶を

いれ、ナルとリン、それから自分の前にお茶をおいた。

「リンの仮眠中、麻衣がさぼっている最中に」

「さぼってない!!!!」

「・・・・麻衣が無断で勝手な調査を行っている最中」

不機嫌な上司はさほど面白くもなさそうに訂正すると、説明を続けた。

「安原さんが、現在入院中の高田朝子さんの弟と面談できたと報告があった」

「!」

「安原さんの話では、今現在の彼は神経衰弱状態でまともに口を利ける状態ではなかったらしい。ただ何とか聞き

出せた事としては、彼はしばらく前から母親を殺してしまうという強迫観念に襲われていたようだな」

「母親を殺す?」

鸚鵡返しに声を出した麻衣に、ナルは僅かに視線を投げ、頷いた。

「何のために?」

「さぁ?それは誰にもわからないだろう。本人の心の問題だ。彼はそんな強迫観念に襲われながらも、何とか事態を

回避しようと思っていたらしいがな。しかし、現実として彼は母親を果物ナイフで刺したということだろう。きっかけは

わからないが、まぁごく一般的な心身症の一種だろう。これから専門家が時間をかけて治療にあたっていくしかない

だろう」

ナルはそれだけ言うと、今度は麻衣の話を求め、麻衣は三上ゆりと畑中ふみえの話をかいつまんで説明すると、つ

まらなさそうに書類をテーブルに投げ出した。

「で?」

「うん?これで全部だよ」

「他に、麻衣が気がついたことはないのか?」

促されて、麻衣は首を傾げた。

「三上さんの所も畑中さんの所も別段嫌な感じはしなかったと、思う。ぼーさんと行った17階の伊藤さんの家も同じ」

「今回、夢はみたか?」

ナルの指摘に、麻衣はわずかに顔をひきつらせたが、直に首を横に振った。

「ジーンは出てこないよ」

「アレが出てこなくても夢は見るだろう」

「見てない・・・・です」

ナルは闇色の瞳の色を濃くして、しばらく麻衣の顔を眺めたが、口を曲げてそれ以上口を開こうとしない麻衣に、ため

息とともに視線を外し、かけていた椅子に背中を預けた。

「今回は心霊現象ではないかもしれないな」

「へ?」

「集団虚言とした方がよほど説明がつく」

ナルの言葉に、麻衣は明らかに不機嫌になって顔をしかめた。

「こんなに証言が出ているのに?」

「証言など、何の役にも立たない」

「でも!」

「計器は無反応。霊媒の2名にも異変はなく、場から霊を払うのだけは確かな霊能者でも役に立たない。そうなると、

少なくともここの現象は僕が「超自然現象」として研究対象にしている「心霊現象」ではないとういことになる」

「じゃ、じゃぁこれは何だっていうのよ?」

「さぁ?心身症については僕の専門外だからな」

「これが皆、それぞれの幻覚だって言うの?これだけたくさんの人が共通して同じものを見ているのに?」

「同じものを見ているのは、厳密に言えば一つだ。女の霊にしたところで、同一人物とは分かっていない」

ナルの指摘に、麻衣はその時初めて思い当たり、言葉をなくした。

「念の為に後2日は環境の調査を継続する。ただし、それで状況の変化がないようであれば撤収だ」

「・・・」

「リン」

「・・・はい」

「調査と平行して、今、安原さんにはここの住人が受診できる精神科医をあたってもらっている。連絡がきしだい

そのフォローにあたれ」

「わかりました」

「ナル!リンさん!」

麻衣が不満そうに声を荒げると、ナルはそれを冷たい視線だけで制した。

「麻衣、うるさい」

「でも!おかしいじゃん、ココ。何か不自然だもん!!」

「その原因がどうしても心霊現象であってほしい謂れはないだろう」

「でも!畑中さんは今幽霊に怯えているんだよ?!木下君達だって・・・」

「見えない、測定できない、感知できないものに対して、僕らができることはない」

涼やかな声は、冷気をまとって空を切った。

「専門家にカウンセリングを薦めたほうがいい」

それでも納得できない表情の麻衣に、ナルは口の端だけ吊り上げて、声をかけた。

  

 

「それでも何かあると主張したいなら、夢でしっかり情報収集して、報告してくれ」

 

 

怒声が返ってくると予想しての言葉だったのだが、そのナルの予想に反して、麻衣は表情をこわばらせ、視線は

あらぬ方向を向いていた。

「麻衣?」

しかし次の瞬間麻衣は我に返り、子どものようにイーと口を横に広げ、気温を記録するボードを持つと、バタバタと

足音を立ててベースを後にした。

「・・・・・少し、変ですね」

見送る小さな背中に向けて、リンは呟きともとれる小さな声を発した。

 

 

 

 

その晩。

 

  

 

 

火の玉、犬の霊、老人男性の霊の目撃情報はなかった。

ただ一人、12階住人の畑中ふみえからは、女の幽霊が出たと訴えが上がったが、計器はやはり何の異常も記録

しなかった。

遅々として進まない状況に、SPR調査員はそれぞれに安原が口にした 『 徒労 』 感に苛まれながら、就寝した。

 

 

そして、麻衣は夢をみた。