王国の住人17   全損させる気か?

    

 

その単語の組み合わせはあまりに悪趣味で、その衝撃に誰もが言葉をなくした。

 

 

その間にもベースの機材は次々に悲鳴を上げていた。

ブラックアウトするモニター。

警報を発するサーモグラフィー。

ノイズを察知する高感度マイク。

しかしリンすらそれに構わず、リビング中央のナルを見つめた。

 

 

 

「犯人にどういった意図があって、麻衣にそんな暗示をかけたのかは知らないが、そのあまりに突拍子もない夢

のために、あの馬鹿は無駄な罪悪感を感じて、報告の義務を怠った」

「それって…」

「まさか」

それぞれに思いあたることがあるメンバーは無意識のうちに麻衣が眠る四畳半の部屋をうかがった。

しかしナルはその視線も厭わしいのか、トンと軽く床を蹴り、すぐに視線を自分に集中させた。

「実際のレイプ被害についても、顔見知りの犯行が7割を占めている。お陰で被害届けの提出を躊躇う被害者が

多いのが現実だ。自分も悪かったのかもしれないという意識や、今後の生活を考えるためだ。それが現実のも

のではなく、夢ならなおのことだろう。麻衣は実際に僕にみた夢の報告ができなかった。最初の異変に気がつ

いた原さんにも夢の内容が言えなかった。周囲に感ずかれずに、麻衣を孤独に追い込むには最も有効な手だな」

「嘘・・・だろ」 

思わずもれた滝川の呟きに、ナルは瞼を閉じた。

「生憎だが現実だ。お陰で原因究明が遅れた。心霊現象でもないのに、大変な時間の浪費だ」

ナルの言い草にメンバーは反射的に不快感を持った表情を浮かべたが、ナルは構わず言葉を続けた。

「そして、例え夢でも麻衣が受けたダメージは大きい。――――松崎さん」

唐突に名を呼ばれ、綾子は険しい顔をしたままナルを睨んだ。

「そこで、特に除霊の必要性はありませんが、あなたをお呼びしました」

「・・・」

「レイプ被害者はおおよそにして、圧倒的な外力によって無力化、孤立無援化され、感情のコントロール能力を

失い、PTSDの障害が発生します。麻衣の場合は直接な被害ではないが、暗示と記憶のフラッシュバックで、

故意に追体験させられているから一層たちが悪い。暗示は自覚できた時点で無効化しましたが、ここ数日の

記憶が消えたわけではない。お陰で「意識の狭窄」が進んでいる。詳しい説明は省略しますが、この場合、女

性被害者の大半はまず母親に代表される母性にその庇護を求め、心の安定を図ろうと・・・」

ナルがそれ以上を言う前に、綾子は噛み付きそうな形相でやおら立ち上がった。

 

「ぐだぐだ煩い。私は麻衣の所へ行く!離れない!男共は近寄るな!!」

 

綾子の大声に、ナルは閉じていた瞼を開き、闇を飲み込んだような漆黒の瞳で綾子を見上げた。

「結構」

ナルはそれだけ言うと、ゆらりと音もなく立ち上がり、リビングに続くドアに向かった。

「ナル・・・!どちらに・・・」

とっさに、リンがその肩を掴もうと手を伸ばした。

しかし、ナルはその手を音を立てて振り払い、反射的に切れそうなほど鋭い、殺意の篭った瞳で、リンを射抜いた。

 

 

 

その表情に、誰ともなく息を飲んだ。

 

 

 

 

リビング全体の空気が帯電してスパースする音が鳴った。

ビリビリと振動する空気に、ナルは眉をしかめ、次の瞬間リンから目を逸らした。

 

 

 

 

 

「機材を全損させる気か?この静電気を僕は押さえることができない。・・・・・・・外に出ている」

 

 

 

 

 

 

止まない静電気を纏った御仁がリビングを出ると、その場に残った面々は一様に息をついた。

 

「だぁぁぁぁぁ、息苦しかったぁぁぁぁぁ!!」

 

まずは滝川が大声を上げ、割れたガラスを崩さないように慎重に窓を開け、湿気った空気をリビングに入れた。

その間に安原は硬直したまま動かないリンの元に歩み寄り、目の前で掌を振った。

「リンさ〜ん、リンさ〜ん?」

「おう、どうした?」

「ダメです。リンさん固まってます」

「そりゃ、あんなナルを目の前にしちゃぁねぇ・・・腰も抜けるわよ」

勢いよく立ち上がったままだった綾子も、そこでぺたりと床に座り込んだ。

「麻衣が・・・」

「ああ、何か俺聞きたくないわ、その単語」

「私だって言いたかないし、聞きたくもないわよ!」

滝川と綾子の言い合いに、安原は顔をしかめた。

「誰もそんなこと許したくないでしょうが、所長が一番怒ってらっしゃるんじゃないでしょうか?」

そして安原の指摘に、滝川と綾子は顔を見合わせることもなく頷いた。

「そりゃそうよ、暗示でそんな体験?悪趣味にもほどがあるわ!夢だったらいいってわけじゃない。そんなの女の子

にとって一番許せないことよ!、ああ、もうムカっ腹立って仕方ない!」

ギリギリと指を噛む綾子を見遣り、安原は苦々しく頷いた。

「しかも相手がリンさんってあたりが最悪ですよね」

「ナルちゃんからしたら、第一の部下だもんなぁ。腹に据えかねるだろうよ。暗示って分かってても、リンに対して

敵意剥き出しになるのも、男としちゃ理解できるしな」

「麻衣でリン。ナルにしたらダブルパンチの攻撃ってことよね」

綾子の言葉に、安原がすかさず訂正を入れた。

「トリプルパンチですよ」

「何?」

「状況から言って、相手は催眠状態から暗示をかけたんですよ」

「ああ」

「所長の十八番じゃないですか」

「「あ!」」

安原の指摘に、滝川と綾子は揃って声を上げた。

「言わば専門家の前で、喧嘩を売ったことになりますよね。その犯人。しかも、これは明らかに悪用じゃないですか。

研究者としては腹に据えかねる事態ですよね」

3人が話している脇で、それまで硬直していたリンが突然口を開いた。

 

 

「………………それだけではありません」

 

 

「何がそれだけじゃないんだ、リン?」

思わず声に出してしまったリンは、口を滑らせたと苦いものを噛んだような表情をした。

しかし、口さがなく強引なメンバーに落としてしまった言葉を回収することはできそうにもない。

リンは苦しそうに俯きながら付け加えた。

古く、鮮明で、痛々しい記憶だ。

  

「ナルは・・・谷山さんと同じ状況になったことがありますから」

 

「え?」

「ナルの場合追体験ですが、それがしばらくトラウマになっていました」

リンの言葉足らずの説明に、対面した3人はそれでもリンが言わんとした意味を悟り、顔色をなくした。

「サイコメトリ・・・・ってか」

「で・・・・・・同じような体験?」

否定されない事実に、3人は溜まらずため息を吐いた。

「ナルのこの暴力行為に対する嫌悪感は、常人の比ではありません」

「で、しょうね・・・」

「ただでさえ、自分の女がそんな目にあってたら、男だったら許せるもんじゃねぇだろ」

「殺しますね」

さらりと告げた安原の言葉に、滝川とリンは声に出さずとも頷いた。

自分達でそうなのだ。

あの、独占欲の塊のような男にしては予測すらする必要がない。

すとんと、落ちた沈黙に、一同は項垂れた。

つまり、相手はナルの踏んではならない領域を4度にわたって踏み荒らしたことになる。 

その事実はあまりに重い。

「それにしても、一体誰がこんなことを・・・」

滝川が殺意を込めた言葉を唸った瞬間、リンと滝川は同時にそれに思い当たった。

  

  

ナルはどうしてこれが ゛暗示" だとわかった?

   

 

「安原さん、ベースをお願いします!」

「綾子!麻衣の側離れんじゃねぇぞ!!」 

  

 

リンと滝川はそれぞれに叫ぶと、同時にベースを飛び出した。