マンションのエントランスホールから公道に出ると、その向かいには比較的大きな公共公園が広がっていた。
敷地面積のわりに遊具はすくなく、中央に緑の丘、それをぐるりと取り囲むように背の高い木々が枝を広げ、その
木陰にはごく一般的な飾り気のないベンチが並んでいる。
ナルはそのベンチの一つに、偶然にも目当ての人物の姿を見つけ、迷うことなくその場に近づいた。
公園の入り口から、そのベンチまでは少し距離がある。
その間にベンチに腰を降ろし、熱心に本を読んでいたその人物は近づく人影に気が付き、ゆっくりと顔を上げた。
「 こんにちは 」
元気よくかけられた挨拶に、ナルは無表情で応じ、その人物の前で足を止めた。
「調査は進んでるんですか?」
邪気のない問いかけに、ナルは平坦な声で応じた
「ようやく原因がはっきりしたところです」
「へぇ!良かった。いつ、お祓いするんですか?できたら見てみたいんですけど」
「・・・・・・残念ながら」
「あ、やっぱり素人がいるのは邪魔ですか?」
「いえ、『 お祓い
』は必要ありませんので、見学はできません」
ナルの返答に、正面に座る人物は首を傾げ、開いていた本をぱたりと閉じた。
「お祓いしない?どうして?」
「これは心霊現象ではありません。だから、そんなことは必要ないんです」
ナルの物言いに、対面する人物はこんどこそ怪訝な顔をしてナルを見上げた。
「・・・・・幽霊はいないってこと、ですか?」
「ええ」
ナルはそれだけ言うと、ゆっくりと腕を組んだ。
「ここで起きたことは全て、下らない 『 暗示ゲーム
』 だからですよ」
ナルの言葉に合わせるように、二人の間を湿気を含んだ一陣の風が吹きぬけた。
雨の気配を感じるそれに、対面した人物は煩わしそうに顔をしかめつつ、ナルから目を離さず尋ね返した。
「暗示・・・ですか?」
「ええ、うちの調査員もそのゲームに巻き込まれたんですが、そのお陰で今回のカラクリが解けました」
「・・・・」
「犯行がはっきりすれば、対処方法もあります。我々は専門機関に任せて撤収しようと思います」
「専門機関って・・・・暗示に専門家がいるんですか?」
「心療医療科の医師とカウンセラー、後は警察の仕事です」
揶揄するような微笑にナルは無表情で応じ、ぽつりと呟いた。
「「 ナル! 」」
ナルの声に被さるように、ナルの背後から二人分の足音が追いかけてきた。
合わせてかけられた呼び名にナルは僅かに視線を投げ、その足音が部下と協力者の男性であることを確認する
と、すぐに興味を失ったように顔を背け、正面に相対する人物と話を続けた。
「犯人は『 暗示
』というおもちゃを手に入れた」
更に声をかけようとした背後の二人は、ナルの言葉に息を飲み、伸ばそうとした腕をひっこめた。
「使ってみたらうまくいった。そこで犯人はそのおもちゃがどこまで有効か試そうと思った。そんな視点でものを
考えると、ここでの事件はみんな簡単に繋がるんですよ」
ナルはそこで一旦言葉を区切った。
「まず初めに、『 犯人
』は中学生にターゲットを絞り、その暗示効果をためした。しかし、暗示というものはそもそも
かけられた人間の意に反することはできない。催眠状態で最も強いのは、あくまで催眠を受けた人間だからだ。そ
こで犯人は『 夢
』というフィルターを通すことによって、より幻覚が見やすい状況を作った。
ここで幻覚の内容を『 幽霊
』という、曖昧で、夜みるものだという固定観念のあるイメージに絞ったのも暗示の成功
率を高めたのだろう」
あえて、『 犯人
』と名指すことで、ナルはその場の緊張感を煽り、言葉を続けた。
「夢の暗示に成功した『 犯人
』はそれから日中に見る幻覚に着手し、それも無事目的を達成させた。それからは
比較的暗示にかかりやすい年代を慎重に選択しながら、次々とターゲットを代え、小学生から大学生までの、あら
ゆる年齢の子どもにも暗示が有効であることを試した。失敗した事例も考えれば、その数は相当数になるだろうな。
それから、『 犯人
』は中でも反応が出た人物に対して、実験を続けている。
それが食器が飛んできたと訴える三上ゆり、足音が聞こえると訴えた伊藤明仁だろう。
彼らへの実験結果によって、『 犯人
』は自分の暗示が 『 繰り返し、継続して有効
』 だという結論を手に入れた。
そして、木下始らを使って、『 複数人数にも有効
』ということを実践し証明した」
ナルの指摘に、正面の人物は肩をすくめた。
「暗示ってそういうこともできるの?」
「センスと手法によっては可能」
「それなら面白いですね。そんなことができるなら、つい試したくもなるんじゃないかな」
「ええ、正しく 『彼』 はそう思ったんでしょうね」
「・・・・・・・彼?」
含みのある疑問に、ナルはゆっくりと答えた。
「これらの経緯を見れば、犯人は極めて幼稚な男性ということくらい分かる」
「どうしてでしょう?」
「暗示実験が極めて支配的で、犯人は明らかに侵略行為に喜びを見出している。こちらの調査員にかけた暗示
に至っては、力の誇示を存分に見せつけいる。これは極めて男性的な行為だ。しかも、それ以外の暗示効果に
ついても派手なレスポンスがありそうなものを好んで選択している。手にしたおもちゃを見せびらかしたくて堪ら
ないといったところだろう。だから、 『 暗示ゲーム 』 と言ったんですよ」
ナルの比喩に正面の人物は笑った。
「ゲーム?」
「急に自分の技量に自信をつけた傲慢な人間が考えそうな、ごくありふれた思考の推移だ」
「へぇ」
「これらのことから、犯人は、極めて幼稚な 『 十代男性 』 ということが分かる」
ナルの指摘に、リンと滝川はナルが話しかけている相手を怪訝そうに見やった。
対して、話し掛けられた人物はいささか不服そうに反論した。
「それが幼稚ということは置くにしても、だからって十代って限定することはあんまりにも乱暴じゃない?」
しかし、ナルはその指摘をあっさりと片付けた。
「十代です」
犯人の行動はそうとしか取れないと言い切るナルに、視線の先の人物は不思議そうに首を傾げた。
「どうして?」
「最初の被験者が中学生に限定されていることがそれを示唆している」
極めて冷ややかな声は朗々と続いた。
「暗示実験の被験者にティーンエイジャー、もしくはそれ以下の子どもを選択したのは、懐疑的な大人よりも比較
的暗示にかかりやすいと踏んでのことだっただろう。けれど、その論理で言うならば、何故犯人は最初の実験の
時点で、最も警戒心が薄い小学生を狙わず、あえて中学生を選んだのか、という疑問が残る」
ナルはそこまで言うと、ゆっくりと瞼を開き、正面に座る人物を眺めた。
「答えは簡単だ。犯人にとって、見知らぬ小学生より、中学生の方が疑われずに声をかけやすかったからだ。
なぜか・・・それは、自分自身が同世代だからと考える合点がいく。小学生よりも中学生を選んだ理由は、自信の
なさということだ。だから、実験が成功すると、犯人はターゲットを小学生、高校生に広げている」
「ちょっと乱暴すぎません?」
「けれど当たっている」
自信たっぷりのナルの声に、正面の人物はあきれたように眉根を下げた。
「証拠でも?」
「会話の録音がある」
ナルの指摘に正面の人物は息を飲んだが、すぐに肩をすくめ、飲み込んだ空気を吐き出した。
「何だ、後付けか」
「暗示とさえ分かってしまえば、ここまでの犯人の推理は簡単。証拠は警察に突き出す時のツール」
ナルの返答に、対面する男はにやりと下卑た笑みを浮かべた。
「後学のためにご享受いただきたいです。何故?」
いやらしい笑みに、ナルは表情を曇らせることなく、ため息をついた。
「二回目以降の催眠導入ならまだしも、初回の催眠導入にはある程度の時間と適した場所が必要になる。特に
このような初心者の施行者では必要不可欠だ」
「さすがに、手を叩いてはいってわけにはいかないですからね」
「マンションの規模から言って、住人同士にさほど面識があるとは思えなかった」
「まぁねぇ」
「けれど、被験者の中には女子小学生、女子高生が含まれていた」
「・・・・」
「いくら相手が十代でも、面識のない男子中学生、もしくは高校生に彼女らが簡単についていくとは想像しがたい」
「そうかなぁ・・・あんたみたいなイケメンだったら付いて来るんじゃない?」
「そうかもしれないな」
「ふふん」
「けれど、僕よりもあなたの方が警戒心を持たれず、被験者に近づけたはずだ」
「・・・」
「男子高校生では警戒されても、優しげな外見の女子高生を警戒する子どもはいない」
「 八城暁 君 」
「自分の外見を、あなたはうまく利用した」
ナルの無表情の前で、八城暁は長い髪を指に絡ませ、ゆっくりと微笑んだ。