王国の住人19   王国の住人

    

乱れたシーツの中で、まるで怯えるように体を丸くして眠る麻衣を見つけ、綾子ははらわたが煮えくりかえる思いで、

どかどかと部屋に入った。

安原からことの詳細を聞き、ナルが嫌がる麻衣から無理やり夢の内容を聞き出したのは知っていたので、部屋が

荒れているだろうことは予測がついていたが、それにしてもその環境は、麻衣が暗示で強制的にみさせられた夢を

彷彿とさせ、何とも忌々しかった。

こんな時に限って自分は側にいなかった。

真砂子も途中でいなくなって、麻衣は男しかいないこの現場で女性には耐えがたい夢を見ていたのだ。

誰にも言えなくて、どれだけ恐ろしかったことだろう。どれだけ心細かっただろう。

ナルにとってその夢が耐えられないものである以上に、その夢はどれだけ麻衣を傷つけたのか計り知れない。

しかも相手はよりにもよってリンだ。

いくら見慣れたとは言えリンは力もあって体も大きく、無言でつめよる様は普通に怖い。

しかもリンは麻衣にとっても保護者的役割をになっているのだ。信頼していた相手の裏切り行為は麻衣のように

簡単に相手に同情する性格の人間には絶えられない痛みだったことだろう。

綾子は乱暴な手つきで部屋を片付け、その物音で麻衣が目を覚ますと、溜まらず麻衣を抱きしめた。

「・・・・あ、や・・・こ?」

無条件で涙が出た。綾子はそのことにぎりぎりと歯軋りしながら麻衣を抱きしめた。

「・・・え?どうしたの?何で、綾子が?これ夢?」

寝起きで混乱する麻衣に構わず、綾子はひとしきり泣き、すぐに麻衣の頭をこずいた。

「夢なんかじゃないわよ」

「え??」

「ナルに呼び出されて、遠路はるばるこの綾子様が来てやったのよ!」

ありがたく思いなさいと、目に涙を浮かべながら言い切る綾子に、麻衣はようやく状況を理解して、くしゃりと顔を

歪ませた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 

 

 

 

「お・・・とこ?コイツが?」

 

 

思わずもれた滝川の呟きに、八城暁はゆったりと笑い返した。

「よく間違われるんですよ?面白いからそのままにしてあるけど・・・私に催眠術を教えてくれた、近所に住んで

た元大学教授だか何だかも死ぬまでずっと私のこと女の子だと思い込んでたくらいですからね」

八城暁は悪びれもせずに手の内を明かした。

「随分耄碌したじいさんだったけど、多分ロリコンだったんじゃないかな?私が行くとすごく熱心に色々と教えてく

れたよ。プライド高くて口説けないもんだから、口説く代わりに自分が研究していた催眠療法について、実践編も

ふくめて本当にご丁寧にご享受下さったんだよね」

八城暁はそれから薄手のシャツの胸元をくつろげ、中から長いチェーンをひっぱりだし、球形のネックレスヘッドを

取り出した。

「それで、これがどこからかの由緒正しいパワーストーンだって、そのじいさん遺品としてくれたんだよね。本当に

迷惑な話。遺産なんてなさそうな暮らしだったけどさ、よりによってこんな石なんて悪い冗談でしょう。すぐに売ろう

と思ったんだけど、宝石としては価値なしの石だったみたいで、本当に手間賃にもならなかった。だから、売るのも

面倒だなって手元に置いておいたんだ。それで司が遊びに来た時に、冗談で使ってみたんだよね」

「司・・・」

「最初の飛び降り自殺未遂の中学生ですね」

「同級生だったんだ」

リンの指摘に八城暁はうっそりと笑い、無言で佇むナルに視線を向けた。

「所長・・・だよね?あなたの推理はおおよそが正しいけど、少し足りない。確かに同世代のが疑われずにすむって

理由で、私は最初の暗示を中学生ばかりにかけたけど、最初の司に至ってはもっと簡単だったんだよ。司はずっと

私のことが好きだったからね。催眠状態へ導く、ラポールの形成が最も容易だった。だから最初にかけてみたんだ。

司は面白いようによく暗示にかかってくれたよ。だけど、それが司の恋愛感情によるものなのか、私の実力なのか、

はたまたこの石のお陰なのかは分からなかった。だからすぐ私は別の人にも試してみたんだ」

「無論、お前の実力ではないだろう」

ぽつりと呟いたナルの声に、八城暁は愉快そうに首を傾げた。

「どうしてでしょうか?」

「・・・・倒置法、混乱法、ダブルバインド、催眠導入に入る話法があまりに拙い」

「・・・」

「その程度の口車だけで、事前に人間関係を築いていない他人を催眠状態までもっていくことは不可能だ」

「そうかなぁ」

「そうだ」

断言され、八城暁はつまらなそうに顔を背けた。

「まぁね・・・確かに石に頼った方が話は早かった」

「おめぇは、それでそいつを飛び降り自殺にまで追い詰めたのか?」

険しい表情で問い詰める滝川を、八城暁はちらりと眺め、肩をすくめた。

「そんなことできるわけないじゃない」

「あ?」

「催眠は魔法じゃないんだよ?司のアレは自滅。ふふ、言ってみれば恋煩いかな?自分でも認められない同性へ

の恋愛感情を持て余しての自殺未遂だよ。脈ありって一旦は思っちゃったんじゃない?そんなわけないのにね。こ

っちは催眠を試したかっただけだっての」

「・・・」

「バカだよねぇ」

次第に重くなる雰囲気を楽しむように、八城暁はベンチの上に足をあげ、膝を抱えた。

「中々面白かったよ。催眠、暗示、集団パニック。ちょっと頭を使えば人間って本当に論理通りに動いてくれる」

滝川は重い足取りでにじり寄りながら、八城暁を見下ろし、詰問を続けた。

「そうして、お前さんは自分の都合のいいように遊んでたってわけかい」

「そうだねぇ」

「自分の手足になる兵隊でも作っているつもりだったか?」

「まっさかぁ。私一人暮らしていくのに、手下なんかいらないよ」 

「じゃ、自分の国?遊び場所?箱庭でも作ってたってわけか?」

「そうねぇ・・・・・その感覚が一番近いかも。街づくりゲーム・・・・はっ!本当だ。ゲームみたいだったね」

「ゲーム!」

滝川が吐き捨てると、八城暁は頬に手をあて、不思議そうに小首を傾げた。

その無自覚な表情に、滝川が切れた。

「一体、何のために?自分の能力を見せびらかしたかっただけだっつうのかよ!!!」

怒鳴り声に、八城暁は首を傾げた姿勢のまま呟いた。

 

 

 

 

 

「退屈だったんだ」

 

 

 

  

 

「・・・っっ?!」 

「何か気晴らしができれば良かったんだよ?私は特に暗示に傾倒して、ロマンを見出すようなタイプじゃない。

それで周囲を牛耳ろうなんて考えるパラノイアでもない」

「・・・」

「大それた野望なんて持っていなかったから、ここまで事態はうまく運んだんだろうね。欲のない人間ほどうまくいく

ってことは事実かもしれない。気がついたら、このマンション内は正体不明の曖昧な不安で満ちるようになっていた。

これって暗示をかけたり、誘導するのに本当にいい環境なんだ。幽霊騒ぎってのはその場の思いつきだったけど、

掘り出し物だったってことだ。幽霊なんて誰にもコレだってわかるものじゃないでしょう。その曖昧さ、不確定さ、それ

に恐怖心と好奇心。きれいにハマったんだよね」

そこで、八城暁はふと上空を仰いだ。

低く垂れ込めていた曇天は、今や暗く周囲を覆い、耐え切れないようにパラパラと小雨を散らし始めていた。

園内にいた他の人間や公道を歩いていた人間は、その雨に追い立てられるように早足でどこかしらの軒先目指し

駆け出したが、その場の4人だけは取り残されたように動かなかった。

「ちょっと出来すぎた」

「・・・」

「ちょっとねぇ・・・このマンションでのゲームも進行し過ぎちゃった所だったんだ。おじさん達ってゲームする?するわ

けないか。あのね街作りゲームってあるんだよ。初めに自分の資本金でビルとか駅とか作って、その収益で次々に

資産を増やして街を作っていくの。でもさぁ、ゲームが進むと勝手にいろいろイベントが始まっちゃって、段々嫌にな

ることあるんだよね。制御できない場所が多くなってきて・・・だから、本当言えばここのゲームもそろそろ終わりで

良かったんだ。段々面倒になってきてたからね。でも、自分でリセットボタン押すのと、他人に押されるのでは意味

が違うでしょう?」

八城暁はそこで笑いながら俯いた。

「麻衣ちゃん・・・幽霊なんていないって言うんだもの」

「・・・」 

「迷惑だったんだよねぇ、あなた達。せっかく不確定な要素で築いてきたもの、土足で踏み荒らすんだもん。

でも、そんな中で麻衣ちゃんはちょうどよかったんだよ。人懐っこくて、色々情報教えてくれるしさ、自分でトランス状

態に入りやすいって教えてくれるんだもん。暗示で動かすにも、被暗示性が高いのに越したことはないからね。情報

を得ながら、内部からの操作、少なくとも分裂は促せる」

八城暁はくすくすと笑い続け、突如、がばりと顔を上げ、ナルを凝視した。

「一回やってみたかったんだよね。レイプネタ」

微動だにしないナルの背後で、滝川とリンが体を強張らせた。

「直接はやっぱりリスクが高過ぎるから、夢を媒体にして、できるだけリアルにしたかったんだよねぇ」

「なんだとっ」

思わず掴みかかろうと踏み出した滝川の肩を、リンはとっさに掴み、何とかその場に滝川を押し止めた。

「幼すぎるかなぁって思ったけど、ハタチで彼氏持ち。しかも彼氏見るからにねちっこそうだから、もちろんHの経験も

色々とあるだろうから、自分で想像するにしてもリアルにできると思ったんだよね。しかもおあつらえ向きに彼氏は

高圧的で支配的、独善的。周囲の人間には関係がバレてて、その人間を麻衣ちゃんは全面的に信頼しているん

だもん。ああいう同調しやすいタイプには、顔見知りの裏切りが一番効くんだよね」

「こっっのっっ!」

「滝川さん!」

「リン!離せ!!こいつはっっ」

「滝川さんが手を出して、彼に下手な言い逃れを作ってやることはありません!」

「だが!」

「証拠があります!彼は法によって裁かれます!」

ギリギリとにらみ合い、互いに譲らない二人の様子を眺め、八城暁は唇を尖らせた。

「何か・・・冷静でつまらないなぁ。リンさん」

「・・・・・」

「あなたの存在も大変適したものでした」

無言で苛烈な視線を向けるリンにも、八城暁は怯えることなく笑い声を上げた。

「頼りがいのある大人ってイメージですかね。でもそれってつまりどうやっても力じゃ敵わないと思わせることでも

ありますからね。信頼が厚い分、レイプ犯としては格好の人材だったんだ。ふふふ、夢の内容までリンさんは知っ

てる?」

「・・・・・・・・・・・・・・・黙りなさい」

地の底から発したような低い声に、八城暁はようやく満足したように微笑み、次いで終始無言だったナルに視線

を投げかけた。

「ナルもさぁ・・・もうちょっと反応があってもいいんじゃない?一応彼氏なんでしょう?」

「・・・」

「プライド高そうだもんねぇ、自分の彼女がそんな目にあったなんて認められないって感じなの?まぁたった二日で

バレちゃったからねぇ、被害はあまりないだろうけどさ。これが二週間も続くと、現実と夢の区別がつかなくなって

もっと面白いことになるはずだったからね。これも実験済みなんだ。そいつは自分の母親を刺したよ」

あくまで無反応のナルに、八城暁は眉根を下げた。

「ここまで無反応だと、麻衣ちゃんが逆に可哀想だよ」

その表情は実に悲しそうな色を含み、八城暁は同情心を煽るか細い声を上げた。

「麻衣ちゃんの抵抗はすごかったんだよ?信頼している仲間に暴行されるってこと自体が辛かったみたいだけど、

そう、一番抵抗が激しかったのはナルの名前を出した時だったね。『そんなに騒ぐとナルに聞こえるよ』って注意

したんだ。そしたらもうすごい抵抗するの。健気だよねぇ、かわいそうな麻衣ちゃん。それなのに夢で何回もやられ

ちゃってんだから。あやうくトランス状態が崩壊するところだった。力でねじ伏せたけど」

弱弱しい声の奥に嘲笑を含んだ薄暗い意思が顔を出す。

そこで、ナルは小さく嘲笑した。

 

 

 

 

「力で?お前が?」

 

 

  

 

嘲るナルの表情に八城暁は鼻白んだ顔をした。

その瞬間に、ナルは八城暁の手元から球形のネックレスヘッドを掴み取り、深い夜闇色の瞳で凝視し、僅かに

表情を険しく歪めた。

「お前に力技ができるような力量はない」

「・・・」

「確かにコレは特殊な石のようだな」

そして、次の瞬間。

球形のネックレスヘッドは派手な音とともに砕け散った。

驚きのあまり硬直する八城暁のすぐ側で、ナルは粉になるまで粉砕したネックレスヘッドの残骸を無造作に濡れ

た地面に払った。

「この石は故人の意思を尊重して、本人が既に操られていることも分からないくらい、深く・・・・・・・深く、君の無

意識に滲みこんでいるようだな」

「!」

「頭髪のない、白い無精ひげを伸ばした老人だな。足は長くて、グレーのシャツに臙脂のスカーフを巻いている」

漆黒の瞳は、そのままゆっくりと下降し、八城暁の眼を正面から見据えた。

「僕の目をよく見て・・・その老人の姿が見えてくるはずだ」

薄い唇からとうとうと流れだす言葉に、八城暁は目を見開いた。

「ああ、君はこの人が本当に嫌いだったね」

「・・・」

「でも、利用価値があると思って付き合ってあげていた」

そこでナルは唇の端を吊り上げた。

「しかし、本当にそうだったのか?」

「な・・・に、を」

「君は抵抗できなかった」

「・・・・」

「いつのまにか支配されていたんだ。あの醜悪な老人に」

「・・・ちが・・」

「嫌いだっただろう?」

ねっとりと絡みつくような声に、八城暁は顔を強張らせた。

「嫌いだったのに、何故、君は通っていたのだろう」

「それは・・・」

「なぜ、通っていた?通わせられていた?そう・・・そこに君の意思はなかったはずだ」

「それ・・・はぁ」

「あの老人の方が力があった。そしてあの時、石は老人のもとにあった」

「違う」

「君が実践したじゃないか、暗示は有効だって」

「・・・ちが・・・・」

「君を偏愛していたあの老人が、君を支配しないことなんかあるだろうか?」

「それは・・・」

「目を離すな!」

俯きかけた八城暁をナルは強く叱責し、声だけで八城暁の視線を取り戻すと残忍な笑みを浮かべた。

「君は王じゃなかった」

「・・ば・」

  

 

 

 

「あの蔑んでいた老人の、王国の住人に過ぎなかったんだよ」

  

 

 

 

 

「 だからほら、君の背中には 『 アマダ・センセイ 』 がべっとりと張り付いていて離れないじゃないか 」

 

 

 

 

 

ナルの言葉に、八城暁は怯えたように肩を揺らし、石を割ったナルの左手を凝視した。

その視線にナルは憐れみを込めて囁いた。

「石をなくして、センセイはたいそう怒っている」

しかし、手には既に残骸の残っておらず、あったはずの粉塵は降りだした雨にきれいに洗い流されていた。

八城暁は慌ててベンチや地面に顔を寄せ、石の残骸を探したが、これもまた雨を含んだ砂にまぎれて、跡形

もなくなっていた。

狼狽して顔を上げた八城暁の顔を、ナルは息がかかるほどの側で見つめ、囁いた。

「もう駄目だ」

「やめ・・・・」

「もう君には石も力もない」

「やめろぉ!」

「君はセンセイの憑依から逃れられない。とり殺されるまで延々と続く」

たまらずその場から逃げ出そうと駆け出した八城暁を、リンは長い腕を伸ばし造作なく捕まえた。

ぎちりと、息がつかえるほど強く両腕をいましめ、リンは無表情のまま上司を振り仰いだ。

「ナル、この老人が彼をとり殺すのを待ってやることはありません」

「・・・・」

 

 

「私が呪い殺してやりますよ」

 

 

珍しいリンの苛烈な怒りの形相に、八城暁だけでなく滝川もが息を飲む中、問い掛けられた上司は目を細め、

軽く首を振った。

「それではまだ甘いだろう」

ぜんまい仕掛けのように跳ね上がる八城暁の顔を眺め、ナルはその白皙の美貌から一切の表情を拭い去り、

低く答えた。

「時間をかけて、苦しめてやるといい。この老人が決して祓われないように因縁付けてやるんだな、陰陽師殿」

ナルの声に八城暁の一切の動きが止まった。

それを確認し、リンは一言呟いた。

「陰陽師をご存知でしたか・・・・それなら話が早い」

続く言葉は、八城暁の悲鳴によってかき消された。